(1)2005年7月7日、ロンドンで地下鉄などを狙った爆弾テロが起きた。50名以上の死者が出た。
時の内相クラークは、自分たちのカウンター・インテリジェンス体制に問題があったことを素直に認め、国民に謝罪した。
これを聞いた各国のメディアは、「英国情報機関の限界が露呈した」といったニュアンスの報道を行った。
しかし、佐藤優の直感は逆だった。これは本気だな、と直感し、事件の直後、ある雑誌で、「テロを封じこめるという観点から、今後イギリスは本領を発揮するはず」と予言した。
というのも、佐藤はジョージ・オーウェルのエッセイ『イギリス人』のこんなエピソードを記憶していたからだ。
第二次世界大戦中、空襲にさらされたロンドン市民が地下鉄の駅に逃げこんだ。そこは、むろん、防空壕ではない。だから、みんな最短距離区間の切符を買って、整然とホームに下りていく。緊急時にもかかわらず、誰ひとりとし秩序を乱さない。動じない。しかし、胸の奥では、「よくもやったな」「覚えていろよ」という、ドイツ軍に対するたぎるような思いを燃やしていたのだ・・・・という話だ。
「ジョン・ブル魂」というのかもしれない。佐藤は、冷静に反省の弁を述べる政府高官の姿から、そんな凄みのある決意を汲みとったのだ。
(2)はたして、2006年8月10日、旅客機テロ計画の容疑者を一斉に検挙した。
ジョン・ブルの「決意」は、イスラムのコミュニティそのものを事件再発防止のターゲットに据えるというやり方をとった。イスラム系とはいえ、彼らはあくまで英国市民である。だから、彼らの人権を侵している、と受け取られるおそれがある。現に、「これは英国の民主主義を危うくするものだ」という批判がメディアから相次いだ。
「決意」には、「自国民の中にも敵がいる」というリアルな認識があった。この事実から目をそむけていたら、テロ防止はおぼつかない。
とはいえ、あのような強硬姿勢をとれば、ふつうならイスラム社会をあげて反発が起こるところだ。
しかし、現実は違った。それどころか、イスラム・コミュニティの住民から容疑者逮捕の決め手となる情報が次々にもたらされた。
どうしてそんなことが起きたのか。
(3)英国当局は、コモンウェルスのイスラム指導者などを説得し、多くを味方に引き入れたのだ。イスラム・コミュニティの「健全な部分」に、
「このままでは、われわれ全てが英国の敵だと見なされてしまう」
「テロリストは自分たちの手で排除しよう」
という意識を広げることに成功したわけだ。佐藤が「憶測」するに、テロにいたる計画行動を主導する中心部分まで協力者を送りこんでいたのではないか。
当局は、英国伝統の民主主義の原則を損なうのを覚悟の上で、コミュニティに分け入った。電話やメールの傍受、大規模な追跡、そして今回は彼らの得意とするダブルエージェント(二重スパイ)のカードも切った。だからこそ、実行直前に容疑者を一網打尽にする芸当ができた。
(4)佐藤の「推測」では、テロの準備段階で主導的といってもよい役割まで担わせつつ、徹底的に実行組織をあぶりだしたのだ。
目の前のテロを止めるという目的のために、あらゆることが許されるかどうか。否応なしにそういう究極の選択を迫られる時代に我々は生きているのだ。そういう実状を日本国民も自覚する必要がある。
(5)作戦続行中は報道規制を敷いた英国当局も、容疑者摘発後はイスラム・コミュニティでのネットワーク作りなどについてあからさまに喋っている。民主主義の原則に反する、といった批判をかわしたいなら、黙って知らないふりをしていればよい。なぜそうしないかというと、「英国はここまでやるよ」という警告キャンペーンだからだ。アルカイダ側は、英国でテロを計画するのは効率が悪い、と知るわけだ。
そもそも、あれだけの大捕物だから、完全に秘匿するのは不可能だった。
しかし、情報の開示方法については、相当練られた跡が窺われる。その点で面白いのは、英国の新聞は、あの逮捕劇がスコットランドヤードの手柄だと報じていることだ。俗称「MI6」こと対外情報機関SISやカウンター・インテリジェンス組織MI5の名前は、ほとんど表に出てこない。彼らは功績を警察に譲って、じっと我慢している。
プロの目から見れば、「表に姿の出ないところがもっとも働いた」のだ。英国情報機関の伝統が生きている。
(6)今回は、SISがパキスタン軍情報部をしっかりと握っていたことが最大の原因だ。
にもかかわらず、黙って「大人の対応」を貫いている。成熟したインテリジェンスの文化だ。
浅間山荘事件が映画になったとき、警視庁と長野県警のどちらをプレーアップして描くかをめぐって後藤田裁定まで仰いだ国とはずいぶん違う。
ただし、SISが表に出てこないのは、モラルが高いからだけではない。もともと彼らは世間的な評価や出世にはあまり興味がないのだ。一番の関心は、SIS朝刊、首相、さらには女王陛下といったキーパーソンに認知されることなのだ。そして、こういうキーパーソンは、SISのインテリジェンス専門家を大切にする。
□佐藤優/手嶋龍一『インテリジェンス 武器なき戦争』(幻冬舎親書、2006)の「第1章 インテリジェンス大国の条件」
