足利基氏の塁跡」(所在地:埼玉県東松山市岩殿)は、足利幕府初代将軍足利尊氏の次男で初代鎌倉公方足利
基氏が正平18年/貞治2)年(1363)、上野守護:宇都宮氏綱。上野守護代:芳賀禅可に対して武蔵国の苦林野の
「岩殿山の合戦」の際に本陣を置いたとされる跡です。
東武東上線「高坂駅」西口からまっすぐ大東文化大学・こども動物自然公園方向に進むと、道路右端に「足利基氏の館➡」と
いう標識が立っていますので、ここを右折して進むと暫くして、「足利基氏の塁跡」の標柱が立っています。ここが目的地です。
標識は「館跡(やかたあと)」、ここの標柱は「塁跡(とりであと)」と表記の違いが
ありますが、このブログでは、現地の表示に従って「足利基氏の塁跡」としました。
他にも、「陣跡」や「城跡」などと表記される場合があるようですが・・・
車の場合は、この前に駐車できる場所はありませんので、少し先を行った弁天池前の広場に駐車。
道路からみた塁跡の全景です(実際には一部に過ぎないのでしょうが)
中央に見えるちょっと高いところが「物見台跡」でしょうか
同じく全景ですが、棚田のように見えるところは空堀跡のようです。
奥のほうに、「足利基氏の塁跡」の説明板が立てられています。
更に奥に進み藪を抜けるとゴルフ場に出ますが、ロープに、「この先危険につき進入禁止」の札が下がっていましたので危険を冒すことは避けました。
この説明板での説明を見ていただけれ大筋は解るとと思い、冒頭での説明を手抜きした次第です。
実測図を見ますと、この場所以外にも堀跡や土塁が残っているようです。
奥から道路方向に
弁天沼方向に少し行ったところの民家の脇に土塁がありました
弁天池(鳴かずの池)
攻城日:2015年(平成27年)2月12日(木)