語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

書評:『神戸発 阪神大震災以後』

2010年04月17日 | 震災・原発事故
 分担執筆者それぞれの現場からの報告である。
 たとえば、被害の大きかった長田区で奇跡的に被害をまぬがれた神戸共同病院の婦長【注】。
 システムの不備が指摘されている。災害によって医療・福祉システムの意外な盲点があらわになったのだ。重症患者受け入れ病院の情報の集中はあるが、寝たきり患者を予防的に受け入れる病院の情報は行政にないのであった。いざという時の支援は、日頃のネットワークのほうが頼りになった(全日本民主医療機関連合会の支援)。
 医療職らしい考察もある。避難者に係る栄養不良の科学的データ(摂取カロリーは平均12%の不足、タンパク質は必要量の55%しかとれていない、カルシウムは45%、鉄分は35%、ビタミンA・B1・B2・C・ナイアシンは27~60%)を示し、これが肺炎多発につながった、と推定している。
 意義ある支援についても言及されている。あちこちの市町村や温泉地が1、2泊から数週間、被災者を無料招待した。カナダ、ニュージーランドでは、被災者受け入れの低料金ツアーもあった。淋しい思いをしている子どもたちのみならず、(実際には出かける余裕のなかった)看護婦も、一時的にせよ、そこから抜け出すことで、新たに現実へ立ち向かう力を得たのだ。現地では、支援にあたるべき人もまた被災者であった。この病院の医療スタッフも、通勤難等の理由で1割が辞めた。

 このほか、尼崎の高齢者支援の中心になった特別養護老人ホーム「園田苑」の施設長、災害時の障害者に目くばりした元神戸新聞編集委員、住民の立場から新たなまちづくりを提案する前西須磨まちづくり事務局長、災害時における学校と子どもに焦点をあてた神戸市在住のジャーナリスト、行政や制度の矛盾の隙間でボランティア活動を展開した牧師、災害時における「文化」がはたす役割を前面に押しだした書店主が、それぞれの立場と観点から書いている。
 共通するのは、住民の生活に視座をおくまちづくりへの強い希求である。これは、当然ながら、住民との対話をほったらかしにして震災後まもない時期に道路や空港の建設を急ぎ、あるいは六甲山の地下330mに総工費500億円をかけて工事を強行しようとする市当局に対する強い批判ともなっている。

 本書は、阪神・淡路大震災からまだ5か月しかたっていない6月に刊行された。原稿は、もっとはやい時期にできあがっていただろう。現地の人々は生活に追われ、心労が重なっていたはずだ。被災地の現状をはやく世に知らせなければならない、という使命感が書かせたのにちがいない。
 こういった証言は、その後集約され、整理され、被災地の自治体はもとより他の自治体や国の対策に昇華された、と思う。
 だからといって、本書あるいは被災からまもない頃の証言が無価値になったわけではない。むしろ逆である。その把握していた事実や考察に制約があるとしても、震災対策の原点はこれら生の声にある。

 【注】
 看護婦は、2001年以降は看護師(保健師助産師看護師法)。

□酒井道雄編『神戸発 阪神大震災以後』(岩波新書、1995)
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書評:『いのちの贈り物 -阪神大震災を乗りこえて-』 ~ゲシュタルト・セラピー~

2010年04月16日 | 震災・原発事故
 収録された9編のエッセイそれぞれにおいて、兵庫県南部地震の被災者群像が描かれる。
 ただし、単に事実を伝えるルポタージュではない。

 たとえば、「暗闇の中で」。
 西宮市で古い大きな一軒家におばあさんが住み、庭に家を建てて息子夫婦が住んでいた。孫(幼稚園年長組の男児)が祖母宅に泊まった翌朝、震災にあう。家は崩壊したが、箪笥と天井からおちてきた太い梁がわずかな隙間をつくり、二人の命をすくった。身動きできない中、祖母は孫を抱いて木下順二作『わらしべ長者』を物語る。
 「このわらが、次は何に変わるのかな?」などと問いかけながら。話が一段落すると、こんどは孫が語り手に交替して問いかけ、祖母が答える。二人だけの独自のストーリーが自然にできていった。
 最初「ファミコンソフトかな」と答えていた孫が「おにぎりかな、セーターかな」「包帯」と身近なものを挙げるようになる。この返答から、孫が感じる空腹、寒さ、痛さを祖母は察知した。暗闇の中ですごすこと4時間、息子夫婦の必死の救出作業がみのって、二人とも元気な状態で日の光をあびた。

