(1)高市早苗・総務大臣の放送電波停波発言が国会の内外で波紋を広げている。
2月8日と9日、同大臣は放送局が政治的公平を欠くと判断した場合、放送法4条違反を理由に電波法76条に基づいて電波停止を命じる可能性を表明し、総務省も同月12日、「政治的公平の解釈について」と題する政府統一見解を出し、一つの番組のみでも公平性違反の判断と認定が可能とする国会答弁を追認した。
高市発言、それを追認する総務省見解や安倍晋三・首相の国会答弁などは説得的たり得るか?
(2)日本では公平性を実際に実施し、強制することが困難だ。
なぜか。
日本では、英国や欧州の国々と異なり、法律や番組コードなどによる公平性に係る詳細な基準、つまり、
公平とは何かについての明確な定義や意味の確定、
公平性違反の判定手続きや判定機関、
違反に対する比例的・体系的な制裁措置
などがきちんと法定されていない。きわめて未整備だ。公平性を実施、強制できる前提自体を欠いているのだ。
(3)<例>「公平」とは一つの番組ごとに要請されるのか。あるいは、全番組についてまとめて要求されるのか。公平とは、機械的・数量的な平等を意味しているのか。etc.
初歩的な基準さえ、法定されていない。
特に、この点で重要なのは、放送の自由の観点から公平性を判定し、制裁を科すためには、欧米で一般的に見られるような政府から独立的した、専門的な機関が設置されていることが不可欠だ、ということだ。
日本の場合、こうした独立的な機関はなく、総務大臣という政府の一行政機関が規制権限を直接担うことになるので、本来求められるべき公平性を実施、強制するための組織的、制度的条件を満たしていない。
もっとも、政府から独立した規制機関を備えてきた英国や欧州などでも、一般に公平性などの番組基準にはなお不確定性が伴うため、違反の判定は容易ではなく、また規制機関も容易に制裁を科してこなかった。
(4)(2)、(3)のような諸条件が整っていないままに、監督官庁などの公権力が公平性やその違反を判定し、制裁を科していくことになると、きわめて恣意的、政治的、一方的な判断の押しつけになる可能性があり、放送内容への露骨な権力的介入と放送の自由の侵害をもたらす危険がある。
日本は、まさにそういう現状にある。
(5)以上からして、放送法4条が定める公平性違反を理由に放送局に電波停止を命じる資格は総務大臣にはない。
公平性を含む放送法4条の番組編集準則は、法的制裁を伴う法規範ではなく、一種の倫理基準と捉えて、準則の実現を放送業者の自主自律に委ねるべきだ、ということになる。
□田島泰彦(上智大学教授)「“放送電波停止発言” 総務大臣には、停波命じる資格はない」(「週刊金曜日」2016年3月4日号)
↓クリック、プリーズ。↓
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【参考】
「【メディア】や高市発言にみる安倍政権の「表現の自由」軽視」
「【古賀茂明】一線を越えた高市早苗総務相の発言」
「【メディア】政治的公平とは何か ~「NEWS23」への的外れな攻撃~」
「【NHK】をまたもや呼びつけた自民党 ~メディア規制~」
「【テレビ】に対する政権の圧力(2) ~テレ朝問題(9)~」
「【テレビ】に対する政権の圧力(1) ~テレ朝問題(8)~」
2月8日と9日、同大臣は放送局が政治的公平を欠くと判断した場合、放送法4条違反を理由に電波法76条に基づいて電波停止を命じる可能性を表明し、総務省も同月12日、「政治的公平の解釈について」と題する政府統一見解を出し、一つの番組のみでも公平性違反の判断と認定が可能とする国会答弁を追認した。
高市発言、それを追認する総務省見解や安倍晋三・首相の国会答弁などは説得的たり得るか?
(2)日本では公平性を実際に実施し、強制することが困難だ。
なぜか。
日本では、英国や欧州の国々と異なり、法律や番組コードなどによる公平性に係る詳細な基準、つまり、
公平とは何かについての明確な定義や意味の確定、
公平性違反の判定手続きや判定機関、
違反に対する比例的・体系的な制裁措置
などがきちんと法定されていない。きわめて未整備だ。公平性を実施、強制できる前提自体を欠いているのだ。
(3)<例>「公平」とは一つの番組ごとに要請されるのか。あるいは、全番組についてまとめて要求されるのか。公平とは、機械的・数量的な平等を意味しているのか。etc.
初歩的な基準さえ、法定されていない。
特に、この点で重要なのは、放送の自由の観点から公平性を判定し、制裁を科すためには、欧米で一般的に見られるような政府から独立的した、専門的な機関が設置されていることが不可欠だ、ということだ。
日本の場合、こうした独立的な機関はなく、総務大臣という政府の一行政機関が規制権限を直接担うことになるので、本来求められるべき公平性を実施、強制するための組織的、制度的条件を満たしていない。
もっとも、政府から独立した規制機関を備えてきた英国や欧州などでも、一般に公平性などの番組基準にはなお不確定性が伴うため、違反の判定は容易ではなく、また規制機関も容易に制裁を科してこなかった。
(4)(2)、(3)のような諸条件が整っていないままに、監督官庁などの公権力が公平性やその違反を判定し、制裁を科していくことになると、きわめて恣意的、政治的、一方的な判断の押しつけになる可能性があり、放送内容への露骨な権力的介入と放送の自由の侵害をもたらす危険がある。
日本は、まさにそういう現状にある。
(5)以上からして、放送法4条が定める公平性違反を理由に放送局に電波停止を命じる資格は総務大臣にはない。
公平性を含む放送法4条の番組編集準則は、法的制裁を伴う法規範ではなく、一種の倫理基準と捉えて、準則の実現を放送業者の自主自律に委ねるべきだ、ということになる。
□田島泰彦(上智大学教授)「“放送電波停止発言” 総務大臣には、停波命じる資格はない」(「週刊金曜日」2016年3月4日号)
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【参考】
「【メディア】や高市発言にみる安倍政権の「表現の自由」軽視」
「【古賀茂明】一線を越えた高市早苗総務相の発言」
「【メディア】政治的公平とは何か ~「NEWS23」への的外れな攻撃~」
「【NHK】をまたもや呼びつけた自民党 ~メディア規制~」
「【テレビ】に対する政権の圧力(2) ~テレ朝問題(9)~」
「【テレビ】に対する政権の圧力(1) ~テレ朝問題(8)~」