名 称:冠掛の松
別 名:-
概 要:新田義貞が元弘3年(1333)5月8日、生品神社で鎌倉幕府討伐の旗揚げをし、鎌倉に向かう途中の休憩の際に冠を
掛けた松と言われる。
指 定:-
遺 構:-
所在地:群馬県太田市太田市新田木崎町(旧新田郡新田町) 大通寺境内
冠掛の松があるという大通寺を目指してしていたら、丁度「冠掛の松」の案内標識に出会いましたのですんなりと
路地の奥に楼門(鐘楼門)が見えます
門前左側の石仏の陰に隠れてしまっている石碑
前面には「新田義貞公冠着松」とあります
側面には「新田義貞公舊跡」とあります ※舊跡(きゅうせき)・・旧跡
楼門(鐘楼門)
楼門に掲げられた扁額 何と読むのでしょう 東 禅林 だけは読めましたが・・・(学のなさを露呈)
仁王像
仁王像
大通寺境内です 大通寺の境内というよりも幼稚園の園庭と言った方がよいかもしれません
境内には「幼稚園が併設されています 本堂の左側にあるのが園舎です
園児のいない日曜日を選んできました 園児のいるときにカメラ片手にうろついていたら誤解されてしまいますから
本堂 再建されてまだ数年のようで新ったらし~い!
山号の「宝広山」と揮毫された扁額
幼稚園の園舎の前の方に「冠掛の松」はあります
こうした樹形の松を「笠松」と呼ぶようです
ちょっとアップで アングルを変えて撮ればよかったと反省(いつものことですが)
冠掛の松説明板
このままでは読めませんので転記しておきます
新田の名木
樹木名 松
所在地 大通寺境内
目通り 2.1メートル
元弘3年(1333)新田義貞が、鎌倉幕府討伐のため生品神社で挙兵し、鎌倉へ向かう途中この松に冠をかけて、休憩した
と伝えます。当時の松は枯れてしまい、この松は2代目として赤堀から移植されております。
新田義貞の歌碑
「立ち帰り またも来て見ん 冠着の 松よ千歳を 我に契らば」
春秋庵白雄の句碑
「夏にこもる 御僧いくたり 松の風」
平成17年3月 新田町観光協会
大通寺境内にあるもう一つの「新田の名木」
この名木の付近にも幼稚園の遊具が並んでいます
説明板
この大通寺にある「冠掛の松」は、新田貞義が鎌倉に向う途中で休憩したときに冠を掛けた松とのことですが、埼玉県所沢市
久米に鎮座する鳩峰神社には、戦勝祈願の際に兜を掛けたといわれる「兜掛けの松」があります(すでに何代目かですが)
こうした言い伝えはあちこちにあるようです。
散策日:平成30年(2018)9月23日(日)