 著者は、文学療法及びゲシュタルト・セラピーの専門家として知られる。
 「ゲシュタルト・セラピー? 何、それ?」と怪訝な顔をする人も、この事例を読むと、漠然とながら伝わってくるものがあるだろう。
 たとえば、先の孫は、物語のめでたく長者になった結末を聞いて、つぶやいた。「ぼく、ちっちゃな家があればいいよ。パパとママとおばあちゃんとぼくがいっしょに住むんだ」
 これを聞いて、祖母は翻然と悟るところがあった、という。

 あるいは、豪邸が崩壊した後救出され、男の子から上着、女の子からスニーカー、それも彼らが着用していたものを分かち与えられて、「その時、自分の生き方が変わりました」ともらした某実業家夫人。
 また、自分も被災したのに、別の被災者に一片のパンを分かち与えた人。こうした事例は、枚挙にいとまがない。

 著者はいう。
 この災害は、これまで自分の外にあるモノで心を満たそうとしてきた人たち、モノにしがみついた人たちの常識を揺さぶった。眠っていた魂の可能性に「気づき」をもたらした。いかに苦しくともお互いを生かし合い、人との絆を大切にする、人類の根元に対する大きな啓示となった。死者を含めて被災した人々は、人間を深みから満たすメッセージを贈り物として私たちに届けたのだ、と。

 被災する前に「気づく」人は幸いだ。

□鈴木秀子『いのちの贈り物 -阪神大震災を乗りこえて-』(中公文庫、1999)
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【映画談義】『謀議』

2010年04月16日 | □映画
 1942年冬、モスクワで戦線が膠着し、破竹の勢いで進撃してきたナチス・ドイツの軍勢にはじめて翳りが生じた。
 その頃、ヴァン湖畔の館に軍人や高級官僚が参集した。ケネス・ブラナー演じるラインハルト・ハイドリッヒ保安長官以下15名である。大多数は呼集の理由を知らなかった。
 最後に到着したハイドリッヒ長官にアイヒマン中佐が耳うちした。折りよくモスクワの戦況に話題が逸れていまして、云々。

 議題はユダヤ人の処遇であった。
 と知ると、管轄下のユダヤ人を一刻もはやく一掃してくれ、という声が早速あがった。
 かたや、ノイマン4年計画局長は労働力確保に固執する。
 ニュルンベルグ法制定の中心者ストッカート博士は法の遵守を強調した。法はユダヤ人に一定の制約を設けるが、同時に法の執行者にも一定の制約を課するのだ。内閣官房付クリンツィガー博士もまたユダヤ人問題は既に決定済みのことだと、不快の念を隠さない。

 だが、ハイドリッヒ長官とその手足となって動くアイヒマン中佐は、腹案を用意していた。この方針にそぐわない質問、意見に対しては、「それは後で」とかわしつつ、ヒトラーが公式には否定している抹殺と実質的には同一の概念、言葉だけ違う「退去」を一同に押しつける。「退去」は定義しない。その執行を委ねられたSSが恣意的に「退去」のなかみを決めるのである。

 同様に、ユダヤ人の定義も曖昧なままにしてハイドリッヒ長官は結論を急ぐ。
 ニュルンベルグ法ではハーフ、4分の1ハーフを定義し、待遇に差をつけた。ハーフは半分はユダヤ人だけれども半分はドイツ人だ、とストッカート博士は注意を喚起する。
 しかし、ハイドリッヒ長官は意に介しない。ユダヤ人の定義は先送りにし、その結果、SSの恣意に委ねられた。
 ハイドリッヒ長官の念頭にある「退去」は、効率的に多数を抹殺するガス殺であった。

 議論の流れがこの構想実現に思わしくないと見てとると、休憩を宣言して一同の注意を逸らした。
 そして、抵抗するストッカート博士とクリンツィガー博士に対して個別に圧力をかける。二人とも沈黙を余儀なくされた。いや、隠然たる影響力をもつクリンツィガー博士に対しては協力以上のものを強要し、クリンツィガー博士は恫喝に屈する。

 リトヴィアでユダヤ人2万人を射殺した結果兵士の士気が低下した、と指摘する少佐には、方法の変更、つまりガス殺を提示して大量虐殺の基本方針に議論を及ぼさせない。住民との意志疎通を重視するホフマンSS中将には、恫喝によって本音を吐かせない雰囲気にもっていく。
 かくて会場は、ハイドリッヒ長官の言うがままに、一個の意志の支配されるに至った・・・・。

