分担執筆者それぞれの現場からの報告である。
たとえば、被害の大きかった長田区で奇跡的に被害をまぬがれた神戸共同病院の婦長【注】。
システムの不備が指摘されている。災害によって医療・福祉システムの意外な盲点があらわになったのだ。重症患者受け入れ病院の情報の集中はあるが、寝たきり患者を予防的に受け入れる病院の情報は行政にないのであった。いざという時の支援は、日頃のネットワークのほうが頼りになった(全日本民主医療機関連合会の支援)。
医療職らしい考察もある。避難者に係る栄養不良の科学的データ(摂取カロリーは平均12%の不足、タンパク質は必要量の55%しかとれていない、カルシウムは45%、鉄分は35%、ビタミンA・B1・B2・C・ナイアシンは27~60%)を示し、これが肺炎多発につながった、と推定している。
意義ある支援についても言及されている。あちこちの市町村や温泉地が1、2泊から数週間、被災者を無料招待した。カナダ、ニュージーランドでは、被災者受け入れの低料金ツアーもあった。淋しい思いをしている子どもたちのみならず、(実際には出かける余裕のなかった)看護婦も、一時的にせよ、そこから抜け出すことで、新たに現実へ立ち向かう力を得たのだ。現地では、支援にあたるべき人もまた被災者であった。この病院の医療スタッフも、通勤難等の理由で1割が辞めた。
このほか、尼崎の高齢者支援の中心になった特別養護老人ホーム「園田苑」の施設長、災害時の障害者に目くばりした元神戸新聞編集委員、住民の立場から新たなまちづくりを提案する前西須磨まちづくり事務局長、災害時における学校と子どもに焦点をあてた神戸市在住のジャーナリスト、行政や制度の矛盾の隙間でボランティア活動を展開した牧師、災害時における「文化」がはたす役割を前面に押しだした書店主が、それぞれの立場と観点から書いている。
共通するのは、住民の生活に視座をおくまちづくりへの強い希求である。これは、当然ながら、住民との対話をほったらかしにして震災後まもない時期に道路や空港の建設を急ぎ、あるいは六甲山の地下330mに総工費500億円をかけて工事を強行しようとする市当局に対する強い批判ともなっている。
本書は、阪神・淡路大震災からまだ5か月しかたっていない6月に刊行された。原稿は、もっとはやい時期にできあがっていただろう。現地の人々は生活に追われ、心労が重なっていたはずだ。被災地の現状をはやく世に知らせなければならない、という使命感が書かせたのにちがいない。
こういった証言は、その後集約され、整理され、被災地の自治体はもとより他の自治体や国の対策に昇華された、と思う。
だからといって、本書あるいは被災からまもない頃の証言が無価値になったわけではない。むしろ逆である。その把握していた事実や考察に制約があるとしても、震災対策の原点はこれら生の声にある。
【注】
看護婦は、2001年以降は看護師(保健師助産師看護師法)。
□酒井道雄編『神戸発 阪神大震災以後』(岩波新書、1995)
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たとえば、被害の大きかった長田区で奇跡的に被害をまぬがれた神戸共同病院の婦長【注】。
システムの不備が指摘されている。災害によって医療・福祉システムの意外な盲点があらわになったのだ。重症患者受け入れ病院の情報の集中はあるが、寝たきり患者を予防的に受け入れる病院の情報は行政にないのであった。いざという時の支援は、日頃のネットワークのほうが頼りになった(全日本民主医療機関連合会の支援)。
医療職らしい考察もある。避難者に係る栄養不良の科学的データ(摂取カロリーは平均12%の不足、タンパク質は必要量の55%しかとれていない、カルシウムは45%、鉄分は35%、ビタミンA・B1・B2・C・ナイアシンは27~60%)を示し、これが肺炎多発につながった、と推定している。
意義ある支援についても言及されている。あちこちの市町村や温泉地が1、2泊から数週間、被災者を無料招待した。カナダ、ニュージーランドでは、被災者受け入れの低料金ツアーもあった。淋しい思いをしている子どもたちのみならず、(実際には出かける余裕のなかった)看護婦も、一時的にせよ、そこから抜け出すことで、新たに現実へ立ち向かう力を得たのだ。現地では、支援にあたるべき人もまた被災者であった。この病院の医療スタッフも、通勤難等の理由で1割が辞めた。
このほか、尼崎の高齢者支援の中心になった特別養護老人ホーム「園田苑」の施設長、災害時の障害者に目くばりした元神戸新聞編集委員、住民の立場から新たなまちづくりを提案する前西須磨まちづくり事務局長、災害時における学校と子どもに焦点をあてた神戸市在住のジャーナリスト、行政や制度の矛盾の隙間でボランティア活動を展開した牧師、災害時における「文化」がはたす役割を前面に押しだした書店主が、それぞれの立場と観点から書いている。
共通するのは、住民の生活に視座をおくまちづくりへの強い希求である。これは、当然ながら、住民との対話をほったらかしにして震災後まもない時期に道路や空港の建設を急ぎ、あるいは六甲山の地下330mに総工費500億円をかけて工事を強行しようとする市当局に対する強い批判ともなっている。
本書は、阪神・淡路大震災からまだ5か月しかたっていない6月に刊行された。原稿は、もっとはやい時期にできあがっていただろう。現地の人々は生活に追われ、心労が重なっていたはずだ。被災地の現状をはやく世に知らせなければならない、という使命感が書かせたのにちがいない。
こういった証言は、その後集約され、整理され、被災地の自治体はもとより他の自治体や国の対策に昇華された、と思う。
だからといって、本書あるいは被災からまもない頃の証言が無価値になったわけではない。むしろ逆である。その把握していた事実や考察に制約があるとしても、震災対策の原点はこれら生の声にある。
【注】
看護婦は、2001年以降は看護師(保健師助産師看護師法)。
□酒井道雄編『神戸発 阪神大震災以後』(岩波新書、1995)
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