長谷川海太郎は3つのペンネームを持っていた。その一つが林不忘で、丹下左膳シリーズで知られる。ほかに、冒険小説の牧逸馬・谷譲次もペンネームだった。
梅太郎の次弟が?二郎(りんじろう)で、画家だが、地味井平造のペンネームで推理小説も書いた。
?二郎の弟が濬(しゅん)で、ロシア文学者となり、ニコライ・バイコフの『偉大なる王(ワン)』を訳している。
?二郎の弟、つまり海太郎の末弟が四郎だ。
満鉄調査部、満州帝国協和会調査部、関東軍を経て1945年8月にソ連軍の捕虜となり、11月、シベリアのチタ近郊チェルノフスカヤの炭鉱に送られた。以後、シベリア各地の捕虜収容所を転々、労働。コルホーズ、レンガ工場、炭鉱、道路工夫、材木流送、線路工夫、掃除人などに従事した。1950年2月、帰還。1951年4月から「近代文学」に「シベリア物語」を連載し始めた。
□長谷川四郎『シベリア物語』(旺文社文庫、1974/後に講談社学芸文庫、2014)
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書評:『鶴』」
【参考】
「書評:『鶴』」

梅太郎の次弟が?二郎(りんじろう)で、画家だが、地味井平造のペンネームで推理小説も書いた。
?二郎の弟が濬(しゅん)で、ロシア文学者となり、ニコライ・バイコフの『偉大なる王(ワン)』を訳している。
?二郎の弟、つまり海太郎の末弟が四郎だ。
満鉄調査部、満州帝国協和会調査部、関東軍を経て1945年8月にソ連軍の捕虜となり、11月、シベリアのチタ近郊チェルノフスカヤの炭鉱に送られた。以後、シベリア各地の捕虜収容所を転々、労働。コルホーズ、レンガ工場、炭鉱、道路工夫、材木流送、線路工夫、掃除人などに従事した。1950年2月、帰還。1951年4月から「近代文学」に「シベリア物語」を連載し始めた。
□長谷川四郎『シベリア物語』(旺文社文庫、1974/後に講談社学芸文庫、2014)
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【参考】
「書評:『鶴』」

