四季・めぐりめぐりて

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伝 比企能員の娘婿中山五郎為重供養塔 ー正福寺ー

2022年08月30日 | 史跡・遺跡・文化財


秩父武綱の次男で川崎氏の祖・基家の流れを汲む中山五郎為重(なかやまごろうためしげ)の供養塔と伝わ
る五輪塔が、比企郡川島町南園部に所在の「正福寺」にあるとのことから訪ねてみました。




【正福寺本堂】
正福寺は、真言宗智山派寺院で勅王山園徳院と号します。正福寺の創建年代等は不詳ながら、法印
俊哲(寛永12年寂)が開山、松平摂津守(享保4年没)が中興したと言われます。




右から2番目の五輪塔が【伝 中山五郎為重供養塔】
2基の五輪塔の石材は、上野国天神山(現在の群馬県みどり市)産の凝灰石




【中山五郎為重供養塔 正福寺 五輪塔】説明板
比企能員の娘婿となった中山五郎為重は、建仁3年(1203)9月2日の「比企氏の変」で能員・時員
親子とともに討たれています。
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にはまったく登場しませんでしたが!!

ここ正福寺は川島町大字南園部(元・南園部村)に所在するも、同寺前(南側)の道路を挟んだ地
域が川島町大字中山(元・中山村)となり、中山一族の苗字の地のようです。この中山地内に比企
氏15代以降の墓所がある金剛寺があります。




秩父氏一族の系図 (埼玉県立嵐山史跡の博物館発行 ガイドブック3「秩父市の歴史」から引用)
秩父十郎武綱の次男基家(もといえ)が武蔵国橘樹郡(現在の神奈川県川崎市)に居住し川崎氏を称
した。その孫の重真(しげさね=重実)が中山氏を称するようになった。
この系図に為重の名は出ていませんがこの①,②、③・・・の流れかと思います。




境内にある堂宇 【稲荷神社】と【天神社】が祀られています

散策日:令和4年(2022)8月25日(木)