 会議資料は廃棄され、後日参加者に配布された会議録も破棄を義務づけられた。公表できない政策であることは、ハイドリッヒ長官も承知の上なのであった。
 ただし、1部だけヴァンゼー文書が残存し、映画はこれに基づく、と末尾で説明がある。
 事実か否かは不明だが、歴史的事実はさて措き、集団の意志決定のありようを・・・・もっと正確にいえば、言論がねじ曲げられる力学を知るに格好の映画である。あたかもシェークスピア劇を見るかのように。反面教師として。

 フランク・ピアソン監督。ケネス・ブラナー、スタンリー・トゥッチ、コリン・ファース、ジョナサン・コイ 、 ブレンダン・コイル、 ベン・ダニエルズ出演。

□『謀議』(米・英、2001)
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書評:『ローマ人への20の質問』

2010年04月15日 | 小説・戯曲
 1992年から2006年まで長大な『ローマ人の物語』シリーズ全15巻を書き続けた著者が、折り返し地点の第8巻を刊行した頃、2冊の副読本を併せて刊行した。
 一冊は、新潮45編集部編『塩野七生『ローマ人の物語』の旅 コンプリート・ガイドブック』(新潮社、1999)である。満載された写真、地図に年表、名語録に人名録、遺跡めぐりに名店めぐり・・・・要するに、この本は資料集であり、イタリア歴史めぐりの旅のガイドブックである。
 他の一冊が本書だ。こちらはぐんと趣がかわって、ローマ帝国をめぐる著者の哲学が披露される。哲学といっても、噛んでふくめるカテキズムふうの対話だから尻ごみするに及ばない。

 たとえば、「質問1 ローマは軍事的にはギリシアを征服したが、文化的には征服されたとは真実か?」
 これに対して、ローマ人のギリシア語尊重は優れた支配感覚の証左だ、と回答してほぼ次のようにいう。「当時の東地中海では社会生活のあらゆる面にギリシア語が浸透していた。被征服国の民に自分たちの言語(ラテン語)を強制するよりも、敗者の言語を活かして、自分たちがバイリンガルたる道をローマ人は選んだ。これは、人種偏見のない開放性、多人種多民族多宗教多文化により構成される普遍帝国の統治に欠かせない支配感覚を示すものだ」と。あるいは、ローマ人自らが行う任務を特定し、他のすべてを被支配者へ委ねた寛容。あるいはまた、造形美術について、良しとすればそれが敵のものであろうとも拒否するよりは模倣する柔軟性。これらはローマ人の自信と余裕に裏うちされていたのだろう、と付言される。

 こうした質疑応答が20件続く。
 話題は徹頭徹尾「ローマ人」なのだが、それが自ずから現代日本社会に対する批評にもなっているのが興味深い。
 なかには、軽いタッチで、古代のローマ人と現代日本人との共通点をあげた問答もある。いわく入浴好き、いわく温泉好き、いわく部屋の内装好き、いわく魚好き、いわく企業家の才能。なかなかのサービス精神だ。

 全巻完結したいま、新たな「20の質問」があってよさそうなものだが、刊行されていない。柳の下の泥鰌は、著者の意に染まなかったのかもしれない。だとすると、『ローマから日本が見える』(集英社インターナショナル、2005。後に集英社文庫、2008)が「続『ローマ人への20の質問』」に相当するのだろう。

□塩野七生『ローマ人への20の質問』(文春新書、2000)
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【言葉】旅の弊害

2010年04月15日 | 批評・思想
 旅行にあまり多くの時間を費やすと、しまいには自分の生国では外国人になってしまう。また、過去の世紀に行われたことにあまり夢中になる人は、現在行われていることについて普通ひどく無知なものである。

【出典】ルネ・デカルト(谷川多佳子訳 )『方法序説』(岩波文庫、1997)

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【言葉】日本政府の交渉能力

2010年04月14日 | ミステリー・SF
 <場面:パキスタン、カイバル峠の集落>
 「午前中はチャンスを狙う。午後からは強引に出る。この考え方でいいだろう。アメリカ人の男とジャパニーズの男は、大きいから手強い。一つ間違えるとやられる、という危険が考えられるな」
 と、ザリフ・カーンはそのあたりを危惧した。
 「射殺しても・・・・?」
 そのイスマルの言葉に、金とザリフ・カーンは思わず顔を見合わせた。アメリカ人を射殺した場合、アメリカ政府がどう出てくるか、ということだった。
 「ジャパニーズは構わん。どうせあの国の政府など腰抜けで、首相も『友愛』とか空虚な言葉を弄しているお坊ちゃんだから」
 金は笑いながら言った。日本の首相など莫迦にし切っているのだ。ミャンマーでの日本人カメラマンの射殺事件など、画像が証拠として残っているにもかかわらず、及び腰の交渉に終始したことでも判った。
 「面倒だったら、ジャパニーズ・カメラマンは射殺します」

