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埼玉県立嵐山史跡の博物館
令和4年度 歴史講座Ⅰ「鎌倉殿とその時代(3)」
日 時:令和4年8月12日(金)13:50~15:30
会 場:国立女性教育会館 講堂(埼玉県比企郡嵐山町菅谷)
講義名:武蔵武士の西遷
講 師:根ヶ山 泰史 氏(埼玉県立歴史と民俗の博物館)
構 成:はじめに
(1)「武蔵武士」とは
・平安時代末から南北朝時代にかけて、武蔵国内に苗字の地(本貫地)を持つ武士
(2)「西遷」とは
・「西」へ「遷」ること
・東国御家人の西遷・・・①西方(西国など)の遠隔地所領獲得→②移住、という2段階
(3)承久の乱と東国御家人
(4)移動する武士
1 熊谷氏
2 小代氏
3 中村氏・大河原氏
おわりに ~武蔵武士のゆくえ~ 《講座資料より一部抜粋》
を聴講してきました.
今年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の放映で、鎌倉時代・武蔵武士に関心が集まっております。
そんな中で「武蔵武士」とは「西遷」とはということで、熊谷氏、小代氏、中村氏・大河原氏を例
にしてのお話をしていただきました。
なお、講座の録画・録音・写真撮影は禁止のため写真はありません。
このうち小代氏について若干・・・↓
小代氏は武蔵七党の児玉党に属す
本貫地は入西郡小代郷(現東松山市正代周辺)
小代氏館跡(?)にある「青蓮寺」
青蓮寺境内に建立されている「小代重俊供養塔」
「小代重俊供養塔」(弘安四年銘板石塔婆)説明板
ここに記されているよう小代重俊の子息等は「宝冶合戦」での活躍により、肥後国野原荘へ下向
嫡流は肥後国に西遷 庶流は小代郷に残留
西遷後、室町・戦国時代には菊池・大友・竜造寺・島津・豊臣等に順次属す
近世には、熊本藩加藤清正に仕え、加藤家改易後は細川家に仕える
この写真は、名古屋城天守台の石垣の石に「加藤肥後守 内小代下総」と刻印されたもの
加藤肥後守・・・加藤清正 内・・・家臣
このことからも小代氏が加藤清正の家臣であったことが分ります。
聴講日:令和4年(2022)8月12日(金)