語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【芭蕉】獅子庵 ~各務支考~

2015年09月26日 | □旅
重複アップに付き、こちらをどうぞ。

【芭蕉】獅子庵 ~各務支考~
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【芭蕉】獅子庵 ~各務支考~

2015年09月26日 | □旅
 支考(寛文5(1665)年-享保16(1731)年)、享年67。
 美濃国(岐阜県)の人。各務(かがみ)氏。別号、東華坊・西華坊・見龍(竜)・獅子庵、変名に蓮二坊など。幼時、郷里の禅寺に入山したが、19歳で下山して遊歴、元禄3(1690)年、26歳で芭蕉に入門し、『続猿蓑』の撰に加わるなど頭角を現した。師の没後は年毎にその追善供養を営む一方、地元美濃や俳諧発祥の地伊勢を拠点に、遠く北越方面や九州地方にまで精力的な行脚を重ね、広く蕉風俳諧を伝播することに成功した。蕉門随一の論客として、『葛の松原』『二十五条』『俳諧十論』など、多数の俳論書を著わし、姿情論や虚実論を中心とした表現論、また七名八体説などの連句付合論に、豊かな才気を発揮している。正徳元(1711)年。47歳のときには、自らの「終焉記」を作り佯死して、世人の悪評を被るような面もあったが、晩年は後継者に廬元坊里紅を得て、いよいよ自派(美濃派)の隆盛を導き、以後一門の流れは今日にまで及んでいる。作風は「俗談平話」を旨として平明であるが、また軽い談理を含んで卑俗なところもある。俳文の確立にも意欲を示し、『本朝文鑑』『和漢文操』などの俳文集を編んでいる。また発句は『蓮二吟集』(一浮編、宝暦5年刊)にまとめられている。

 以上、堀切実が紹介するところの略歴。
 以下、『蕉門名家句選(上)』所収の94句のうち5句。

 08)食堂(じきどう)に雀啼くなり夕時雨
 74)腹立てる人にぬめくるなまこ哉
 75)船頭の耳のとうさよ桃の花
 80)野に死なば野を見て思へ草の花
 85)気みじかし夜ながし老いの物狂ひ

□堀切実「支考」(『蕉門名家句選(上)』、岩波文庫、1989)

 *

 獅子庵は、各務支考(美濃派俳諧の始祖、松尾芭蕉十哲の一人)が正徳元(1711)年から住んだ住居。
 獅子庵の周囲には、各務支考の遺骨を納めた「梅花仏」や歴代道統の句碑、池などがあり、昭和38(1963)年に岐阜県指定史跡に指定された。

   

    獅子庵
   

    獅子庵に隣接の蓮池
   

    梅花佛
   
     ↓クリック、プリーズ。↓
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ  人気ブログランキングへ  blogram投票ボタン

 【参考】
【芭蕉】奧の細道の結びの地 ~大垣~
【芭蕉】奧の細道の石山 ~那谷~
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【本】「盲人の国」 ~多数と少数の相対性、ユニバーサルデザイン~

2015年09月26日 | 批評・思想
 『ウェルズSF傑作集2 世界最終戦争の夢』はSF短編集である。
 たとえば、表題作の「盲人の国」では、主人公ヌネスはアンデス山脈の某所に迷いこむ。
 そこでは、代々すべての住民が盲人であり、壁の塗り方や衣類の繕い方にチグハグな一面があるものの、総じて安定した社会生活が営まれている。この国では、見える人とか盲人という言葉はない。ヌメスは、目で見えるものを住民に解説すると、正気ではない、劣っている者とみなされた。恋におちるが、視覚を取り除く手術を受けることが結婚の条件とされた。ヌメスは、「盲人の国」から脱出する・・・・。

 わが国に似た噺がある。落語「一眼国」は、「盲人の国」よりももっと辛辣である。
 ある香具師が一眼国のうわさを聞きつけ、教えられた方角へ道を辿った。数日歩くと、果てが知れない原っぱにさしかかった。大木が一本、どうやら例の場所がここらしい。
 木の下まで行くと「おじさん」と声がかかった。
 見ると、一眼の子どもだ。シメタ、と追いかけ、捕まえたと思ったら、真っ暗な穴に墜落してしまった。
 正気づいたところはお白州。「面をあげよ」の指図に顔をあげると、正面の奉行も一眼。いわく、
 「御同役、これは珍しい、こやつ二ツ目である。さっそく見せ物にいたそう」

 これら寓意性にみちた小説/噺にはいろいろな解釈をほどこすことができる。
 第一、ストレートに解釈するなら、視覚が欠損してもそれなりに普通に生活を営むことができる、という思想である。事実そうなのだ。
 H.G.ウェルズ(1866~1946)の生きていたころにはノーマライゼーションという言葉はなかったし【注】、当然その思想は(仮に存在しても)社会のものではなかった。ましてや、バリアフリーもユニバーサルデザインも登場していなかった。この意味で、『盲人の国』はやはりフィクションだ。しかし、H.G.ウェルズらしく、時代の先を読み取ったフィクションである。
 第二、価値の相対化。視覚欠損の者がマジョリティの集団の中では、視覚のある人はマイノリティになり、「劣っている者」となる。要するに、人数の多寡が価値ないし正否を決める。
 アテネの住民を「視覚欠損のある集団」、ソクラテスを「劣っている者」に見立ててもよい。ソクラテスに死刑を宣告したアテネ市民は、『盲人の国』の盲人たちであった。
 だが、多数と少数は相対的なもので、状況が変われば、逆転する。あるいは歴史の進歩がマイノリティを・・・・マジョリティにしないまでも、相克や対立を減少させていくこともある。

 【注】デンマークで、世界で初めてノーマライゼーションという用語をもちいた法律ができたのは1959年である。

□H.G.ウェルズ(阿部 知二訳)『盲人の国』(『ウェルズSF傑作集2 世界最終戦争の夢』所収、創元文庫、1970)
     ↓クリック、プリーズ。↓
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ  人気ブログランキングへ  blogram投票ボタン

    
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【詩歌】会田綱雄「鹹湖」

2015年09月26日 | 詩歌
  ~オッセンドフスキイ「アジアの人と神秘」より~

 生きていることが
 たえまなしに
 僕に毒をはかせる
 いやおうなさのなかで
 僕が殺してきた
 いきものたちの
 おびただしい
 なきがらを沈めながら
 いまでは僕も
 神のように
 僕自身をゆるしているけれど
 まもなく
 あの暗い天の奧から
 僕をめがけて
 ふってくる雪が
 邪悪な僕の
 まなこをとざすとき
 僕のなきがらが
 なきがらだけの重みで
 そのまましずかに
 沈んで行くよう

□会田綱雄「鹹湖」(『鹹湖』、緑書房、1957):第一回高村光太郎賞
     ↓クリック、プリーズ。↓
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ  人気ブログランキングへ  blogram投票ボタン

 【参考】
【詩歌】会田綱雄「伝説」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする