語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【南雲つぐみ】ウド ~漢方的効果~

2018年03月20日 | 医療・保健・福祉・介護
 山ウドは、野山や雑木林に自生する旬の山菜だが、市場に出回っているのは、暗所で柔らかく栽培された白いウドがほとんど。
 皮をむき、短冊切りにして、酢水につけてアクを抜き、さっとゆでる。するとシャキシャキしたさわやかな歯ごたえが、少しの苦みとともに味わえる。くせがないので、酢みそもいいが、みそとマヨネーズをあえてサラダにするのも良い。
 食品成分表で見ると、カリウムは含まれているが、マグネシウム、カルシウム、葉酸は若干量で、あとはほとんどが水分だ。その分、エネルギーも少ないので、ダイエット中でも気にしないで食べられる。また、香り成分であるジテルペンアルデヒドに血液循環を良くする作用があるといわれている。
 一方、漢方ではウドの根の部分は「独活(どっかつ)」といって、血液循環を良くして肩凝りなどの痛みを和らげる漢方薬の素材として使われている。市販薬では、「独活葛根湯」や「独活寄生丸」がある。「独活葛根湯」は、マウスでの研究では関節リウマチへの効果が確認されている。

□南雲つぐみ(医学ライター)「ウド ~歳々元気~」(「日本海新聞」 2018年3月16日)を引用
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【佐藤優】沖縄における魂観 ~宗教と資本主義・国家~

2018年03月20日 | ●佐藤優
 <同時に、母親にも私にも日本の神道に対する沖縄的なアンビバレントな感覚もあります。沖縄にはいわゆる神道的な発想ではなく、ニライカナイという発想があるのです。海のはるか向こう側に異郷があり、良いことも悪いことも両方そこからやってくる、という発想です。そこは地獄であるとともに楽園であるような、不思議な場所です。物事を二元的に理解する背景には、そういう発想もあるように思います。
 (中略)
 沖縄では魂を「マブイ」と言いますが、マブイは六つあるといわれています。
 去年、二十歳の女性が米軍属(元海兵隊員)に殺された事件がありました。彼女のお父さんは私と同年ですが、娘の白骨の死体が出たとき、彼が「ここにはマブイがない。いくつか欠けている」といったという記事を琉球新報で読みました。大怪我をしたり怖い目に遭うと、マブイはその人から落ちてしまいます。だから彼は、娘がひどい目に遭い、殺された現場で落ちたマブイを探し、もう一回娘に魂を込めないといけないといって歩いている、と。
 魂をもう一回その人に込める儀式を「マブイグミ(魂込め)」というのですが、沖縄にはそういう魂観があるから、たぶん私の母親も、靖国神社を思っているときの魂と、教会に行って聖書を読んでいるときの魂は違う魂だったのでしょうね。>

□池上彰・佐藤優・松岡正剛・碧海寿広・若松英輔『宗教と資本主義・国家 激動する世界と宗教』(KADOKAWA、2018)の「第Ⅰ部 対論」の「沖縄における魂観」から一部引用

 【参考】
【佐藤優】国が追悼施設をつくるべきではない(靖国問題) ~宗教と資本主義・国家~
【佐藤優】「国家主義教」 ~宗教と資本主義・国家~
【佐藤優】出世教、学歴教、etc. ~宗教と資本主義・国家~
【佐藤優】お金という神さま ~宗教と資本主義・国家~
【佐藤優】人間の思考と魂の根底に迫る ~宗教と資本主義・国家~
【佐藤優】『宗教と資本主義・国家 激動する世界と宗教』の目次

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【佐藤優】国が追悼施設をつくるべきではない(靖国問題) ~宗教と資本主義・国家~

2018年03月20日 | ●佐藤優
 <例えば、閣僚による靖国神社公式参拝は、特定宗教と国家の癒着で良くないとする論者の中には、靖国神社に代わる宗教的に中立な追悼施設をつくるべきだと主張する人がいます。私はこの考えには反対です。なぜなら、追悼行為自体が、必ず宗教性を孕むからです。もし宗教的に中立な国立の追悼施設をつくったら、かえって国教的な性格の強い場所になってしまうはずです。これは政教分離の原則からしてもおかしいと思います。
 何をもっって宗教とするかという問題は、結構難しいものです。英語の religion、ラテン語の religio という語には「結びつける」という意味もあります。宗教学の教科書には、いろいろなものを結びつけるものを宗教という、と書いてあります。しかし例えば神学者のオットー・キルン(1857~1911)などは「そうではない、 religio は畏敬の念を持つところから生まれたのだ」といいます。別のラテン語の語源から定義する人もいます。ただ、「畏敬の念を持つ」でも「結びつける」でも、宗教の語源には必ず合理性を超えた要素が含まれるのです。
 そのような要素を持つ宗教と国家をどう結びつけていくのか。これは、たいへん難しい問題です。
 (中略)
 何かの施設をつくるという形で国家にできることはあまりないのではないか、と私は思います。だから、靖国神社に英霊がいると思う人は靖国神社に行けばいい。英霊がいないと思う人は行かなければいい。そういう多元的な形で、社会の中で解決していく問題ではないでしょうか。>

□池上彰・佐藤優・松岡正剛・碧海寿広・若松英輔『宗教と資本主義・国家 激動する世界と宗教』(KADOKAWA、2018)の「第Ⅰ部 対論」の「靖国問題。国が追悼施設をつくるべきではない」から一部引用

 【参考】
【佐藤優】「国家主義教」 ~宗教と資本主義・国家~
【佐藤優】出世教、学歴教、etc. ~宗教と資本主義・国家~
【佐藤優】お金という神さま ~宗教と資本主義・国家~
【佐藤優】人間の思考と魂の根底に迫る ~宗教と資本主義・国家~
【佐藤優】『宗教と資本主義・国家 激動する世界と宗教』の目次

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする