四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

本田城(埼玉県深谷市)

2019年05月07日 | 100名城以外の城館跡


城 名:本田城(ほんだじょう)
別 名:本田氏館
形 態:館
時 期:鎌倉時代~室町時代
城 主:本田親常、長繁、近常(親恒)
遺 構:土塁、空堀
指 定:県選定重要遺跡(名称:本田城跡 昭和44年〔1969〕10月1日選定)
所在地:埼玉県深谷市本田(旧大里郡川本町)

鎌倉時代の武士である本田次郎近常は、榛沢六郎成清と共に、畠山重忠の重臣でしたが、元久2年(1205)、二
俣川において討死しました。
近常の墓と伝わる五輪塔が、畠山重忠館跡に重忠の墓と並んであります。
本田近常一族の館跡であったと言われている本田城跡(本田氏館跡)を訪ねてみました。館跡には現在も後裔の
方がお住みになっています。既に2年前に一度訪ねておりますが、この時に、許可を頂いて屋敷裏にある遺構を
見学させていただいていましたので、今回は、館跡前の道路までにしました。

と言うのも、ある目的があったものですから・・・




館跡前の道路際に設置されている「本田館跡」説明板




本田家館跡をうたったかわもと郷土かるた




道路縁石の「畠山重忠公」の絵  前回訪問の時はアップで撮っていなかったためにこれを撮るのが目的でした。
この道路の所々にこうした絵が入ったちょっと大き目な縁石が使われています。白鳥の絵であったり、神社の絵
であったりしますが、目にした範囲では「畠山重忠公」の絵柄は、ここ本田館跡の前だけでした。




前回は全く気付きませんでしたが、裏には「うぐいす」の絵が入っていました。重忠にまつわる逸話のひとつ
「鶯の瀬」からでしょうか




今回は館跡に入っていませんので、前回、遺構を見せていただいたときの写真です。
石碑「本田次郎近常遺蹟跡」とあります。




ちょっとはっきりしませんが、空堀跡?




土塁、空堀跡?

再散策日:平成31年(2017)4月5日(金)