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玉井陣屋跡と言われる玉井寺(熊谷市玉井1888)・玉井神社(同1911)を訪ねてきました。
玉井陣屋(玉井氏館)は、成田助高の四男助実が玉井に移り住み、玉井四郎と称し、玉井氏の祖となりましたが、その居館です。その場所は、現在、玉井寺・玉井神社のある
一帯と言われています。玉井氏は、12世紀中盤から12世紀末に活躍したようです。源頼朝の挙兵に馳せ参じて、一ノ谷合戦では平通盛を討ち取ったとされます。
玉井氏については、永久の乱までは名前が登場するそうですが、それ以降は不明であり。15世紀初めころには滅亡したしたようです。陣屋跡とされるところに遺構を認めることはでき
ませんが、玉井寺の境内には玉井四郎の墓と言われるものが遺っています。これは後世の人が供養のために建てたものと思われると、墓の前に立てられた説明板に書かれています。
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玉井寺の寺号標石柱 後ろが当寺の駐車場です
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寺号標の脇に建てられている標柱
以前は風雪に晒され文字も読めない状態のものがここより少し離れた場所に建っていたようです
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山門
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本堂
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山号「井殿山」の扁額
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鐘楼
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玉井四郎の墓(供養塔)
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何とか読めると思いますが
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真ん中の石を重ねた五輪塔が玉井四郎の墓(供養塔)
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玉井神社の始まりとなった井戸のようです
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玉井大神社 玉井寺の裏側(北北東)にあります
鳥居の正面に神木が立っています
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神社境内と玉井大神社
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拝殿
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扁額
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本殿は見事な彫刻が極彩色で施されています
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本殿は覆屋で保護されていますが、彫刻は外から見えるようになっています。
成田助高の次男次郎行隆は別府に移り別府氏を名乗り(その後、東別府氏と西別府氏に分かれる)、三男三郎高長は奈良に居を構えて奈良三郎を名乗り、四男助実は玉井に居館を構え
玉井氏を名乗ったわけですが、何れも滅亡したようです。残るは本家の成田氏ですが、これは遥かのちに映画「のぼうの城」となるあの成田氏なのです。
昔、そこに館や城があったと言われても今はその痕跡さえない場所を訪ねてどうするの・・・と言われるかもしれませんが、行ってしまうのです
散策日;2017年1月28日(土)・31日(火)