(1)薄っぺらい論理
外交は「薄っぺらい論理」が重要だ。
たとえば、2005年春、北京の日本大使館や上海の総領事館が民衆に襲撃された。これは「大使館に石を投げたヤツは国際法違反で悪い」というだけの薄っぺらい論理でいい。2004年5月の上海総領事館の館員自殺事件も、「中国の公権力がウィーン条約に違反するアプローチを仕掛けてきた」という薄っぺらい論理でいい。
そこに歴史問題などを絡めると複雑になりすぎる。だから、薄っぺらい論理で土俵を制限し、勝てる状況を作って対応すればいいのだ。
ところが、日本外交は何もしない。上海の総領事館員が中国当局から脅迫されて自殺したなら官邸に報告してしかるべきなのに、それもしない。
中国と事を構えるのが嫌だからだ。ネガティブなことで中国と外交交渉をしたくないのだ。仕事と私生活の双方で中国に対する「借り」が大きくなっているからだ。弱みを握られているヤツが外務省幹部にいる。
(2)日本外務省の抱える矛盾
そもそも、日本の安全保障体制は、二つの有事を想定している。朝鮮半島の有事と台湾海峡の有事だ。
中国政府は、台湾問題に日本が関与することを、認めようとしない。台湾は中国と密接不可分な領土であり、日本はポツダム宣言で台湾の領有権を放棄したはずだ、と。だから、日米安全保障体制の想定する「極東」の範囲に台湾を含めることに一貫して反対してきた。
そして、この中国側の見解に寄り添った姿勢をとってきたのが、日本外務省の「チャイナ・スクール」の面々だ。
実際、日米ガイドラインの見直しが国会で議論されたとき、日本外務省の抱えるこの矛盾をはしなくも露呈させてしまった。極東の範囲をめぐる答弁で、将来の有力な次官候補だった高野紀元北米局長の首がとんだ。
当時の竹内行夫条約局長が煽って、そのツケを高野が支払わされたのだ。
竹内条約局長も当事者の一人だった。安全保障という大事な問題ですら、中国に毅然たる対応をとれないのだから、上海の総領事館のような機微に触れる案件では、なおさらだ。
(3)外交官の能力劣化
もっと根本的な問題は、今の外交官たちの論理能力が弱くなっていることだ。理詰めで物事を詰めていくことができなくなっている。
事例はやや古いが、小泉純一郎元首相は靖国参拝を強行した。一見、強気だったように見える。しかし、佐藤は「腰砕け」と断じる。なぜか。
靖国神社をめぐる論争とか、死者の魂をめぐる論争は、シンボルをめぐる論争だ。人間の表象能力にとって、それはいくらでもエスカレートさせることができる。こういうものを日中関係からできるだけ外さなければならない。だからこれも、薄っぺらい論理で押し通せばいい。
すなわち、日本は主権国家であり、民主主義国だ。その日本で、小泉は総裁選その他で靖国に行く、と公約した。小泉は民主的手続きによる二度の選挙と一度の参議院選挙によって国民の支持を得た。日本は民主的な主権国家である、と前提すれば、総理大臣が公約を履行することに何の問題もない。だから、これは譲れない国民国家の原理原則だ。・・・・このように言わなければならない。
安部晋三元首相は靖国神社参拝について何の公約もしなかった。だから、そもそも問題が存在しない。したがって、外交交渉で取りあげる必要はない。こういう「薄っぺらい論理」でいいのだ。
(4)外交専門家の役目
とにかく、政治家の判断を支える論理を組み立てるのが外交専門家の仕事だ。
理屈の真理は幾つもあって、それぞれ同格だ。その中でどう折りあいをつけるかは、政治家が判断することだ。テクノクラート(官僚)が言うべきことは、「靖国神社に行ったら滅茶苦茶なことになりますよ。しかし、それでも行くなら、その上で対中外交を組み立てなければならないですね」・・・・だ。そして、時の総理を支えるために官僚としての全能力を投入する。それだけのことだ。
なお、中国問題で気をつけなければならないのは、中国側のナショナリズムや思想史に関する学術的研究のレベルが非常にお粗末なことだ。特にヨーロッパのナショナリズムなどに係る基礎研究の底が浅い。自分たちのやることによって、足下の中国で何が起きるか、日本ではどうか、という見通しができていない。この点、日本のアカデミズムや民間には優れた知的集積がある。これを外交に活かすのもインテリジェンスの任務だ。
もう一つ、中国問題で参考になるのは、行き詰まったら戦線を広げる、というインテリジェンスの世界の定石だ。たとえば、中央アジアや新疆ウイグル自治区を安定させるための日中協力をやるとか。
行き詰まった外交案件はひとまず放っておいて、思いがけない局面に布石を打つ、という戦略をとればよい。行き詰まったら、戦線を拡大するのだ。
□佐藤優/手嶋龍一『インテリジェンス 武器なき戦争』(幻冬舎親書、2006)の「第3章 日本は外交大国たりえるか」
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外交は「薄っぺらい論理」が重要だ。
