熊谷市上中条1160に所在する「中条氏館跡」を訪ねてきました。
平安時代末期、藤原氏から出た常光が長承元年(1132)この地に居を構え中条氏を名乗りました。孫の家長は鎌倉幕府の評定衆として貞永式目の制定に関わったとされます。
館跡は、1万8千坪ほどの長方形で、現在は三分の一が常光院の境内となっているようです。常光院は、建久3年(1192) 家長が祖父常光らの菩提を弔うため、
館の一部を寺にしたものと云われ、土塁や堀の一部が残り鎌倉時代の居館の姿を見ることができます。昭和26年3月に埼玉県指定史跡となっています。
常光院の正式名称は、龍智山毘慮遮那寺常光院ですが、単に常光院で通っているようです。
常光院山門前の様子
山門前 右手にある寺号標の石柱には「県指定史跡 中條氏舘跡 常光院」とあり、館跡を強調しています
左手には 沿革碑 標柱 説明板 が建っています
熊谷厄除大師としても多くの参拝客を集めているようです
寺の表(南側)に水路があります かつての水堀でしょうか
白壁の塀は土塁の上に建てられています
土塁を西方向から東方向に見てみました
標柱 表面と側面を並べてみました 記載事項は判読可能のようですのでここには転記しません
沿革碑 上部には常光院の古図が刻まれ 下部には常光院の沿革が刻まれています 内容は冒頭の説明とほぼ同じです
埼玉県指定文化財史跡 中条氏館跡 の説明板 苔で汚れたのでしょうか?どうにか 読むには読めますが
山門と山号の扁額 だいぶ文字を崩してありますが「龍智山」でしょうか
山門を入ってすぐ左手にある土塁様のものと空堀様のもの 場所的に考えて土塁・空堀跡ではなく排水用の溝かとも思えますが
土塁の左にある窪地 沿革碑の古図にある池の跡と思われます
土塁様のものと空堀様のものを反対向高から見てみました
本堂 萱葺きの屋根です
本堂正面
お札やおみくじ等を扱う建物でしょうか
本堂裏境内にはいくつかこうした土盛りがありましたが土塁とは違うような気がします
表の塀の境内内 これは土塁で間違いないようです
境内西側にある窪み やはり排水溝かと勝手に理解しました
中条氏の墓
中条氏始祖 中条判官藤原常光公墓
藤原鎌足から16代目 長承元年武蔵國司として下向し統治法を治め 保延3年5月1日 没 とあり
天野氏三代の墓
境内西側の墓地との境にある空堀
同上
鐘楼 天和元年(1683)建立
山王社 関東では珍しいとされる朱塗りの山王鳥居
北方より常光寺の森の全景を
ここにも2度足を運びました。それでも満足な散策が出来たとは思いません。正直、土塁跡や空堀跡なのか迷う所が多々ありました。
長い歳月の間に、土塁は崩れて低くなり、空堀は埋まってしまい浅くなっていますから、後世の排水溝なのか土盛りの跡なのか判断が難しいです。
そんなことから根拠もないのに勝手に自分なりの判断をしてみました。
散策日:2017年(平成29年)1月25日(水)・31日(火)