昭和16年12月8日の後、水木しげるの母は「日本は絶対に戦争に負ける!」と言って防空演習に一度も出たことはなかった【注】。
水木しげる自身も、夜間中学で「先生! 戦争は満州まででエエんじゃないですか」と意見して、「非国民めっ」と教室から引きずりだされた【注】。
この頃、水木は、長生きできんな、と自覚し、哲学書を盛んに読んだ。水木がわけても耽読したのは、岩波文庫の3分冊『ゲーテとの対話』だ【注】。
歳月は移り、水木自身がゲーテの位置について、「水木しげるとの対話」を刊行する。
--日本の社会に、寝つきの悪くなるような大きな自然災害が起きてしまいました。
水木:大震災があったなあ。大変だ。
--絶望感や喪失感がすっぽりと日本を包み込み、これから向かう先を未だに曇らせています。
水木:津波にあったところの写真を見たときにはびっくりしたねえ。
--水木さんは戦争を体験されているわけですが、それと重なって見えていたのではないでしょうか。自分ではどうしようもない、巨大な力になす術もなく飲み込まれていくしかないといったような・・・・。
水木:被害を受けたところは大変だけど、現代の日本だから、まだモノがある。それに対して、戦争ではとにかくモノがない。
それに戦争では、何もしなくても人が次々に死んでいきますから。戦争は怖い。敵がじわじわと、目に見えて近づいてくる。その怖さといったら、もう。
--大震災では津波の後の原発事故で、目に見えない放射能の恐怖というものが具現化し、今の日本に刃のように突きつけられています。水木さんは、事故のリスク管理についてどう思われますか。
水木:もう、起こってしまったことだからねえ。何とかならなかったのかねえ。
--東日本大震災の被災地に、自殺者が増え始めています。復興が遅々として進まないことで、将来に希望が持てないことも大きな原因のひとつになっているのでしょうが、なかでも原発事故のあった福島県の方の自殺が増えているのはとても深刻です。
自殺する人は、自分の思うように生きられない。それが大きいのでしょうか。
水木:水木サンは、どんなときでも生きたかったから。自殺する人は、それが幸せだと思って死ぬんです。止める必要はないんじゃないですか。
--実は、日本の自殺者は東日本大震災が起こるずっと前、1999年から12年連続して3万人を突破し、高止まりしていました。2011年は、さらに増える可能性が示唆されています。
家族や親族だけでなく、仕事も、家も、地域や絆やつながりも、すべて根こそぎ持っていかれ、社会的な命が絶たれるという点は、戦争に召集された人の喪失感と通じるようなものはあるのでしょうか。
水木:そうかもしれませんね。戦死した人間は可哀想です。彼らは、生きたくても生きられなかった。命があれば、何とでもなるんです。
水木サンは、なかなか人を励ましたり喜ばせたりするような言葉が出てこない。名言を発して、たったそのひと言で救って、というようにはいかない。
復興には時間もかかるのでしょうが、根本的にはマネーがないとできないことでしょう。暮らしを支えるのにも、まずお金がないと。
そう考えると、どんな言葉にも力はないですよ。マネーがないと、下手をすると心までなくなってしまう。
長い人生の中で一度や二度、お金が足りない状況に陥るのならまだいいけど、ずっとマネーがないとなると、どこか別の世界に行こうか、ということになっちゃうんじゃないのかなあ。
なかには、運がとことん悪くて、何をやってもダメ、という人もいるだろうし。そういう人が死にたくなるのかもしれない。何とかしようと思っても、マネーが入ってこなければ生きていくことができません。
そこが大きな問題。
--最低限の生きる支えがないと、何事も始まらないということですね。
水木:金がないと、心が変になってしまう。だって、そもそも楽しさとか笑いとか、そのベースにあるのは金です。さらに、今は金がないと笑えない社会になっているからねぇ。『笑い男』という悲劇は、ストーリーとしてはどうでしょう。男がいて、笑おうとするのに心底笑うことができない。身を粉にして賢明に働くけども、どうしたって笑うことができない、というストーリーはおもしろいかもわからんねえ。笑いを渇望する男の話。
--笑いを渇望する男、ですか。今の世の中の深層を突いていると思います。
水木:腹の底からゲラゲラ笑える瞬間を持てる人というのは、日本の社会に1割くらいしかいないんじゃないか。笑いは「幸福の象徴」ですからね。幸福を感じることができないから、笑うことができない。
また、笑いというのは不思議なもので、一度笑い出すと、余計おかしくなってくるものなんです。金をどうにか稼ごうと思って悪戦苦闘している様が続くとね、逆におかしくなってしょうがなくなってくるわけですよ。
笑えるようにしていかないといかんねえ。少なくても、1割増し程度の笑いを手はじめの目標とするとか。
(中略)
--戦争が終わったときんは、どのようなことをお感じになったのでしょうか。
水木:そりゃあ、本当にホッとしましたよ。戦争が終わるらしい、といった終戦の噂が流れただけでも、ホッとしていたですよ。
私は最前線にいたから、いつも敵と接触していた。その状態での、いつ戦争が終わるかわからない不安は、言いようがなかったねぇ。じっとして不安を感じているのならまだいいけど、ばちばち殴られながらですから、かなわんですよ。
--戦争の真っ只中にいては「ここまで」という線引きがまったく存在しないわけですから、不安は泥沼的に広がっていったのでしょうね。
水木:今日も、無事生きていられたからっていう感じ。1日、そしてまた次の1日ごとに、今、この瞬間は生きているんだなという感じ。
--生き残ったことの幸せと、日々かみ締めておられたように聞こえます。震災後の人々は、将来にとても不安を感じていますが、「いまを生きる」に尽きるということでしょうか。
水木:そう、1日1日、瞬間・瞬間が大事ですよ。
【注】水木しげる『神秘家水木しげる伝』(角川書店、2008)
以上、水木しげる『水木さんの「毎日を生きる」』(角川SSC新書、2011)の「序章 幸せの仕組みを理解している人はごくわずか」および「第2章生きていることはすばらしい」から一部引用した。
↓クリック、プリーズ。↓
水木しげる自身も、夜間中学で「先生! 戦争は満州まででエエんじゃないですか」と意見して、「非国民めっ」と教室から引きずりだされた【注】。
この頃、水木は、長生きできんな、と自覚し、哲学書を盛んに読んだ。水木がわけても耽読したのは、岩波文庫の3分冊『ゲーテとの対話』だ【注】。
歳月は移り、水木自身がゲーテの位置について、「水木しげるとの対話」を刊行する。
--日本の社会に、寝つきの悪くなるような大きな自然災害が起きてしまいました。
水木:大震災があったなあ。大変だ。
--絶望感や喪失感がすっぽりと日本を包み込み、これから向かう先を未だに曇らせています。
水木:津波にあったところの写真を見たときにはびっくりしたねえ。
--水木さんは戦争を体験されているわけですが、それと重なって見えていたのではないでしょうか。自分ではどうしようもない、巨大な力になす術もなく飲み込まれていくしかないといったような・・・・。
水木:被害を受けたところは大変だけど、現代の日本だから、まだモノがある。それに対して、戦争ではとにかくモノがない。
それに戦争では、何もしなくても人が次々に死んでいきますから。戦争は怖い。敵がじわじわと、目に見えて近づいてくる。その怖さといったら、もう。
--大震災では津波の後の原発事故で、目に見えない放射能の恐怖というものが具現化し、今の日本に刃のように突きつけられています。水木さんは、事故のリスク管理についてどう思われますか。
水木:もう、起こってしまったことだからねえ。何とかならなかったのかねえ。
--東日本大震災の被災地に、自殺者が増え始めています。復興が遅々として進まないことで、将来に希望が持てないことも大きな原因のひとつになっているのでしょうが、なかでも原発事故のあった福島県の方の自殺が増えているのはとても深刻です。
自殺する人は、自分の思うように生きられない。それが大きいのでしょうか。
