四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

回顧 寄居北條まつり2009(埼玉県寄居町)

2020年05月10日 | まつり・イベント


今から遡ること430年前の天正18年(1590)、豊臣秀吉の指示によって小田原攻めが始まった。
本城である小田原城は10数万余の兵に囲まれ、支城は次々と落とされていった。
北條氏邦の鉢形城も同年5月13日、豊臣方の前田利家・上杉景勝ら北国勢35000(その後、加勢を
得て50000)に包囲され、鉢形勢は城兵3500をもって籠城したが、1か月後の同年6月14日、城兵・
領民の助命を条件に開城し、氏邦は前田利家の預かりの身となり、金沢の地で没した。

そんな豊臣軍と鉢形勢の攻防戦を再現した戦国絵巻「第59回寄居北條まつり」が、本日である令和
2年(2020)5月10日(日)に開催予定でしたが、新型コロナウイルスの拡散防止の観点から中止と
なってしまいました。

このため、見学記を載せたくも祭り自体が存在しませんので、「第59回寄居北條まつり」の代わり
に、11年前の平成21年(2009)4月12日(日)に開催された「第48回寄居北條まつり」の様子を紹
介してみたいと思います。




「第48回寄居北條まつり」が開催された当時は、鉢形城公園(鉢形城跡三ノ曲輪・伝秩父曲輪)で
出陣式・アトラクションが行われていました。
写真は、三ノ曲輪や二ノ曲輪などに集まった出陣式前の武者や見学者




三ノ曲輪・伝秩父曲輪に備えられた大砲
柵の向こうは絶壁で、下を荒川が流れるまさに天然の要害




秩父曲輪から見下ろす玉淀河原 攻防戦が行われる場所




まつりを盛り上げる陣太鼓
3組の太鼓チームが参加していましたが、これは「北條陣太鼓」




「重忠太鼓保存会」と「武蔵流東松山太鼓」
重忠・・・武蔵武士の鑑と言われる「畠山重忠」は、お隣川本町(現深谷市)の出身
北條氏邦が活躍した時代よりだいぶ前の平安末期から鎌倉期初頭に活躍した武士ですから、氏邦と
時間を共有したことはありませんが。




この武士団は「寄居町議会」




武士団が集結してきました
この頃は先頭の幟も統一されてなく、団体名。企業名等が入ったものが大方を占め、形状もまちま
ちでした。




「小田原城馬廻衆」  北条氏の本城小田原城がある小田原市からの応援




伝諏訪曲輪と呼ばれる角馬出跡の諏訪神社社務所前で出陣までのひと時を




出陣式の前に舞台上や舞台前で色々なアトラクションが行われていました




剣道連盟隊の「寄居十六騎」と白抜きされた真紅の旗指物が恰好いいですね
豊臣軍と氏邦軍との和睦の橋渡しをした正龍寺の和尚さんの姿もありますが、どの方か分りますか




出陣式のために舞台前に集結していきます




舞台に登壇した各隊の大将と旗持ち 前列には現代の武将たち(各自治体などのお偉方たち)




勢揃いした武士団




出陣式を終えた武士団は、本曲輪前の道路から荒川に架かる正喜橋を渡って寄居町の市内に入りパ
レード(行軍)し、攻防戦の会場となる玉淀河原に向いました。

鉢形城公園で出陣式・アトラクションが行われたのは翌年2010年の第49回までで、翌々年2011年の
第50回は、東日本大震災が起きたことから北條まつりは秋の10月に2日間にわたり行われ、前夜祭は
鉢形城公園で行われた。
2011年の第51回から、攻防戦が行われる玉淀河原で出陣式が行われた後、市内をパレードして再び
玉淀河原に戻って攻防戦が行われるようになった。
更に、その後は寄居駅前のソースカツ丼で有名な今井屋の前から出発し、市内をパレードして玉淀
河原に至り攻防戦を繰り広げるという今の形になり、パレードの距離がだいぶ減ってきています。




「小田原ちょうちん踊り」  北条氏の本城小田原城がある小田原市からの応援




「小田原ちょうちん踊り」




初代北条早雲 二代北条氏綱隊 三代北条氏康 四代北条氏政 五代北條氏直の北条五代




鉢形城主北条氏邦室 大福御前




上州の「箕輪城隊」 北条氏邦が城主を勤めたことのある城




保育園児による「ちびっ子忍者隊」
小田原市の「北条五代まつり」で言うところの「風魔小太郎隊」に相当か




「乙姫ちゃん隊」
鉢形城の内堀であった深沢川にあったとされる四十八釜(すがま)にまつわる民話。いわゆる「竜
宮伝説」から商工会青年部が創り出したキャラクターが“乙姫ちゃん”




攻防戦が繰り広げられる玉淀河原




攻防戦を観ようとする見物客でいっぱいです




鉢形城公園から市内をパレード(行軍)してきた武士団が続々と玉淀河原に入ってきます
鉢形城主北条氏邦隊




北條五代も到着




模範演武  一般の参加者ではなく所謂プロの方のようです




大砲①




大砲②  対岸の崖下には北条氏邦軍 




大砲③ 火炎をと言いたいのですが煙しか撮れません で・し・た




豊臣方の前田軍




攻防戦①




攻防戦②




攻防戦③




全員が攻防戦に参加したわけではありません  
格好良く表現すると後方支援部隊もいます  早い話が見学部隊




戦い終えて・・・

来年2021年は無事に開催されることを願っています 
中止となった「第59回」は、中止として記録に残し、「第60回」として・・・

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