 【引用者注】
 2007年9月27日、ミャンマーのヤンゴンで、APF通信の契約ビデオジャーナリスト、長井健司(50)は、抗議デモの鎮圧を撮影中、ミャンマー軍兵士に至近距離から銃撃されて死亡した。当時の首相、福田康夫は、9月28日、制裁措置について「日本の援助は人道的な部分も多いので、いきなり制裁ではなく、他国とも相談しながらやっていかなければいけない」とだけ述べた。
 2010年4月10日、タイのバンコクで、ロイター通信日本支局のカメラマン村本博之(43)は、反政府集会を続けるタクシン元首相派と治安部隊員との衝突を撮影中、銃弾を受けて死亡した。

【出典】柘植久慶『核の闇に潜入せよ!』(実業之日本社ジョイ・ノベル、2009)
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書評:『被差別部落の青春』

2010年04月13日 | 社会
 秀逸なルポタージュである。
 いや、ルポと呼ぶには少々複雑だ。取材のテーマは書き手自身にも関係する、という構図なのだから。

 著者は、被差別の出身だ。
 祖父や親の世代の差別を聞いて育ち、脱出を図った。学生時代、問題とは縁のない生活を送るが、籍を置いていた研究会がつぶれそうになって、一転、活動に力を注ぐ。しかし、就職試験では問題にはそ知らぬ顔でとおした。
 1963年生まれの著者は、祖父母や親の世代の差別を体験していないが、自然に耳に入ってくる情報がある。公然たる差別を知ってはいるが、多くは体験していない。いわば過渡期の世代である。
 しかし、著者より後の世代はあっけからんたるもので、地区とは低家賃で住宅を借りられるところ、なじみの人が多い気やすい土地、そんな感覚らしい。姓名の公開を著者がくどく確認しても、どうぞ、なんで気にしなくちゃなんないの、という反応なのだ。
 けっこうなことだ。日常、「差別」を感じていない証なのだから。
 だが、過渡期の世代である著者は、こうしたあっけからんに必ずしもなじめないらしい。

 「ぶ、ぶ、の大爆笑」
 ドリフターズをもじって、こう書く著者は、爆笑してみせるだけの解放感はもっているが、他方、わざわざ爆笑してみせなければならない程度には問題にこだわっている。
 元新聞(神戸新聞)記者らしく、たんねんに調査し、在日朝鮮人にも視野を広げる。このあたり、プロの手際を拝見できて、興味深い。
 問いかけると、気さくに応えるけれどもこちらの聞きたいことを意図的にはずす微妙な呼吸を読みとったりもする。そこに、かえってその人の「非公開」を察するあたりに、余人にはなかなか伺いしれない、当事者だけがもつ苦みを感得されて、これもまた興味深い。

□角岡伸彦『被差別の青春』(講談社文庫、2003)
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書評:『『カムイ伝』のすヽめ』

2010年04月12日 | 批評・思想
 著者は大阪教育大学教授。巻末の著書目録をみると、同和問題、部落史を専攻しているらしい。
 白土三平『カムイ伝 第1部』(以下『カムイ伝』と略する)は、月刊漫画誌「ガロ」1964年12002年2月号から1971年7月号まで約7年間、74回にわたって連載された。総ページ数5,947ページ。当時、世界で一番長い漫画としてギネス・ブックに載った・・・・のではないか。第2部は掲載誌を替え、「ビッグ・コミック」誌に連載されたが、画は白土三平とは別の人が描いているし、主題に変化が見られるが、やはりカムイが主役を占める。ますますギネス・ブック的である。
 本書は、第1部のみを論じ、『カムイ伝』概論(第一部)、『カムイ伝』の人物論(第二部)、部落史学習と『カムイ伝』(第三部)の3部構成をなす。

 第一部では、日置藩のモデル探索が興味深い。
 日置藩は、江戸から遠く離れた外様の小藩(表高7万石)である。海岸に面して漁師町があり、クジラやカツオが獲れる。険しい山もあり、冬は大雪にみまわれる。京都所司代の管轄下にある(五畿内、紀州は入らない)。綿の栽培が可能である(東北・北陸では栽培されなかった)。以上からすると和泉国の南部、泉南郡の紀州に接したあたりに位置するはずで、岸和田藩6万石がもっとも日置藩の要件をそなえている。しかし、譜代だし、険しい山がない。よって、はっきりしたモデルはない、というのが著者の結論である。
 ちょっとガッカリさせられる結論だが、それだけ白土三平の想像力が豊かだった、と見ることもできるだろう。

