四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

歴史講座Ⅰ「鎌倉殿とその時代」第3回

2022年08月13日 | 講演会・講座

                              雨が降って来たので看板は中に移動
埼玉県立嵐山史跡の博物館
令和4年度  歴史講座Ⅰ「鎌倉殿とその時代(3)」
 日 時:令和4年8月12日(金)13:50~15:30
 会 場:国立女性教育会館 講堂(埼玉県比企郡嵐山町菅谷)
 講義名:武蔵武士の西遷
 講 師:根ヶ山 泰史 氏(埼玉県立歴史と民俗の博物館)
 構 成:はじめに
     (1)「武蔵武士」とは 
      ・平安時代末から南北朝時代にかけて、武蔵国内に苗字の地(本貫地)を持つ武士
     (2)「西遷」とは 
      ・「西」へ「遷」ること   
      ・東国御家人の西遷・・・①西方(西国など)の遠隔地所領獲得→②移住、という2段階
     (3)承久の乱と東国御家人
     (4)移動する武士
     1 熊谷氏
     2 小代氏
     3 中村氏・大河原氏
     おわりに ~武蔵武士のゆくえ~ 
        《講座資料より一部抜粋》

を聴講してきました.

今年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の放映で、鎌倉時代・武蔵武士に関心が集まっております。
そんな中で「武蔵武士」とは「西遷」とはということで、熊谷氏、小代氏、中村氏・大河原氏を例
にしてのお話をしていただきました。
なお、講座の録画・録音・写真撮影は禁止のため写真はありません。  


このうち小代氏について若干・・・↓


小代氏は武蔵七党の児玉党に属す
本貫地は入西郡小代郷(現東松山市正代周辺)
小代氏館跡(?)にある「青蓮寺」




青蓮寺境内に建立されている「小代重俊供養塔」




「小代重俊供養塔」(弘安四年銘板石塔婆)説明板
ここに記されているよう小代重俊の子息等は「宝冶合戦」での活躍により、肥後国野原荘へ下向
嫡流は肥後国に西遷 庶流は小代郷に残留




西遷後、室町・戦国時代には菊池・大友・竜造寺・島津・豊臣等に順次属す
近世には、熊本藩加藤清正に仕え、加藤家改易後は細川家に仕える

この写真は、名古屋城天守台の石垣の石に「加藤肥後守 内小代下総」と刻印されたもの
  加藤肥後守・・・加藤清正  内・・・家臣
このことからも小代氏が加藤清正の家臣であったことが分ります。

聴講日:令和4年(2022)8月12日(金)