水木:水木サンは、どんなときでも生きたかったから。自殺する人は、それが幸せだと思って死ぬんです。止める必要はないんじゃないですか。
--実は、日本の自殺者は東日本大震災が起こるずっと前、1999年から12年連続して3万人を突破し、高止まりしていました。2011年は、さらに増える可能性が示唆されています。
家族や親族だけでなく、仕事も、家も、地域や絆やつながりも、すべて根こそぎ持っていかれ、社会的な命が絶たれるという点は、戦争に召集された人の喪失感と通じるようなものはあるのでしょうか。
水木:そうかもしれませんね。戦死した人間は可哀想です。彼らは、生きたくても生きられなかった。命があれば、何とでもなるんです。
水木サンは、なかなか人を励ましたり喜ばせたりするような言葉が出てこない。名言を発して、たったそのひと言で救って、というようにはいかない。
復興には時間もかかるのでしょうが、根本的にはマネーがないとできないことでしょう。暮らしを支えるのにも、まずお金がないと。
そう考えると、どんな言葉にも力はないですよ。マネーがないと、下手をすると心までなくなってしまう。
長い人生の中で一度や二度、お金が足りない状況に陥るのならまだいいけど、ずっとマネーがないとなると、どこか別の世界に行こうか、ということになっちゃうんじゃないのかなあ。
なかには、運がとことん悪くて、何をやってもダメ、という人もいるだろうし。そういう人が死にたくなるのかもしれない。何とかしようと思っても、マネーが入ってこなければ生きていくことができません。
そこが大きな問題。
--最低限の生きる支えがないと、何事も始まらないということですね。
水木:金がないと、心が変になってしまう。だって、そもそも楽しさとか笑いとか、そのベースにあるのは金です。さらに、今は金がないと笑えない社会になっているからねぇ。『笑い男』という悲劇は、ストーリーとしてはどうでしょう。男がいて、笑おうとするのに心底笑うことができない。身を粉にして賢明に働くけども、どうしたって笑うことができない、というストーリーはおもしろいかもわからんねえ。笑いを渇望する男の話。
--笑いを渇望する男、ですか。今の世の中の深層を突いていると思います。
水木:腹の底からゲラゲラ笑える瞬間を持てる人というのは、日本の社会に1割くらいしかいないんじゃないか。笑いは「幸福の象徴」ですからね。幸福を感じることができないから、笑うことができない。
また、笑いというのは不思議なもので、一度笑い出すと、余計おかしくなってくるものなんです。金をどうにか稼ごうと思って悪戦苦闘している様が続くとね、逆におかしくなってしょうがなくなってくるわけですよ。
笑えるようにしていかないといかんねえ。少なくても、1割増し程度の笑いを手はじめの目標とするとか。
(中略)
--戦争が終わったときんは、どのようなことをお感じになったのでしょうか。
水木:そりゃあ、本当にホッとしましたよ。戦争が終わるらしい、といった終戦の噂が流れただけでも、ホッとしていたですよ。
私は最前線にいたから、いつも敵と接触していた。その状態での、いつ戦争が終わるかわからない不安は、言いようがなかったねぇ。じっとして不安を感じているのならまだいいけど、ばちばち殴られながらですから、かなわんですよ。
--戦争の真っ只中にいては「ここまで」という線引きがまったく存在しないわけですから、不安は泥沼的に広がっていったのでしょうね。
水木:今日も、無事生きていられたからっていう感じ。1日、そしてまた次の1日ごとに、今、この瞬間は生きているんだなという感じ。
--生き残ったことの幸せと、日々かみ締めておられたように聞こえます。震災後の人々は、将来にとても不安を感じていますが、「いまを生きる」に尽きるということでしょうか。
水木:そう、1日1日、瞬間・瞬間が大事ですよ。
【注】水木しげる『神秘家水木しげる伝』(角川書店、2008)
以上、水木しげる『水木さんの「毎日を生きる」』(角川SSC新書、2011)の「序章 幸せの仕組みを理解している人はごくわずか」および「第2章生きていることはすばらしい」から一部引用した。
↓クリック、プリーズ。↓