 こうした史実との突き合わせがいたるところに見られ、第三部では教材として採用する場合の注意を幾つかあげる。
 たとえば時代。
 『カムイ伝』の時代は寛永年間(1624~1644)の末から寛文2年(1662)まで約20年間である。幕藩体制が確立しているという設定だが、実際に幕藩体制が確立したのはもう少し後の寛文・永宝期(1661~1681)である。幕藩体制の充実期はさらに遅れて元禄・享保期(1688~1736)あたりになる。『カムイ伝』で描かれた事例は寛文・永宝期から元禄・享保期のものが多く、史実より約10年から30年ほどずれる。具体例をあげれば、百姓一揆の形態だ。1650年代の一揆は「逃散」型が一般的で、せいぜい「代表越訴」であった。しかるに、『カムイ伝』に頻出する一揆は「強訴」である。数次にわたる玉手騒動のような村ぐるみの武力闘争は少なくとも元禄期以降、全国的には享保期以降でないと一般化しない。ちなみに1650年代に「逃散」が有効だったのは、人別帳がまだ整備されていなかったからである。人別帳は「逃散」対策でもあった。
 こうした時代考証は、漫画をつうじて江戸時代というものを知った気になる人には必要な注意だ。漫画のみならず、時代小説や時代劇にも。TVドラマ『大岡越前』をみて、第二次世界大戦後に一般家庭に普及した布団カバーを享保改革のころの長屋の住民も愛用していた、と錯覚しないために。

 本書はしかし、学者による単なる『カムイ伝』注釈ではない。作品を内側から読み解こうとする。ことに第二部において。
 実質的な主人公正助、正助を支えつつ独自の成長をとげる苔丸(スダレ)、副人物だが準主役級の天才忍者・赤目、破天荒な剣士・水無月右近・・・・登場人物を歴史と集団との関係においてとらえつつ、それぞれの個性を浮き上がらせる。
 「左卜全の実存主義」と題する人物論は、短いが、この日置(へき)流弓術の達人に対する著者の共感がにじみでている。左卜全は戦国の世を戦いぬき、辛酸を舐めつくしたあげく、「潮風にふかれ、くいたい時には漁をし、おのれの心のままに生きる」にいたる。藩に捕縛された切支丹のキク及び彼女を救おうとするクシロを助け、もって死に場所とした。その死にざまは尋常ではないが、「生きる延長線上に、そのまま<死>を迎えたような解放感がある」。
 夏目房之介は、白土漫画を画という表現から評価するが、イデオロギー面に偏した評価には反発する(『手塚治虫の冒険』第五講、小学館文庫、1998)。しかし、時代のなかの個性的な人間を剔抉する著者の手際には、評価するかどうかはさておき、反発はしないだろう。

 ところで、『カムイ伝』のモチーフは、書き続けられていくうちに変化した。当初は差別が最重要な主題だったが、巻を追うにつれて階級闘争に重点が移行している。『カムイ伝』は60年安保から70年安保、日韓条約、ヴェトナム戦争、大学紛争といった激動の時代に書かれた。白土三平は時代を見すえ、時代に棹さして生きた。当時の状況が差別より階級闘争を選択させた。・・・・これが著者の見立てである。
 これは、『カムイ伝』が一応終了しながらも、物語として完結しなかった理由を説明するだろう。差別は、静的にして固定的な構造だ。したがって、作品の長短にかかわらず、一応の結末を引きだすことができる。しかし、動いていく同時代をまるごと反映しようとするのであれば、時代の先の予測がつけがたい以上、物語にも結末をつけにくい。
 したがって永久に完結しない・・・・か、どうかは知らないが、『カムイ伝 第2部』も2006年に一応終了しながら、物語としては完結していない。それはそれで、読者は第3部を楽しみにできる。

□中尾健次『『カムイ伝』のすヽめ -部落史の視点から-』(解放出版社、1997)
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【読書余滴】藤沢周平の端正な文体

2010年04月12日 | 小説・戯曲
 向井敏『海坂藩の侍たち』でも言及されているが、藤沢作品の特徴の一つは端正な文体である。藤沢作品は主人公が町人の市井ものと武家ものに分かれ、文体の端正は両者に通じるが、やはり武家ものにおいて鮮やかで、ことに生死の境をくぐり抜ける場面に抜群の効果を発揮する。

