(1)河上肇が「大阪朝日新聞」に「貧乏物語」を連載したのは、1916(大正5)年9月から12月にかけてで、ちょうど100年前だ。書籍化された『貧乏物語』【注】は大ベストセラーになった。
執筆当時の河上は37歳、前年に欧州留学から帰国したばかりだった。
『貧乏物語』が提示した「貧乏」は、「金持ちもいれば貧乏人もいる」といった相対的な貧乏ではない。「いくら働いても、貧乏は免れえぬぞという『絶望的の貧乏』」「多数人の貧困」である。つまり市場社会が生んだ貧困問題で、今でいえばワーキング・プア問題の認識に近い。
日清・日露戦争を経て、日本では工業が発展する一方、貧富の差が拡大し、やがて米騒動などが起きる。「経済成長のもとでなぜ大量貧困か」・・・・そんな問題意識が芽生え始めた時期、河上は英国の貧民調査あどを引用して「貧乏」をわかりやすく説いた。
(2)『貧乏物語』を読んで経済研究や社会運動を志す人びとも多かったが、社会主義者たちは『貧乏物語』に厳しい批判を浴びせた。例えば、堺利彦だ。
<博士は義憤を有する学者に相違ない。只その義憤を力に依って発露させるだけの決意がなく、寧ろ涙を以て自ら慰め人を動かそうとしている>【「新社会」1919年3月号】
堺の批判は、河上の貧困解決策に向けられた。当時の河上はまだマルクス経済学者ではない。「社会組織の改造」と「人心の改造」を二頭立て馬車としながら、「社会組織の改造より人心の改造がいっそう根本的」と河上は主張し、「富者の自発的な奢侈の廃止」を具体策として掲げた。富める者に贅沢品の消費を控えさせるという提言に、社会革命を目指す社会主義者が鼻白んだのは無理もない。
だが、『貧乏物語』は素朴ではあるものの、河上なりの資本蓄積論だった。贅沢品の消費を手控えて蓄積した資本を供給能力の向上に振り向ければ、必需品の生産を増やすことができ、貧困問題に対処できる。戦後の経済学で花開く経済成長論の先駆け的思考ともいえ、充分とはいえずとも、河上独自の経済学を予見させる論考だった。
(3)しかし、『貧乏物語』以後、マルクス経済学者の櫛田民蔵などから痛烈に批判された河上は、「マルクス主義一本槍で進んでいこうとい決意」するに至る。『資本主義経済学の史的発展』を上梓した44歳のときだ。
その後、京都大学教授を辞職、日本共産党に入党後、治安維持法違反で4年半の獄中生活の波瀾の歳月を過ごすが、河上独自お思考はむしろ陰をひそめた。
(4)欧米の経済学を吸収してなお輸入学問に終わることなく、河上は現実を捉えて思考することができた。書記の論文「日本農政学」などにその力量は示されている。若いころ、内田鑑三に感化され、「絶対的非利己主義」を終生の課題とした河上は、思想家としても類い稀れな資質を備えていた。経済思想を構築しうる経済学者だったのだ。
マルクス主義に引き寄せられた河上は、1919(大正8)年5月の30版を最後に、『貧乏物語』を絶版にした。
日本のリベラリズムの源流(土壌)を考えるとき、河上が『貧乏物語』を放擲したことの意味は小さくない。
【注】
「【佐藤優】『貧乏物語』と現代 ~『貧乏物語』を読む前に~」
「【佐藤優】『貧乏物語』の解説とあとがき ~問題解決の方策~」
□佐々木実「貧乏を描いた河上肇『貧乏物語』 100年目に問う「絶版」の意味」(「週刊金曜日」2016年9月30日号)
↓クリック、プリーズ。↓
【参考】
「【米国】大統領選の主役は「アウトサイダー」 ~トランプ=サンダース現象が生んだ亀裂~」
「【政治】新自由主義に鼓舞される復古主義 ~自民党改憲案の「第22条問題」~」
「【佐々木実】異次元緩和の戦線拡大で高まるリスク ~マイナス金利~」
「【言論】マッカーシズムの教訓 ~政治権力と言論~」
「【経済】国家戦略特区で起きた肝移植問題 ~神戸~」
「【東芝】「不正会計」の主役は安倍ブレーン ~産業競争力会議の犯罪者~」
「【企業】大赤字・無配でも社長は高額報酬 ~ソニー「経営改革」の蹉跌~」
「【ピケティ】現象を生んだ思想の空白 ~「格差」と経済学のゆくえ~」
「【安保】進む武器輸出 急接近する“戦争”と“ビジネス”」
「【経済】子どもに貧困を押しつける日本 ~再分配機能の不全~」
「【経済】宇沢弘文の「自己を見返す力」 ~知識人とは何か~」
「【経済】日本銀行総裁の資質 ~“平成の鬼平”と“パペット”~」
