語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【佐藤優】&手嶋龍一 腰砕け対中外交のカンフル剤 ~交渉に必要な論理能力~

2016年03月11日 | ●佐藤優
(1)薄っぺらい論理
 外交は「薄っぺらい論理」が重要だ。
 たとえば、2005年春、北京の日本大使館や上海の総領事館が民衆に襲撃された。これは「大使館に石を投げたヤツは国際法違反で悪い」というだけの薄っぺらい論理でいい。2004年5月の上海総領事館の館員自殺事件も、「中国の公権力がウィーン条約に違反するアプローチを仕掛けてきた」という薄っぺらい論理でいい。
 そこに歴史問題などを絡めると複雑になりすぎる。だから、薄っぺらい論理で土俵を制限し、勝てる状況を作って対応すればいいのだ。
 ところが、日本外交は何もしない。上海の総領事館員が中国当局から脅迫されて自殺したなら官邸に報告してしかるべきなのに、それもしない。
 中国と事を構えるのが嫌だからだ。ネガティブなことで中国と外交交渉をしたくないのだ。仕事と私生活の双方で中国に対する「借り」が大きくなっているからだ。弱みを握られているヤツが外務省幹部にいる。

(2)日本外務省の抱える矛盾
 そもそも、日本の安全保障体制は、二つの有事を想定している。朝鮮半島の有事と台湾海峡の有事だ。
 中国政府は、台湾問題に日本が関与することを、認めようとしない。台湾は中国と密接不可分な領土であり、日本はポツダム宣言で台湾の領有権を放棄したはずだ、と。だから、日米安全保障体制の想定する「極東」の範囲に台湾を含めることに一貫して反対してきた。
 そして、この中国側の見解に寄り添った姿勢をとってきたのが、日本外務省の「チャイナ・スクール」の面々だ。
 実際、日米ガイドラインの見直しが国会で議論されたとき、日本外務省の抱えるこの矛盾をはしなくも露呈させてしまった。極東の範囲をめぐる答弁で、将来の有力な次官候補だった高野紀元北米局長の首がとんだ。
 当時の竹内行夫条約局長が煽って、そのツケを高野が支払わされたのだ。
 竹内条約局長も当事者の一人だった。安全保障という大事な問題ですら、中国に毅然たる対応をとれないのだから、上海の総領事館のような機微に触れる案件では、なおさらだ。

(3)外交官の能力劣化
 もっと根本的な問題は、今の外交官たちの論理能力が弱くなっていることだ。理詰めで物事を詰めていくことができなくなっている。
 事例はやや古いが、小泉純一郎元首相は靖国参拝を強行した。一見、強気だったように見える。しかし、佐藤は「腰砕け」と断じる。なぜか。
 靖国神社をめぐる論争とか、死者の魂をめぐる論争は、シンボルをめぐる論争だ。人間の表象能力にとって、それはいくらでもエスカレートさせることができる。こういうものを日中関係からできるだけ外さなければならない。だからこれも、薄っぺらい論理で押し通せばいい。
 すなわち、日本は主権国家であり、民主主義国だ。その日本で、小泉は総裁選その他で靖国に行く、と公約した。小泉は民主的手続きによる二度の選挙と一度の参議院選挙によって国民の支持を得た。日本は民主的な主権国家である、と前提すれば、総理大臣が公約を履行することに何の問題もない。だから、これは譲れない国民国家の原理原則だ。・・・・このように言わなければならない。
 安部晋三元首相は靖国神社参拝について何の公約もしなかった。だから、そもそも問題が存在しない。したがって、外交交渉で取りあげる必要はない。こういう「薄っぺらい論理」でいいのだ。

(4)外交専門家の役目
 とにかく、政治家の判断を支える論理を組み立てるのが外交専門家の仕事だ。
 理屈の真理は幾つもあって、それぞれ同格だ。その中でどう折りあいをつけるかは、政治家が判断することだ。テクノクラート(官僚)が言うべきことは、「靖国神社に行ったら滅茶苦茶なことになりますよ。しかし、それでも行くなら、その上で対中外交を組み立てなければならないですね」・・・・だ。そして、時の総理を支えるために官僚としての全能力を投入する。それだけのことだ。
 なお、中国問題で気をつけなければならないのは、中国側のナショナリズムや思想史に関する学術的研究のレベルが非常にお粗末なことだ。特にヨーロッパのナショナリズムなどに係る基礎研究の底が浅い。自分たちのやることによって、足下の中国で何が起きるか、日本ではどうか、という見通しができていない。この点、日本のアカデミズムや民間には優れた知的集積がある。これを外交に活かすのもインテリジェンスの任務だ。
 もう一つ、中国問題で参考になるのは、行き詰まったら戦線を広げる、というインテリジェンスの世界の定石だ。たとえば、中央アジアや新疆ウイグル自治区を安定させるための日中協力をやるとか。
 行き詰まった外交案件はひとまず放っておいて、思いがけない局面に布石を打つ、という戦略をとればよい。行き詰まったら、戦線を拡大するのだ。

□佐藤優/手嶋龍一『インテリジェンス 武器なき戦争』(幻冬舎親書、2006)の「第3章 日本は外交大国たりえるか」
     ↓クリック、プリーズ。↓
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ  人気ブログランキングへ  blogram投票ボタン
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【アベノミクス】マイナス金利は自己矛盾、「異次元緩和」の自己否定