 「そのときじゃ、勘解由はするすると三間ほど後にさがった。刀の柄に手をやるのが見えた。祖母を亡き者にしようという了見じゃ。それこそ、孫四郎どのを罠にはめた証拠じゃった。才助が用心せいと言ったとおり、勘解由の動きはなめらかに速かったが、祖母は難なくその引き足について行って、苦もなく間合いをつめた。勘解由の刀が鞘走る寸前に、祖母はぴたりと利腕に身を寄せると、ひと息に懐剣で胸を刺してやった。そう、ひと刺しじゃった」

 短編『花のあと』は、語り手が今は亡き祖母(ばば)の思い出を語るという結構で、聞き手の少年を教え諭す口調からして語り手自身も相当な年齢らしいと推定できる。叱るときも愛でるがゆえの軽い小言めいて、少年のほうも性根を入れて聞いてはいないらしく、老若ともどもじゃれあっている気配で、ほのかな笑いをさそう。
 こうした雰囲気が、語り手の祖母、すなわち以登女が若い頃に直面した事件の緊迫感をやわらげる。
 緩急の妙である。緩がはなはだしければ全体がだれるが、回想の場面はところどころ短く挿入されるだけで、ほぼ全編は緊張感に満ちた歴史的現在が地の文で進行する。

【参考】藤沢周平『花のあと -以登女お物語-』(『花のあと』、文春文庫、1989、所収)
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書評:『シャーロック・ホームズ -ガス燈に浮かぶその生涯-』

2010年04月11日 | ミステリー・SF
 シャーロック・ホームズを主人公とするコナン・ドイル作品は全60編は、秩序だてて書かれたわけではない。発表した作品が好評を博したから、次々に注文がきて、注文をこなしているうちに前述の数となったにすぎない。つまり著者ドイルはホームズの生涯を構想したうえで個々の短編を書いたわけではない。

 しかし、ひとたび公表された作品はひとり歩きする。あるいは、ひとり歩きさせる権利を読者はもつ。
 読者の権利を行使したのが本書。
 すなわち、ホームズもの全編を「史料」と見たて、事件が発生した年次に作品を並べかえて、ホームズの事績を時系列的に再構成した。
 実在しない人物の克明な伝記を、実在する資料つまり短編から再構成するという点で、遊びの極みであり、天下の奇書である。

 遊びはいたるところに見つかる。
 乏しい「史料」から想像力をふくらませ、ホームズをしてチベットで雪男を探させてみたり、ホームズとは別の主人公が活躍するドイル作品『失われた世界』を土俵に引きこんだり。チャレンジャー教授をホームズの父方の従兄弟と位置づけ、教授がロンドンで公開後逃げ出した翼竜の遁走ルートをホームズに推理させる。
 きわめつけはホームズの晩年だ。養蜂に凝ったホームズはてローヤル・ゼリーの秘密を探りあて、103歳の長寿をまっとうするのである。

 ベーカー街221番地Bの住民は実在した、と信じる(ふりをする)人は座右におくべきだ。
 原注、訳注が豊富で親切。著者・訳者の研鑽のほどがしのばれる。ホームズ年譜、英国の貨幣制度と当時の物価など、便利な付録もある。ただ、この手の本に必須の索引がなく、画竜点睛を欠くのが惜しい。

□W・S・ベアリング=グールド(小林司、東山あかね訳)『シャーロック・ホームズ -ガス燈に浮かぶその生涯-』(講談社、1977、後に河出文庫、1987)
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書評:『妖怪天国』

2010年04月10日 | エッセイ
 水木しげるの故郷、鳥取県境港市の水木しげるロードには、134体の妖怪ブロンズ像が設置されている。このたび、また一体がくわわった。水木しげる夫妻のブロンズ像である。
 2010年3月8日、ちょうど88歳の誕生日を迎えた水木しげるは、除幕式に細君とともに出席した。天下晴れて、夫妻ともども妖怪の仲間に加わったのである。

 仲間入り? いや、妖怪は、もともと水木しげるの仲間だったのだ。
 むしろ、水木しげる自身の分身である、といったほうが妥当だろう。

 たとえば、ねずみ男。
 水木しげるは、本書で、「ヒル寝は自然の掟である」と断じ、「睡眠は百薬の長」と宣言する。グータラなねずみ男が水木しげるの分身であることは明かだ。