たとえば、2005年春、北京の日本大使館や上海の総領事館が民衆に襲撃された。これは「大使館に石を投げたヤツは国際法違反で悪い」というだけの薄っぺらい論理でいい。2004年5月の上海総領事館の館員自殺事件も、「中国の公権力がウィーン条約に違反するアプローチを仕掛けてきた」という薄っぺらい論理でいい。
そこに歴史問題などを絡めると複雑になりすぎる。だから、薄っぺらい論理で土俵を制限し、勝てる状況を作って対応すればいいのだ。
ところが、日本外交は何もしない。上海の総領事館員が中国当局から脅迫されて自殺したなら官邸に報告してしかるべきなのに、それもしない。
中国と事を構えるのが嫌だからだ。ネガティブなことで中国と外交交渉をしたくないのだ。仕事と私生活の双方で中国に対する「借り」が大きくなっているからだ。弱みを握られているヤツが外務省幹部にいる。
(2)日本外務省の抱える矛盾
そもそも、日本の安全保障体制は、二つの有事を想定している。朝鮮半島の有事と台湾海峡の有事だ。
中国政府は、台湾問題に日本が関与することを、認めようとしない。台湾は中国と密接不可分な領土であり、日本はポツダム宣言で台湾の領有権を放棄したはずだ、と。だから、日米安全保障体制の想定する「極東」の範囲に台湾を含めることに一貫して反対してきた。
そして、この中国側の見解に寄り添った姿勢をとってきたのが、日本外務省の「チャイナ・スクール」の面々だ。
実際、日米ガイドラインの見直しが国会で議論されたとき、日本外務省の抱えるこの矛盾をはしなくも露呈させてしまった。極東の範囲をめぐる答弁で、将来の有力な次官候補だった高野紀元北米局長の首がとんだ。
当時の竹内行夫条約局長が煽って、そのツケを高野が支払わされたのだ。
竹内条約局長も当事者の一人だった。安全保障という大事な問題ですら、中国に毅然たる対応をとれないのだから、上海の総領事館のような機微に触れる案件では、なおさらだ。
(3)外交官の能力劣化
もっと根本的な問題は、今の外交官たちの論理能力が弱くなっていることだ。理詰めで物事を詰めていくことができなくなっている。
事例はやや古いが、小泉純一郎元首相は靖国参拝を強行した。一見、強気だったように見える。しかし、佐藤は「腰砕け」と断じる。なぜか。
靖国神社をめぐる論争とか、死者の魂をめぐる論争は、シンボルをめぐる論争だ。人間の表象能力にとって、それはいくらでもエスカレートさせることができる。こういうものを日中関係からできるだけ外さなければならない。だからこれも、薄っぺらい論理で押し通せばいい。
すなわち、日本は主権国家であり、民主主義国だ。その日本で、小泉は総裁選その他で靖国に行く、と公約した。小泉は民主的手続きによる二度の選挙と一度の参議院選挙によって国民の支持を得た。日本は民主的な主権国家である、と前提すれば、総理大臣が公約を履行することに何の問題もない。だから、これは譲れない国民国家の原理原則だ。・・・・このように言わなければならない。
安部晋三元首相は靖国神社参拝について何の公約もしなかった。だから、そもそも問題が存在しない。したがって、外交交渉で取りあげる必要はない。こういう「薄っぺらい論理」でいいのだ。
(4)外交専門家の役目
とにかく、政治家の判断を支える論理を組み立てるのが外交専門家の仕事だ。
理屈の真理は幾つもあって、それぞれ同格だ。その中でどう折りあいをつけるかは、政治家が判断することだ。テクノクラート(官僚)が言うべきことは、「靖国神社に行ったら滅茶苦茶なことになりますよ。しかし、それでも行くなら、その上で対中外交を組み立てなければならないですね」・・・・だ。そして、時の総理を支えるために官僚としての全能力を投入する。それだけのことだ。
なお、中国問題で気をつけなければならないのは、中国側のナショナリズムや思想史に関する学術的研究のレベルが非常にお粗末なことだ。特にヨーロッパのナショナリズムなどに係る基礎研究の底が浅い。自分たちのやることによって、足下の中国で何が起きるか、日本ではどうか、という見通しができていない。この点、日本のアカデミズムや民間には優れた知的集積がある。これを外交に活かすのもインテリジェンスの任務だ。
もう一つ、中国問題で参考になるのは、行き詰まったら戦線を広げる、というインテリジェンスの世界の定石だ。たとえば、中央アジアや新疆ウイグル自治区を安定させるための日中協力をやるとか。
行き詰まった外交案件はひとまず放っておいて、思いがけない局面に布石を打つ、という戦略をとればよい。行き詰まったら、戦線を拡大するのだ。
□佐藤優/手嶋龍一『インテリジェンス 武器なき戦争』(幻冬舎親書、2006)の「第3章 日本は外交大国たりえるか」
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