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時の内相クラークは、自分たちのカウンター・インテリジェンス体制に問題があったことを素直に認め、国民に謝罪した。
これを聞いた各国のメディアは、「英国情報機関の限界が露呈した」といったニュアンスの報道を行った。
しかし、佐藤優の直感は逆だった。これは本気だな、と直感し、事件の直後、ある雑誌で、「テロを封じこめるという観点から、今後イギリスは本領を発揮するはず」と予言した。
というのも、佐藤はジョージ・オーウェルのエッセイ『イギリス人』のこんなエピソードを記憶していたからだ。
第二次世界大戦中、空襲にさらされたロンドン市民が地下鉄の駅に逃げこんだ。そこは、むろん、防空壕ではない。だから、みんな最短距離区間の切符を買って、整然とホームに下りていく。緊急時にもかかわらず、誰ひとりとし秩序を乱さない。動じない。しかし、胸の奥では、「よくもやったな」「覚えていろよ」という、ドイツ軍に対するたぎるような思いを燃やしていたのだ・・・・という話だ。
「ジョン・ブル魂」というのかもしれない。佐藤は、冷静に反省の弁を述べる政府高官の姿から、そんな凄みのある決意を汲みとったのだ。
(2)はたして、2006年8月10日、旅客機テロ計画の容疑者を一斉に検挙した。
ジョン・ブルの「決意」は、イスラムのコミュニティそのものを事件再発防止のターゲットに据えるというやり方をとった。イスラム系とはいえ、彼らはあくまで英国市民である。だから、彼らの人権を侵している、と受け取られるおそれがある。現に、「これは英国の民主主義を危うくするものだ」という批判がメディアから相次いだ。
「決意」には、「自国民の中にも敵がいる」というリアルな認識があった。この事実から目をそむけていたら、テロ防止はおぼつかない。
とはいえ、あのような強硬姿勢をとれば、ふつうならイスラム社会をあげて反発が起こるところだ。
しかし、現実は違った。それどころか、イスラム・コミュニティの住民から容疑者逮捕の決め手となる情報が次々にもたらされた。
どうしてそんなことが起きたのか。
(3)英国当局は、コモンウェルスのイスラム指導者などを説得し、多くを味方に引き入れたのだ。イスラム・コミュニティの「健全な部分」に、
「このままでは、われわれ全てが英国の敵だと見なされてしまう」
「テロリストは自分たちの手で排除しよう」
という意識を広げることに成功したわけだ。佐藤が「憶測」するに、テロにいたる計画行動を主導する中心部分まで協力者を送りこんでいたのではないか。
当局は、英国伝統の民主主義の原則を損なうのを覚悟の上で、コミュニティに分け入った。電話やメールの傍受、大規模な追跡、そして今回は彼らの得意とするダブルエージェント(二重スパイ)のカードも切った。だからこそ、実行直前に容疑者を一網打尽にする芸当ができた。
(4)佐藤の「推測」では、テロの準備段階で主導的といってもよい役割まで担わせつつ、徹底的に実行組織をあぶりだしたのだ。
目の前のテロを止めるという目的のために、あらゆることが許されるかどうか。否応なしにそういう究極の選択を迫られる時代に我々は生きているのだ。そういう実状を日本国民も自覚する必要がある。
(5)作戦続行中は報道規制を敷いた英国当局も、容疑者摘発後はイスラム・コミュニティでのネットワーク作りなどについてあからさまに喋っている。民主主義の原則に反する、といった批判をかわしたいなら、黙って知らないふりをしていればよい。なぜそうしないかというと、「英国はここまでやるよ」という警告キャンペーンだからだ。アルカイダ側は、英国でテロを計画するのは効率が悪い、と知るわけだ。
そもそも、あれだけの大捕物だから、完全に秘匿するのは不可能だった。
しかし、情報の開示方法については、相当練られた跡が窺われる。その点で面白いのは、英国の新聞は、あの逮捕劇がスコットランドヤードの手柄だと報じていることだ。俗称「MI6」こと対外情報機関SISやカウンター・インテリジェンス組織MI5の名前は、ほとんど表に出てこない。彼らは功績を警察に譲って、じっと我慢している。
プロの目から見れば、「表に姿の出ないところがもっとも働いた」のだ。英国情報機関の伝統が生きている。
(6)今回は、SISがパキスタン軍情報部をしっかりと握っていたことが最大の原因だ。
にもかかわらず、黙って「大人の対応」を貫いている。成熟したインテリジェンスの文化だ。
浅間山荘事件が映画になったとき、警視庁と長野県警のどちらをプレーアップして描くかをめぐって後藤田裁定まで仰いだ国とはずいぶん違う。
ただし、SISが表に出てこないのは、モラルが高いからだけではない。もともと彼らは世間的な評価や出世にはあまり興味がないのだ。一番の関心は、SIS朝刊、首相、さらには女王陛下といったキーパーソンに認知されることなのだ。そして、こういうキーパーソンは、SISのインテリジェンス専門家を大切にする。
□佐藤優/手嶋龍一『インテリジェンス 武器なき戦争』(幻冬舎親書、2006)の「第1章 インテリジェンス大国の条件」
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