四季・めぐりめぐりて

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奈良別命の徳を称えて建立された『奈良神社』(埼玉県熊谷市)

2020年12月27日 | 神社仏閣
◇延喜式内社◇


社 号:奈良神社(ならのじんじゃ) 
旧 称:熊野社
御祭神:奈良別命(ならわけのみこと)
創 建:不詳
社 格:延喜式内小社・旧村社
例 祭:4月15日 (春祭り) 10月15日(秋祭り)
指 定:-
鎮座地:埼玉県熊谷市中奈良1969

 【奈良神社が鎮座する奈良の地は、北は利根川・南は荒川のほぼ中間に位置し、神社の南1㎞程の処には古代
の官道である東山道(後の中山道)が通っている。
  神社の歴史・由緒
 神社創建は、今から1530年前、飛鳥に宮都が置かれた(592年~和同3年710年)に崇陣神天皇の第一皇子豊城
入彦命の四世の孫にあたる『奈良別命」が初めて下野の国(栃木県)の国造に任ぜられ、武蔵の国の荒地を拓き
人々の発展と安住の地を造られた祖であり、郷民たちが奈良別命の徳を称え神社を建てたと伝えられている。奈
良の地名は、この地方を開拓した奈良別命をもって奈良と称したと言われております。
 古くからの歴史を有する奈良神社は、延喜式内社と呼ばれていますが、この式内社とは、平安時代に醍醐天皇
の命により作られた律・令・格の施工細則を集成した法典の中に、神祇官が作成した官社帳に記されている神社
で、近郷では、幡羅郡4座と記されている式内社のうちの一社で古くから奈良村の総鎮守であった。】

                【当社社務所前掲示板に貼られた『延喜式内社 奈良神社」説明書から抜粋】




『一の鳥居』
国道407号を妻沼方向に進行し「中奈良」交差点を左折、少し進行した右側に酒店があります。酒
店手前の角を右に入ったすぐのところに建立されています。
実は、ここに鳥居があると知ったのは奈良神社を参拝して帰宅後のことで、この鳥居の写真を撮る
ためだけに翌日再び奈良神社に赴き、徒歩で鳥居まで行って撮ってきたものです。
鳥居付近には駐車できるところがありません。
ここに限らず、実際には2度3度と行っているところだらけですが、下調べ不足を曝してしまいます
ので、そのことには触れないでいるだけです(恥)




『扁額』 【奈良神社】とありますが「ならのじんじゃ」と読むようです




一の鳥居から約130mのところに石灯籠があります




『二の鳥居』
初めは一の鳥居かと思っていた鳥居です
空の色を見れば一の鳥居と二の鳥居を撮った日が違うことが分ってしまいますが・・・




『扁額』には一の鳥居と同じく【奈良神社】とあります




鳥居の柱の裏にはしっかり【延喜式内社 奈良神社】と刻んであります




2対目の石灯籠と『三の鳥居』




『三の鳥居』
一の鳥居、二の鳥居は「明神鳥居」でしたが三の鳥居「両部鳥居」です




『扁額』 【奈良之神社】と揮毫されています  
このことからも「ならじんじゃ」ではなく「なら の じんじゃ」という呼称であることが分ります




『三の鳥居』両部鳥居を横から




『手水場』




『狛犬』と『拝殿』




『狛犬』




『拝殿』




『賽銭箱』
「菊花心に三つ巴」紋です 外側の〇は装飾で入れたものかと思います 本来は〇なし




『向拝』猿股の彫刻




拝殿の『扁額』 【奈良之神社】と揮毫されています
額下辺に「菊花心に三つ巴」紋が入っていますが、これには外の〇がありません




『拝殿内』
格子戸とガラス戸の二重になっていてカメラがガラスに反射してしまいうまく撮れません




社殿を右斜めから




社殿を左斜めから




『本殿』




『本殿側面』




本殿側面に施された彫刻




本殿の斜め背後から




社殿の左側にある境内社殿
左から  国魂神社・八坂神社・怡母社・金山社・天神社・伊奈利神社




「堅牢墜神」と刻まれた安政4年の石塔  
さて何なのでしょう 後で調べてみます(忘れてしもうかも知れませんが)




『神楽殿』




『社務所』




社務所前の掲示板に貼られている『延喜式内社 奈良神社」説明書
ガラスの内側のためガラスに景色が反射してしまい読みにくいですが、冒頭に記したのはこの説
明文の前半部分です。




奈良神社の遠景  残念?二の鳥居は笠木の端のほんの一部しか入っていません(右端の白い部分)

参拝日:令和2年(2020)10月20日(火)

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