 もっとも、昼寝は水木しげる独りの特徴ではない。南国の民は、公然と、かつ、さかんに昼寝する。スペイン語圏では、シエスタと呼ばれる午睡の習慣がある。
 地球の裏側まで行かずとも、本書によれば、ニューギニアをはじめとする「南方」の人は、自然の知恵に身を任せて暑ければ眠り、餓えない程度に働けばよいらしい。すくなくとも、戦時下に訪れた水木しげるにはそう見えた。
 本書には書かれていないが、マレーシアには「山には果実があり、海には魚がいる。何をあくせくすることがあろうか」ということわざがある。

 とはいえ、鬼太郎をはじめ、かずかずの妖怪を量産(または発見)した水木しげるが、昼寝ばかりして1世紀ちかくを過ごしてきたはずはない。
 じじつ、本書には、締切に追われるその先には「人生の締切」が待ちかまえている、という考察もある(「締切病」)。
 してみれば、妖怪は、水木しげるにとってあり得たかもしれないもう一人の自分であり、こうありたかった別の自分である、とも言える。これはこれで、また、水木しげるの分身である。

 さればこそ、水木しげる描くところの妖怪は、タマネギの皮をむくように実人生の垢を剥いでいって、なお残る精気のようなものなのだ。飄々として、稚気さえある。番町皿屋敷のお化け、「一枚、二枚・・・・」の怨念はない。
 じじつ、本書には、「素直に一枚づつ皮をはぐように生きながら死んでゆき、最後にぼけるというのは最高の死に方だろう」などとも書かれている。ハイデガーのいわゆる「死に向かう存在」のようには堅固ではなく、構えていない。死も冥界も日常生活の延長にあり、生活の一部だ。
 水木漫画の妖怪が、老いたるにも若きにも幼きにも愛される所以だろう。

 本書は、1970年代から随所に書かれたエッセイを収録する。おはこの妖怪談義のほか、少年期や従軍期の回想、人生論などテーマは雑多だ。
 なお、各エッセイの初出の時期が明記されていないのは、時空を超越する妖怪的な演出・・・・ではなくて、ねずみ男的編集者の単なる怠慢だ、と思う。

□水木しげる『妖怪天国』(筑摩書房、1992)
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【言葉】書物の教訓

2010年04月10日 | 詩歌
  なぜなら書物という書物は
  こうして明日また同じように生きてゆくもののためにだけあったからだ。

【出典】堀川正美「書物の教訓」(『堀川正美詩集』思潮社 現代詩文庫、1970、所収)

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【言葉】埋

2010年04月09日 | 詩歌
   エジプトは埋め
   われわれは掘り出す

   掘り出す片端から
   埋められてゆく

   掘りあげた砂に
   足から腰まで

   腰から肩まで
   魂まで埋没してゆくわれわれ

【出典】多田智満子「埋」(『長い川のある國』、書肆山田、2000、所収)

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書評:『社会保障の手引』

2010年04月09日 | 医療・保健・福祉・介護
 この3月、小学校のある講師と話をかわす機会があった。
 教師の生活に終止符をうち、4月以降は専業主婦になる、とのこと。7月に出産の予定で、予定日は奇しくもその人の誕生日だ、という。何かと物いりだから、友人たちからベビー用品などを譲ってもらっているところだ、うんぬん。
 「出産育児一時金ですこしはカバーされるさ」というと、「それ、なに?」と尋ねてきた。
 「ん? 4月以降はどの医療保険に加入するの?」
 「まだ決めていません」
 彼女は、あと1週間で地方公務員等共済組合の被保険者ではなくなる。その後の医療保険は、決める、決めないの問題ではないのだが、彼女は幸福そうに微笑むばかりなのであった・・・・。

 わが国の仕事や暮らしを守る制度は、細かいところでは不備もあるのだが、ともかくひととおり整っている。
 しかし、多くの人は、必要が生じるまでよく知らないまま過ごしがちだ。いや、必要な状況になっても、調べさえしないでいる人もいる。
 この手の情報の入手先は、親族や知友から行政機関までいろいろとあるが、やはり一家に一冊は概説書をそなえておいたほうが、先ほどの小学校講師のような立場に陥らなくてすむ。