2016年03月11日 | 社会
 (1)マイナス金利政策は、2013年4月から3年近くやってきた「異次元緩和」の自己否定だ。自己矛盾の露呈だ。
 今回のマイナス金利は、中央銀行(日銀)が市中銀行からの預かり金にマイナスの金利を付すというもの。具体的には、市中銀行から受け入れる当座預金に0.1%のマイナス金利を付す。
 これ自体は、とりたてて「サプライズ」というほどの話ではない。欧州中央銀行は2014年6月に共通通貨のユーロにマイナス金利を採用している。ユーロに参加していないスイスも、やや遅れて同じようなことをやている。北欧でもデンマークやスウェーデンは以前からやっていた。
 問題は、その順番だ。やるならマイナス金利を先にやって、それへの認識が浸透するのを待って、量的な金融緩和策をやるなら、まだ分かる。欧州中央銀行でも最初にマイナス金利を導入し、それから約1年後に量的緩和をやった。そうすれば、市中銀行は、市場金利がマイナス圏内になることを前提にして、中央銀行から債券買い入れなどのオファーに応じられるようになる。今回の日銀のやり方は逆なので、いたずらに金融市場を混乱させるだけだ。

 (2)さらに、日銀はこのマイナス金利の実施以前に預け入れていた資金についてはマイナスではなくプラス0.1%の金利をそのまま残すとしている。預けていた金融機関から見ると、新たなものはマイナスだが、これまでの預金にはプラス金利がつくので、それを引き出そうとはしないはずだ。
 ということは、これまでの量的緩和で積み上げられてきた260兆円もの資金の大部分を「動かないマネー」にしてしまうことになる。
 つまり日銀は自らやってきた量的緩和の成果の大部分を「不胎化」させてしまおう、金庫に閉じ込めてしまおう、としているわけだ。
 つまり、せっかく増やした通貨供給を今回の措置によってなかったもの同然のものにしてしまう。だから、「自己矛盾」なのだ。

 (3)異次元緩和なるものは、長期的に見れば有害無益だ。
 けれども、市場を含めて多くの人はマネー供給の思い切った拡大を行えばデフレから脱却できると信じたわけだ。だから一定の効果が出た面もあるだろう。
 ところが、今回のマイナス金利では、それを覆すものになる。マネー供給させ増やせばいい、という政策を一転させて、今度は増やしたマネーを金庫に閉じ込めようとするとは、危ない政策転換だ。大規模な量的緩和とマイナス金利を併用したいのなら、それなりに守るべき手順がある。そうでないと、金融システムが不安定になりかねない。
 今のところは、マイナス金利と言っても、幅は0.1%で、それも新規預け入れ金だけが対象だから、金融システムへの影響はすぐには現れないだろう。
 しかし、影響は金融機関の利ザヤ縮小という形でじわじわ出てくるはずだ。下手をすると、かつての金融不安の再来になるかもしれない。

 (4)では、今度のマイナス金利政策に何の効果もないのか?
 中央銀行の預かり金にマイナス金利を付すこと自体は、市中銀行間の取引における金利、つまり市場金利をマイナス方向へ引き寄せる要因になるから、その限りにおいては一定の金融緩和効果はあるだろう。
 しかし、そうした効果には限界があり、今の日本と世界の喫緊の課題である「流動性の罠」の解決にはならない。
 要するに、こうしたやり方での金利のマイナス誘導には限界がある。
 もしかすると、金融システム動揺への懸念から生じる副作用の方が大きいかもしれない。
 マイナス金利と言っても、その大きさはコンマ以下の数パーセントが限界だ。それより先のマイナス領域に突き進もうとしても、決済手段であると同時に金利ゼロが保証されている金融資産でもある現金保有が増えるだけだ。統制経済にでも逆戻りしなければ、金利を下げられなくなる羽目に陥る。ケインズのいわゆる「流動性の罠」という状態だ。

 (5)金融政策ではなく「景気対策をおこなう中央銀行」の時代は終わるのではないか。もはや限界があることがはっきりしてきた景気政策にしがみつくのではなく、中央銀行たちにはもっと考えるべきことがあろうだろう。
 マイナス金利をつけるとしても、市中銀行から受け入れる当座預金にではなく、シルビオ・ゲゼル【注】の提起したように銀行券(貨幣)そのものにマイナス金利を付けるのが本筋だ。
 行き詰まった通貨システムの未来を本気で切り開こうとするなら、「預かり金にマイナス金利」などという小手先の手法ではなく、「銀行券そのものに金利」を付ける方法を検討したほうがよい。ゲゼルが提案したような素朴な方法でなく、「フィンテック」などと呼ばれる技術も活用して、実質的に現金にマイナス金利を付けることになるやり方とか。

 【注】ドイツ人の実業家/経済学者。1862~1930年。一定の期間ごとに減価していく「自由貨幣」を提案。1週間ないし1ヶ月間を過ぎた紙幣については、一定額のスタンプを購入し、貼付しなければ使用できない仕組み。使わなければ価値が下がっていく事実上のマイナス金利で、これによりカネの流通を促進させ、貸出金利を下げ、経済を活性化させる狙いがあった。

□岩村充(早稲田大学教授/元日銀マン)・談/片岡伸行(編集部)・聞き手とまとめ「マイナス金利は自己矛盾」(「週刊金曜日」2016年3月4日号)
     ↓クリック、プリーズ。↓
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ  人気ブログランキングへ  blogram投票ボタン

 【参考】
【金子勝】マイナス金利は銀行経営を圧迫し泥沼へ
【佐々木実】異次元緩和の戦線拡大で高まるリスク ~マイナス金利~
【野口悠起雄】誰が負担するのか? ~マイナス金利のコスト~
【金融】浮かび上がる二つの懐疑的視点 ~市場関係者に訊くマイナス金利~
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする