豊臣秀吉による小田原攻めが始まったのは1590(天正18)年のことである。本城である小田原城は10数万余の兵に囲まれ、支城は次々と落とされていった。
北條氏邦の鉢形城も同年5月13日、豊臣方の前田利家・上杉景勝ら北国勢35000(その後、加勢を得て50000)に包囲され、鉢形勢は城兵3500をもって
籠城したが、1か月後の同年6月14日、城兵・領民の助命を条件に開城し、氏邦は前田利家の預かりの身となり、金沢の地で没した。
そんな豊臣軍と鉢形勢の攻防戦を再現した戦国絵巻「寄居北條まつり」を見学してきました。
鉢形城跡「笹曲輪」にはためく寄居北條まつりの幟
攻防戦が行われる玉淀河原 対岸には北條の陣が
大砲が北條の陣に向けて並んでいます
攻防戦に参加の武将・兵が入陣してきました 騎馬で入陣は氏邦の室・大福御前
細川紙甲冑隊(小川町・東秩父村) ユネスコ無形文化遺産に登録されてでしょうか初めての参陣です
次々と隊が入陣してきます 隊名は色々です まあお祭りですから
北條早雲から始まる北条五代
大分集まってきました とにかくいろいろ
交通安全の幟は祭りとは言えちょっと引いちゃいます
壇上には関係市町村の首長さんやお偉い方が一堂に イベントのお決まりですから
狼煙が上がりました これは異変のしるし
御注進 御注進 豊臣勢が攻めて参りました
出陣の下知のあと三献の儀をすませいざ出陣ということで街中をパレードに(一応行軍としておきましょう)
大将北條氏邦公 ちょっとお歳をめした氏邦ですがお偉い方が扮する役なもので
大将なのに采配を持っていませんでした 忘れちゃったのかな 気にしなければ誰も気づかないですが
「大福御前」 上の氏邦は晩年の氏邦 大福御前は若いころの大福御前と思えば 見た目の年齢差は気にならず
町議会議員隊の皆さん 暑いから水分補給です
こちらの隊にも水分補給中の雑兵が
滝の城隊 氏照の八王子城の支城です つまり小田原城の支城の支城ですから孫城(そんなのあるか!)
一足先に玉淀河原に帰陣して待っていたら騎馬武者が
そしてもう一騎
でも一騎打ちは馬から降りて 馬から降りちゃても1対1だから一騎打ち
パレードから武将・兵が帰陣してきました。便宜上、豊臣軍と鉢形軍に分けられていきます。
帰陣の模様は省略していきなり合戦の様子に入ります
合戦に参加したのは一部の隊だけです あとは後方支援(早い話が見学です)
中には1対1で戦う兵も
熱くなるとついつい本気になって相手を倒してしまいます
後方支援の隊はこんな具合ですから
「ひけ! ひけ!」の合図でいったん陣に戻るもすぐに隊形を整えて「行け!」の合図 疲れちゃいます
橋の上での切りあい 川に落ちる武将が何人も 中にはひとりで数回落ちる武将も
豊臣方との和睦のため正龍寺の和尚がやってきました(本当の正龍寺の和尚さんだと思いますが)
和睦成立 これにて寄居北條まつりも終了また来年ということで
長々とくだらないストーリ仕立ての見学記にしてみました。
全部の参加隊や、合戦の模様の写真をもっと多く載せればよいのでしょうがこれ以上の作業は大変なのでこの程度にしておきます。
散策日:2015年(平成27年)5月10日(日)