 本書には、社会保障のさまざまな制度の要点が記されている。のみならず、各制度の根拠が明記されているから、深く調べたいときにはすぐさま根拠法令に当たることができる。
 本書は、啓蒙書ではなく思想書でもなく、社会保障法の専門家やジェネリック・ソーシャルワーカー向けの実務書だ。
 いや、ジェネリック・ソーシャルワーカーのみならず、公的扶助、高齢者、児童、障害者などの特定分野のスペシフィック・ソーシャルワーカーが、関連する他分野の制度をてっとり早く知るにも本書は便利ではある。たとえば、公的扶助、ことに生活保護に係るケースワーカーは、生活保護は他方優先の制度であり、また、ケースワークにおいて生活全般の相談にあずかるから、そのバイブル『生活保護手帳(別冊問答集)』(中央法規出版)と併せて本書も座右におかないと仕事にならない。

 いずれにせよ、本書は一般向けとはいえないが、家族に専門家がいない世帯でも、新聞雑誌やテレビなどのマスコミの断片的な情報を深めるために役立つ。たとえば、政権交代で復活された母子加算が母子世帯の暮らしのなかで占める意義。あるいは、おなじく政権交代で実現した子ども手当と類似する制度、たとえば児童手当との異同。これらが社会保障の込みいった体系のどこに位置し、他とどう関連するかの展望をもつことができる。なんなら新聞記事の切り抜きなどを関係する箇所に挟みこんでおくとよい。味もそっけもない制度が、にわかに生彩を帯びてくる。
 たとえば、2010年3月7日、巨人・木村拓也内野守備走塁コーチ、くも膜下出血により逝去、享年37、といったニュースから遺族の生活に思いをいたす際に使える。本書第12編をひらいて、コーチが選手とおなじく国民年金の被保険者であるならば遺族基礎年金が年額約80万円はあるね、とか。翻ってわが家の場合は、と身近な問題に展開させることもできる。
 ミステリーではたくさんの人が殺されるが、遺族の生活をちっとも描いていないのは妙だ、などと横道に逸れても、一向にさしつかえない。

 毎年改訂版を入手している人なら、索引に目をとおすだけで制度の変化を察知できる。たとえば、「視覚障害者行政情報等提供事業」「視覚障害者用図書貸出事業」は旧版にはない。こうした変化に、当事者のニーズの一端を知ることができる。

□『社会保障の手引(平成22年1月改訂) -施策の概要と基礎資料-』(中央法規出版、2010)
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書評:『ロンドンは早朝の紅茶で明ける -私のロンドン案内-』

2010年04月08日 | エッセイ
 歴史を知れば知るほど味わい深くなる都市、それがロンドンである。

 たとえば、リージェント・パーク。大きさはハイド・パークにつぎ、クロムウェルの時代までは王室狩猟場だった。1838年、近代的な公園として市民に公開された。公園の名は、時の摂政殿下(プリンス・リージェント)、後のジョージ4世に由来する。

 たとえば、また、紅茶のトワイニング社は1706年創業だが、本店の入口には詩人ワーズワースの発注書が額にいれて飾ってある。
 ちなみに、普段飲むには「番茶のような紅茶が健康にはよい」そうな。トワイニングの「トラディッショナル」はその手の種類で、一流ホテルの、古きよき伝統にのっとったアフターヌーン・ティでも供される。

 かにかくに、ロンドンっ子の日々の生活の中には、生きている歴史がある。
 ロンドンの街に欠くべからざる風物となっている真っ赤な二階バスにせよ、19世紀中葉に出現した二頭立てないし四頭立て乗合馬車に起源がある。これがバスに切り替わったのは1910年代であった。

 歴史、歴史としての伝記を好む英国人は、おそらく世界で唯一、英国にしかない博物館さえ設置した。国立肖像画館がそれで、この館には歴史的人物の肖像画が5千人近くおさめられている。

 本書は、こうしたロンドン、そしてその背後にある歴史を悠揚せまらざる語り口で案内する。
 時として、文明批評がさらりと挿入される。たとえばウェストミンスター寺院のポエッツ・コーナー。詩人や作家を記念している一隅なのだが、「いったいわれわれ日本人に、伊勢神宮や明治神宮の神域に、西行だの、芭蕉だの、漱石を記念する場所を設けるような理念や感情があるだろうか」

 これからロンドンへ行く人は、本書をバッグにひそませよう。
 すでにロンドンに出かけたことはあるものの、駆け足で通りすぎた者は、見のがし聞きのがしたものを本書で補おう。
 まだ行ったことはなくて、これからも行く予定のない人は、一冊の本を傍らに、紅茶を喫しながら休日の午後をゆったりと過ごすとよい。

□出口保夫『ロンドンは早朝の紅茶で明ける -私のロンドン案内-』(PHP文庫、2008。後に『新私のロンドン案内』、ランダムハウス講談社文庫、2008)
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