語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【メディア】高市総務相は「脅し」の政治家、報道は「健忘症」

2016年03月15日 | 社会
 (1)今さらながら、最近のことさえ無視するマスコミの「健忘症」は治癒する気配がまるでない。
 北朝鮮の人工衛星打ち上げを、NHKを先頭に「事実上のミサイル発射である、云々」と繰り返してはばからない。
 その数日後の日本の科学観測装置の打ち上げでは、「成功、成功!」と実況中継で叫んだ。この時、打ち上げ方向の定期航空便は迂回やダイヤ変更をしていなかったのか? 日本のロケットであっても、万一の時の安全対策は必要だ。
 北朝鮮の打ち上げの時の騒ぎは、明らかに意図的だった。

 (2)沖縄の上空を通過するから、と自衛隊の迎撃ミサイルが石垣島などに配備された。緊急情報伝達体制の準備状況も、事細かに全国報道された。
 だが、同じように沖縄上空を飛んだ韓国の人工衛星ロケットの時(2009年8月と2013年1月)には、日本政府は何もしていない。マスコミも、危険性に無関心だった。
 しかも、2009年の韓国の人工衛星は失敗だったのに、そのことも報道していない。
 北朝鮮は、ともかく二度成功している。破片落下の危険性が高いのは、韓国と北朝鮮のどちらであるかは自明だ。

 (3)コラムで指摘しても、マスコミが無視ないし「健忘症」に陥るのは、(2)の件だけではない。
 高市総務相の「停波発言問題」、安倍首相の「従来の政府答弁と変わりない」発言についても同じだ。「番組一つひとつを見て全体を考える」と言うのと、ただ「全体を見て考える」というのとでは、意味がまるで違う。その違いを危惧するのは当然だ。
 それに、発言者が高市氏であることが問題だ。同氏は、高飛車でけんか腰の物言いで知られ、言葉だけでなく実際に「脅し」に近い方法で政治家としての実績を上げている事実がある。
 公正取引委員会が新聞の再販価格制度を廃止して自由競争に移行させようとした2006年のこと。自民党は「新聞の特殊指定に関する議員立法検討チーム(高市座長)」を発足させて、公取委を断念に追い込んだ。
 決め手は、公取委が強行するのであれば、公取委だけの判断では廃止できないとする独占禁止法改正案を突きつけたことだった。
 その成果を確認した際に、高市氏は、「改正案は党内で温存し、必要な時が来たらいつでも提出できるようにしたい」と公言し(2006年6月2日付け「読売新聞」)、「脅し」を継続させている。

 (4)「これにて一件落着!」という大岡裁きのテレビドラマも、高市氏にははしゃぐ種の「番組の一つ」だろう。
 安倍首相の責任は重い。権力者は、自分よりも度量や人望がある者にしかるべき地位を与えることを避けがちだ。結果として、安倍政権では閣僚の問題発言続出の事態となった。
 マスコミは、その責任追及で、過去の事実について無頓着すぎる。「健忘症」と呼ばれるのは初めてではないはずだ。

□高嶋伸欣(琉球大学名誉教授)「高市早苗総務大臣は「脅し」の政治家。報道は「健忘症」では?」(「週刊金曜日」2016年3月11日号)
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 【参考】
【メディア】総務大臣には、停波命じる資格はない ~放送電波停止発言~ 
【メディア】や高市発言にみる安倍政権の「表現の自由」軽視
【古賀茂明】一線を越えた高市早苗総務相の発言
【メディア】政治的公平とは何か ~「NEWS23」への的外れな攻撃~
【NHK】をまたもや呼びつけた自民党 ~メディア規制~
【テレビ】に対する政権の圧力(2) ~テレ朝問題(9)~
【テレビ】に対する政権の圧力(1) ~テレ朝問題(8)~

