<【資本主義の中で宗教が果たせる役割--虐げられている者、貧しい者に寄り添って、その人たちのために行動することが宗教者には求められていることについて】
それはその通りだと思います。ただ、宗教者にはもう一つの道があると思います。例えば国家権力の中に入っていくことです。国家権力が暴走しそうなとき、そこに歯止めを掛けるのも、信仰的良心として非常に重要なのです。
社会のあらゆるところに、本来宗教は入り込んでいます。人間は悪の方向に向かいやすいので、その軌道修正をするのも宗教者の役割です。さらにそこで、名を求めて「自分がこれをしたのだ」と主張せずにいることが期待されていると思います。
(中略)
ロシアのニコライ・ベルジャーエフ(1874~1948)という宗教哲学者は、本当の意味の無神論者は一人もいない、無神論という宗教、唯物論という宗教を信じているのだ、といいました。
(中略)
このマルクスの考え方は、むしろユダヤ教の中にある、この世の終わりの日に楽園をつくることはできるのだ、という考えと似てきます。300年後ぐらいの宗教辞典には、「マルクス主義」の説明が「19世紀から20世紀に影響のあったユダヤ教の一派」などと書かれるかもしれませんよ。突き放して眺めるとそういうことかもしれません。
重要なのは世界宗教だと思います。イスラムもキリスト教も仏教も、世界宗教的な普遍性を持っています。このこととグローバル資本主義というのはどこで絡み合い、どこで絡み合わないか、という問題です。
しかし、この結論は実は先取りされているのです。宗教者は、資本やお金の論理ではなく、貧しき者、虐げられた者たちとともにある者のことだ、ということです。しかし、それをどのように、どういう形で行うか、これを考える必要があります。
(中略)
【東日本大震災で宗教者が自分たちには何ができるかということを改めて考えるようになったのではないか、という点について】
私もその点は賛成です。それは既存の仏教、キリスト教だけではなく、さまざまな新宗教も同様ですね。新しい宗教というものに、イスラムも入れていいと思います。日本においては新しい宗教だ、という意味です。さまざまな新宗教も、その中で同様に重要な役割を果たしているのだ、と考えていい。日本はある意味で、宗教のデパートのようなところがありますから。
(中略)
こうした宗教とどのようにしてコミットしていくかが、重要だと思います。コミットといっても、その宗教の信者になる必要はありません。例えば同志社大学神学部は、洗礼をまったく受験の条件にしません。私の教えている学生にも、キリスト教のことがよくわかるセンスのいい学生がいますが、クリスチャンになる気はありません。それで構わないと思います。いつかそのキリスト教的な発想が、どこかで生きてくれればいいのです。おそらく仏教を教えている大学でも同じことがいえるはずです。
□池上彰・佐藤優・松岡正剛・碧海寿広・若松英輔『宗教と資本主義・国家 激動する世界と宗教』(KADOKAWA、2018)の「第Ⅰ部 対論」の「宗教者とは、貧しき者、虐げられた者たちとある者だ」から一部引用
【参考】
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【佐藤優】キリスト教にとってのお金 ~宗教と資本主義・国家~」
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【佐藤優】オウム事件が他人事ではない理由 ~宗教と資本主義・国家~」
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【佐藤優】革命再考 ~宗教と資本主義・国家~」
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【佐藤優】時間とお金を何に使うか ~宗教と資本主義・国家~」
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【佐藤優】資本主義的な論理を超えて ~宗教と資本主義・国家~」
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【佐藤優】「本来の宗教」は存在するのか ~宗教と資本主義・国家~」
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【佐藤優】死生観の変化が私たちにもたらすもの ~宗教と資本主義・国家~」
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【佐藤優】独身であることと権力 ~宗教と資本主義・国家~」
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【佐藤優】個別性と普遍性 ~宗教と資本主義・国家~」
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【佐藤優】宗教に関する訳語 ~宗教と資本主義・国家~」
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【佐藤優】宗教が土着化するということ ~宗教と資本主義・国家~」
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【佐藤優】沖縄における魂観 ~宗教と資本主義・国家~」
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【佐藤優】国が追悼施設をつくるべきではない(靖国問題) ~宗教と資本主義・国家~」
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【佐藤優】「国家主義教」 ~宗教と資本主義・国家~」
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【佐藤優】出世教、学歴教、etc. ~宗教と資本主義・国家~」
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【佐藤優】お金という神さま ~宗教と資本主義・国家~」
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【佐藤優】人間の思考と魂の根底に迫る ~宗教と資本主義・国家~」
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【佐藤優】『宗教と資本主義・国家 激動する世界と宗教』の目次」