(1)大飯原発再稼働をめぐる一連の動きには、日本は“法治主義”ではなく“人治主義”だ、という問題が表出していた。その端的な例は、今回の再稼働にあたって、その判断基準を原発関連4大臣で決めたことだ。
(2)原発再稼働にあたり、ストレステストの実施は法的根拠はない。立地自治体の同意も、法的根拠はなく、協定書にも実は定めがない。法令上は、検査が終了した段階で、事業者は再稼働して差し支えない。
(a)原発は、13ヵ月に1回、定期検査を受けなければならない(電気事業法第54条、電気事業法施行規則第91条)。
(b)3・11以降、浜松原発を除き、そのまま稼働し、定期検査のタイミングごとに順次停止していった。通常なら、検査が終わればそのまま再稼働に向かう。
(c)ストレステスト
①昨年7月、政府はストレステストの実施を事業者に求め、その上で政府が再稼働の是非を判断することとした。ストレステストに法令上の根拠はないが、現行法令に基づく検査だけでは「疑問を呈する声も多い」ので、いわば応急措置として加えた(政府説明)。原発再稼働を政府が止めているのは、あくまで行政指導であり、政府が再稼働を認めるのは、行政指導の解除にあたる(国会における細野豪志・環境大臣答弁)。
②行政指導の解除に際し、「政治的判断」が強調された(“人治主義”)。
(d)「地元の同意」
①法律上の定めはない。
②「安全協定があるので立地自治体の同意なしに原発の再稼働はできない」という理解は正しくない。福井県とおおい町が関電と締結している協定書によれば、トラブルによる停止の場合は「運転再開の協議」が定められているものの、通常の定期検査後の再稼働については定めがない。定期検査後の再稼働については安全協定上は協議は不要だ【福井県】。要するに、再稼働の際の立地自治体の同意は、法律上も協定上も不要だ。
③ただ、今回の大飯原発に限っては、「国が判断にあたって地元の理解を得るべきと言った」【福井県担当課】ことが根拠とされた。
④原発に関する4大臣会合(4月13日)で、以下の確認が行われた。「国民に対して責任を持ってご説明し、理解が得られるよう努めていくこと、何よりも、立地自治体のご理解が得られるよう全力を挙げてくこと、そして、こうした一定の理解が得られた場合には、最終的に再起動の是非について決断することを確認した」(議事録概要)。
⑤要するに、「立地自治体の一定の理解が再稼働の条件」の根拠は、4大臣の口頭確認にすぎない。しかも、確認の内容も曖昧だ。同意は絶対に必要とはいえない(「一定の」というマジックワードが仕込んである)。「地元」の範囲も曖昧だ。国が状況次第で融通無碍に対応できるよう都合よく設定したルールだ。ルールブック(法令による基準づくり)は腋において、決して政府が負けない“臨時ルール”を設定しておいて、都合よく再稼働を進めた。原子力行政は、“法治主義”ではなく“人治主義”の領域だ。
(3)場当たり的な“人治主義”で、関係者任せにしておくことがいかに危険か、私たちは3・11で思い知った。
しかし、野田首相らは、ちっとも思い知っていないらしい。
以上、原英史「政府・霞が関は法律にも協定にもよらずに橋下市長ら“地元”に責任転嫁した」(「SAPIO」2012年8月1・8日号)に拠る。
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(2)原発再稼働にあたり、ストレステストの実施は法的根拠はない。立地自治体の同意も、法的根拠はなく、協定書にも実は定めがない。法令上は、検査が終了した段階で、事業者は再稼働して差し支えない。
(a)原発は、13ヵ月に1回、定期検査を受けなければならない(電気事業法第54条、電気事業法施行規則第91条)。
(b)3・11以降、浜松原発を除き、そのまま稼働し、定期検査のタイミングごとに順次停止していった。通常なら、検査が終わればそのまま再稼働に向かう。
(c)ストレステスト
①昨年7月、政府はストレステストの実施を事業者に求め、その上で政府が再稼働の是非を判断することとした。ストレステストに法令上の根拠はないが、現行法令に基づく検査だけでは「疑問を呈する声も多い」ので、いわば応急措置として加えた(政府説明)。原発再稼働を政府が止めているのは、あくまで行政指導であり、政府が再稼働を認めるのは、行政指導の解除にあたる(国会における細野豪志・環境大臣答弁)。
②行政指導の解除に際し、「政治的判断」が強調された(“人治主義”)。
(d)「地元の同意」
①法律上の定めはない。
②「安全協定があるので立地自治体の同意なしに原発の再稼働はできない」という理解は正しくない。福井県とおおい町が関電と締結している協定書によれば、トラブルによる停止の場合は「運転再開の協議」が定められているものの、通常の定期検査後の再稼働については定めがない。定期検査後の再稼働については安全協定上は協議は不要だ【福井県】。要するに、再稼働の際の立地自治体の同意は、法律上も協定上も不要だ。
③ただ、今回の大飯原発に限っては、「国が判断にあたって地元の理解を得るべきと言った」【福井県担当課】ことが根拠とされた。
④原発に関する4大臣会合(4月13日)で、以下の確認が行われた。「国民に対して責任を持ってご説明し、理解が得られるよう努めていくこと、何よりも、立地自治体のご理解が得られるよう全力を挙げてくこと、そして、こうした一定の理解が得られた場合には、最終的に再起動の是非について決断することを確認した」(議事録概要)。
⑤要するに、「立地自治体の一定の理解が再稼働の条件」の根拠は、4大臣の口頭確認にすぎない。しかも、確認の内容も曖昧だ。同意は絶対に必要とはいえない(「一定の」というマジックワードが仕込んである)。「地元」の範囲も曖昧だ。国が状況次第で融通無碍に対応できるよう都合よく設定したルールだ。ルールブック(法令による基準づくり)は腋において、決して政府が負けない“臨時ルール”を設定しておいて、都合よく再稼働を進めた。原子力行政は、“法治主義”ではなく“人治主義”の領域だ。
(3)場当たり的な“人治主義”で、関係者任せにしておくことがいかに危険か、私たちは3・11で思い知った。
しかし、野田首相らは、ちっとも思い知っていないらしい。
以上、原英史「政府・霞が関は法律にも協定にもよらずに橋下市長ら“地元”に責任転嫁した」(「SAPIO」2012年8月1・8日号)に拠る。
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