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2015-10-08up
僕も若いときは「できる生徒好き」だった。
認める。
そのほうが楽だから。
できない生徒の苦しみが見えないから、という理由もあるだろう。
でも、どうしようもなかった。
指導技能・指導の手だてがなかった。
素人だったからだ。
十年たっても「できる生徒好き」という状況もあると思う。
荒れ果てた学校なら、好き、というより、尊敬できる生徒は少ししか見えない。
公立中学校の中には、今、2015年でも各地に地獄がある。
他業界の会社員は、一か月で病気になり休むか退職するだろう。
彼らは、教員をバカにしすぎている。
四十年間、五十年間、教育職にあって地獄を見たことがない教員がいるらしい。
だが、この時代、中高の地獄がなかったはずがない。
つまり「見ても何も感じなかった」のだ。
「感じない」
のは、一つの能力だ。
「感性がない」
のは、幸福の一つの形だ。
そういう教員は「できない生徒」の気持ちはわからない。
できない生徒の気持ちがわからない人は、
「できない生徒が、できるようになる気持ち」
もわからない。
当然だ。
できない、という基礎の感覚がないのだから。
はぁ……
2015-10-08up
僕も若いときは「できる生徒好き」だった。
認める。
そのほうが楽だから。
できない生徒の苦しみが見えないから、という理由もあるだろう。
でも、どうしようもなかった。
指導技能・指導の手だてがなかった。
素人だったからだ。
十年たっても「できる生徒好き」という状況もあると思う。
荒れ果てた学校なら、好き、というより、尊敬できる生徒は少ししか見えない。
公立中学校の中には、今、2015年でも各地に地獄がある。
他業界の会社員は、一か月で病気になり休むか退職するだろう。
彼らは、教員をバカにしすぎている。
四十年間、五十年間、教育職にあって地獄を見たことがない教員がいるらしい。
だが、この時代、中高の地獄がなかったはずがない。
つまり「見ても何も感じなかった」のだ。
「感じない」
のは、一つの能力だ。
「感性がない」
のは、幸福の一つの形だ。
そういう教員は「できない生徒」の気持ちはわからない。
できない生徒の気持ちがわからない人は、
「できない生徒が、できるようになる気持ち」
もわからない。
当然だ。
できない、という基礎の感覚がないのだから。
はぁ……