【本】ラーゲリ ~イワン・デニーソヴィチの一日~

2016年03月15日 | 小説・戯曲
 『シベリア物語』を持ち出したからには、本書を取り上げないわけにはいかない。スターリニズム下のソ連の、極寒のシベリアのラーゲリにおける囚人の一日が語られる。
 日本へ最も早く紹介した小笠原豊樹・訳でまず読んだ。小笠原はマヤコフスキーの紹介者であり、岩田宏の筆名で知られる詩人である。

 <朝の五時、いつものように起床の合図が鳴った。本部バラックの脇のレールをハンマーで叩く音。とぎれとぎれの響きが、指二本の厚さに凍りついた窓ガラスを通して、かすかに伝わり、まもなく静まった。この寒さでは、看守も永いこと鳴らすのが億劫とみえる。
 音は消えたが、窓の外は、シューホフが用便に立った真夜中とすこしも変わりない、闇また闇だ。黄色いあかりが三つ、窓に映って見える。二つは立入り禁止区域〔有刺鉄線の両側二メートル幅の地帯〕の、一つは収容所《ラーゲリ》構内のあかりである。
 なぜかバラックの扉をあけに来る様子がない。当番の者が用便桶に棒をさしこんで、かつぎ出す音もきこえない。
 シューホフは、起床合図を聞きもらしたことは一度もなかった。いつも合図と同時に起きる。点呼までの一時間半は、公《おおや》けのものではない、自分の時間だった。収容所《ラーゲリ》の生活を知る者は、つねに内職のチャンスを逃すまいとする。だれかに、古服の裏地で、指なし手袋のカバーを縫ってやってもいい。金まわりのいい班員の寝床まで、乾いたフェルト靴〔膝までの防寒用長靴〕を運んでやってもいい。山と積まれた靴のまわりで、はだしで足踏みしながら、えらび出す手間がはぶけるわけだ。あるいは、衣料配給所をひとまわりして、掃除をしたり、何かを運んだり、相手構わずサービスする。あるいは、食堂へ行って、テーブルの上の食器を集め、見あげるばかりに積みかさねたのを食器洗い場まで持って行く。これをやると、たべものにありつけるが、それだけに志願者が多くて、どうにもならない。しかも、食器に何か残っていたら、つい我慢しきれなくなって、食器をなめてしまうのが問題である。シューホフは、最初の班長だったクジョーミンのことばを、はっきり記憶していた。一九四三年ですでに服役十二年目という、この収容所《ラーゲリ》の古狼は、いつか森の空地の焚火のかたわらで、戦線から引っ張られた新入りたちに、こう言ったのである。
「いいか、ここの掟は、すなわち密林だ。ただし、こんな所でも人間は生きられる。収容所《ラーゲリ》で身をほろぼすのは、食器をなめる奴、医療部に行きたがる奴、それから政治将校《クーム》に密告する奴」
 政治将校《クーム》に密告というのは、もちろんクジョーミンの義憤だった。密告する連中は、わが身を守ることが上手なのだ。ただし、他人を犠牲にして身を守る。
 いつも合図と同時に起きるシューホフだが、今日は起きなかった。ゆうべから、どうも具合がよくなかったのである。寒気がするかと思えば、体のふしぶしが痛んだ。おまけに一晩じゅう体があたたまらなかった。夢うつつで、ひどい病気になったと思い、またいくらかよくなったかとも思った。朝が来るのがいやだった。
 けれども朝はとどこおりなくやって来た。
 だいたい、ここで体があたたまろうはずはない。窓には氷がこびりついているし、壁と天井が接するあたりには、バラック中(なんというバラックだろう!)白い蜘蛛の巣が張っている。霜だ。>

 最後は次の一行で終わる。
 <一日が過ぎ去った。どこといって陰気なところのない、ほとんど幸せな一日が>

□アレクサンドル・ソルジェニーツィン(木村浩・訳)『イワン・デニーソヴィチの一日』(新潮文庫、1963)/(染谷茂・訳)『イワン・デニーソヴィチの一日』(岩波文庫、1971)
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 【参考】
【本】ラーゲリ ~シベリア物語~
書評:『鶴』
【医療】患者の自己決定権 ~『ガン病棟』~
【心理】アニマル・セラピー ~セント・バーナード~