熊谷市上之533付近にある「成田氏館跡」を訪ねてきました。
天喜元年(1053)、藤原武蔵守忠基から五代目にあたる藤原助高(助隆)が、この地武蔵国成田郷(現・熊谷市上之)に居館を構えて成田氏を称しました(成田氏の祖)。
助高の子太郎助広は成田氏を継ぎ、次郎行隆は別府に居して別府次郎を名乗り、三郎高長は奈良に居して奈良三郎を名乗り、
四郎助実は玉井に居して玉井四郎を名乗り、本家と共に成田四家として県北の一大勢力となりました。
十五代親泰が、延徳元年(1489)に忍城の忍大丞を攻め滅ぼし、延徳3年(1491)忍城に移るまで400年余にわたり成田氏の居館があったとのことです。
場所については一応調べて行ったのですが、方向音痴を特技としているうえに、一方通行であったりと複雑な場所であったことから付近を(付近とは言い難い所も含め)
1時間近く徘徊した挙句、某郵便局に立ち寄り、親切な教えを乞いやっとその場所に。ここに行くについては、自身だけでなく色々な方も大変な思いをしているようです。
石碑ひとつにそこまで苦労して行く必要があるのか考えてしまいます。しかし、お城好きにとっては、「たかが石碑 されど石碑」のようでして。
一方通行の道を進行すると右手に有限会社吉鐡さんの看板が建っていますが、そこに標柱とフェンスで囲まれた石碑があります。
このように、かつてこの地が成田氏の居館があったということを示す石碑があるだけで、遺構は全くありません。
今は、居館であったこと偲ぶものは何もない場所。でも、かつては二重の堀を構える方形の居館があったというその場所に立つことに何かを見ているのでしょう。
標柱の側面にはこのように成田氏のことが簡単ながらも記されています
石碑の隣は牛舎です いい臭い(?)が漂っています
若干角度を変えて 石碑と標柱の写真1枚で済むものを、それではあまりにも寂しい散策記になりますので
石碑の前は、成田山泰蔵院の広い駐車場。塀の向うに見えるのが泰蔵院の屋根。成田 泰蔵 が示すように成田氏と関係あるお寺です。
散策日:2017年(平成29年)1月26日(木)