「【経済】宇沢弘文が残したもの ~社会的共通資本の思想~」
執筆当時の河上は37歳、前年に欧州留学から帰国したばかりだった。
『貧乏物語』が提示した「貧乏」は、「金持ちもいれば貧乏人もいる」といった相対的な貧乏ではない。「いくら働いても、貧乏は免れえぬぞという『絶望的の貧乏』」「多数人の貧困」である。つまり市場社会が生んだ貧困問題で、今でいえばワーキング・プア問題の認識に近い。
日清・日露戦争を経て、日本では工業が発展する一方、貧富の差が拡大し、やがて米騒動などが起きる。「経済成長のもとでなぜ大量貧困か」・・・・そんな問題意識が芽生え始めた時期、河上は英国の貧民調査あどを引用して「貧乏」をわかりやすく説いた。
(2)『貧乏物語』を読んで経済研究や社会運動を志す人びとも多かったが、社会主義者たちは『貧乏物語』に厳しい批判を浴びせた。例えば、堺利彦だ。
<博士は義憤を有する学者に相違ない。只その義憤を力に依って発露させるだけの決意がなく、寧ろ涙を以て自ら慰め人を動かそうとしている>【「新社会」1919年3月号】
堺の批判は、河上の貧困解決策に向けられた。当時の河上はまだマルクス経済学者ではない。「社会組織の改造」と「人心の改造」を二頭立て馬車としながら、「社会組織の改造より人心の改造がいっそう根本的」と河上は主張し、「富者の自発的な奢侈の廃止」を具体策として掲げた。富める者に贅沢品の消費を控えさせるという提言に、社会革命を目指す社会主義者が鼻白んだのは無理もない。
だが、『貧乏物語』は素朴ではあるものの、河上なりの資本蓄積論だった。贅沢品の消費を手控えて蓄積した資本を供給能力の向上に振り向ければ、必需品の生産を増やすことができ、貧困問題に対処できる。戦後の経済学で花開く経済成長論の先駆け的思考ともいえ、充分とはいえずとも、河上独自の経済学を予見させる論考だった。
(3)しかし、『貧乏物語』以後、マルクス経済学者の櫛田民蔵などから痛烈に批判された河上は、「マルクス主義一本槍で進んでいこうとい決意」するに至る。『資本主義経済学の史的発展』を上梓した44歳のときだ。
その後、京都大学教授を辞職、日本共産党に入党後、治安維持法違反で4年半の獄中生活の波瀾の歳月を過ごすが、河上独自お思考はむしろ陰をひそめた。
(4)欧米の経済学を吸収してなお輸入学問に終わることなく、河上は現実を捉えて思考することができた。書記の論文「日本農政学」などにその力量は示されている。若いころ、内田鑑三に感化され、「絶対的非利己主義」を終生の課題とした河上は、思想家としても類い稀れな資質を備えていた。経済思想を構築しうる経済学者だったのだ。
マルクス主義に引き寄せられた河上は、1919(大正8)年5月の30版を最後に、『貧乏物語』を絶版にした。
日本のリベラリズムの源流(土壌)を考えるとき、河上が『貧乏物語』を放擲したことの意味は小さくない。
【注】
「【佐藤優】『貧乏物語』と現代 ~『貧乏物語』を読む前に~」
「【佐藤優】『貧乏物語』の解説とあとがき ~問題解決の方策~」
□佐々木実「貧乏を描いた河上肇『貧乏物語』 100年目に問う「絶版」の意味」(「週刊金曜日」2016年9月30日号)
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【参考】
「【米国】大統領選の主役は「アウトサイダー」 ~トランプ=サンダース現象が生んだ亀裂~」
「【政治】新自由主義に鼓舞される復古主義 ~自民党改憲案の「第22条問題」~」
「【佐々木実】異次元緩和の戦線拡大で高まるリスク ~マイナス金利~」
「【言論】マッカーシズムの教訓 ~政治権力と言論~」
「【経済】国家戦略特区で起きた肝移植問題 ~神戸~」
「【東芝】「不正会計」の主役は安倍ブレーン ~産業競争力会議の犯罪者~」
「【企業】大赤字・無配でも社長は高額報酬 ~ソニー「経営改革」の蹉跌~」
「【ピケティ】現象を生んだ思想の空白 ~「格差」と経済学のゆくえ~」
「【安保】進む武器輸出 急接近する“戦争”と“ビジネス”」
「【経済】子どもに貧困を押しつける日本 ~再分配機能の不全~」
「【経済】宇沢弘文の「自己を見返す力」 ~知識人とは何か~」
「【経済】日本銀行総裁の資質 ~“平成の鬼平”と“パペット”~」
「【経済】宇沢弘文が残したもの ~社会的共通資本の思想~」