四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

山の神古墳(埼玉県本庄市)

2020年02月10日 | 古墳


名 称:山の神古墳(やまのかみこふん)
別 名:小島山の神古墳・小島5号墳
墳 形:円墳 
規 模:直径41m、高さ5.2m
築 造:6世紀後半
指 定:市指定史跡(名称:山の神古墳 昭和51年(1976)12月27日指定)
所在地:埼玉県本庄市小島2丁目(旧本庄市)

本庄市と児玉郡上里町にまたがる旭・小島古墳群の1基である山の神古墳を訪ねてみました。同墳の
すぐ北側には蚕影山古墳があります。




北側から墳丘を




東側から




南側の道路から




墳頂  石祠が鎮座




南西から  左にあるのが「蚕影山古墳」 右が「山の神古墳」 

散策日:令和元年(2019)12月5日(木)

考古学講座6「山王塚古墳の調査成果と上円下方墳について」

2020年02月08日 | 講演会・講座




埼玉県立さきたま史跡の博物館主催
令和元年度さきたま講座9回 考古学講座⑥「山王塚古墳の調査成果と上円下方墳について」
講 師: 藤 田 健 一 氏(川越市文化財保護課)
日 時: 令和2年(2020)2月8日(土)13:30~15:30  
会 場: 埼玉県立さきたま史跡の博物館 2階講堂 (埼玉県行田市埼玉)

を聴講してきました。

日本各地に築造された古墳は16万基超と言われていますが、そのうち発掘調査で確認された上円下
方墳は6基しかなく、それらの中でも山王塚古墳(川越市)は最大の上円下方墳と言われます。
講座の前半は古墳の全般について、後半は今回のテーマである山王塚古墳の調査成果についてのお
話しをしていただきました。




平成31年(2019)4月15日に、山王塚古墳を探訪してきましたが、その際の写真の1枚です。

聴講日:令和2年(2020)2月8日(土)

長沖32号墳(埼玉県本庄市)

2020年02月06日 | 古墳


名 称:長沖32号墳(なかおき32ごうふん)
別 名:長沖古墳群第32号墳
墳 形:前方後円墳 
規 模:全長32m・高さ2m 
築 造:6世紀代
出土物:円筒埴輪片円筒埴輪・朝顔形円筒埴輪等
指 定:市指定史跡(指定日確認できず)
所在地:埼玉県本庄市児玉町児玉南2丁目(旧児玉郡児玉町)

本庄市児玉町(旧児玉郡児玉町)に所在する長沖古墳群(別称:梅原古墳群)は、総数180基を超す
大規模な古墳群であったようですが、削平等で残存するものは僅かのようです。その中の1基である
長沖32号墳は長沖古墳公園として整備されているとのことでしたので訪ねてみました。




北側道路から見た長沖32号墳




説明板
出来れば史跡指定年月日や古墳の規模についても記してほしかった




南側からの状況  階段のある墳丘が前方部




東側からの状況  左側が前方部 立て看板のある所がくびれ部 右側が後円部




前方部墳頂から後円部墳頂
公園として整備したためにでしょうか、絵に描いたような鍵穴の形をしています。

散策日:令和元年(2019)12月5日(木)

鷺山古墳(埼玉県本庄市)

2020年02月05日 | 古墳


名 称:鷺山古墳(さぎやまこふん)
別 名:―
墳 形:前方後方墳 
規 模:全長約60m、後方部幅約37m・高さ約5.4m、前方部幅約30m
築 造:古墳時代前期中頃(4世紀前半頃)
指 定:県指定史跡(名称:鷺山古墳 平成13年(2001)3月16日指定)
所在地:埼玉県本庄市児玉町下浅見(旧児玉郡児玉町)

児玉下浅見集会所・八幡神社の近くにこの鷺山古墳があるとのことから探し回りましたが、それら
しきものが見当たりませんでした。標柱に出会いやっと鷺山古墳を・・・しかし、あまりの姿に




標柱の側面に、鷺山古墳の概要が記されています。現地説明板を兼ねているのかも知れません。

この古墳は、一辺が約37メートルの後方部と撥型に開く前方部によって構成される。
全長60メートルの前方後方墳である。この古墳からは、底部穿孔の壺形土器等が出土しており、
4世紀前半の築造と推定される埼玉県内最古の古墳と考えることができる。




南方から全景を・・・と言っても墳形を掴めない状態ですが、左手前が前方部のようです




登れる所と言ったらここくらい・・・後方部か?




後方部墳頂の三角点

これまで県内最古の古墳と考えられるとされてきましたが、現在では、東松山市の諏訪山29号墳や
吉見町の山の根古墳がより古い時期の前方後方墳と考えられているようです。   

散策日:令和元年(2019)11月29日(金)

秋山庚申塚古墳(埼玉県本庄市)

2020年02月04日 | 古墳


名 称:秋山庚申塚古墳(あきやまこうしんづかこふん)
別 名:秋山1号墳
墳 形:円墳 
規 模:直径約34m(残存部16m)、推定高約5m 横穴式石室
築 造:6世紀後半
指 定:市指定史跡(名称:秋山古墳群 昭和40年(1969)3月1日指定)
    県選定重要遺跡(名称:秋山古墳群 昭和51年(1965)10月1日選定)
所在地:埼玉県本庄市児玉町秋山 (旧児玉郡児玉町)

秋山庚申塚古墳は、数10基(現存15基?)あったとされる秋山古墳群(市指定史跡、県選定重要遺
跡)を構成する代表的な古墳で、削平や破壊等で元の大きさはありませんが、秋山宿田保地区に所
在します。




石室開口部は南南西にありますが、現在、石室には立ち入れないようになっています。




『秋山庚申塚古墳』説明板




『秋山庚申塚古墳』標柱
秋山古墳群は、児玉郡児玉町当時の昭和40年(1969)3月1日、児玉町指定史跡となりましたが、平
成18年(2006)1月10日、旧本庄市との新設合併により新・本庄市となりました。
この標柱は児玉町時代に建てられたもののようです。




石室 全長7.7m、玄室長5.6m
某ブログによれば、石室上部は昭和初期に見よう見まねで復元した考古学的に全く意味のない積み
方だそうです。




墳頂部




墳頂のすぐ直下ににあるこの覗き穴のようなものは、昭和初期に石室上部を復元した際に作ったも
のでしょうか? 折角ですから覗いてみましょう。




玄室内がよく見えます




墳丘を東側から

南東から散策日:令和元年(2019)11月29日(金)

平重能の墓・平将平の墓(埼玉県皆野町)

2020年02月03日 | 史跡・遺跡・文化財


名 称:平重能の墓・平将平の墓(たいらのしげよしのはか・たいらのまさひらのはか)
別 名:-
指 定:2基とも町指定史跡(名称:平重能の墓・平将平の墓 昭和38年(1963)10月1日指定)
所在地:埼玉県秩父郡皆野町皆野271 円福寺

皆野町の円福寺に坂東武士の鑑と称された畠山重忠の父・平重能(畠山重能)と、平将門の弟・平
将平の墓があるとのことから訪ねてみました。

上の写真は、円福寺の山門を潜った参道から本堂に向けてのものです。




山門の道向かいにある墓地の入り口に設けられている「平重能の墓・平の将平の墓」説明板




『平重能の墓』




元は五輪塔のようですが、長い時間の間に大分風化してしまったようです。
墓石の傍らには、写真には写り込んでいませんが ≪重能院殿實宗心大居士≫ とある卒塔婆が立て
かけられています。




『平重能の墓』説明文
この説明文の範囲では、この墓が平重能の墓であるとの根拠については触れられていませんが、
「伝」と解釈すれば問題ないでしょう。
また、深谷市畠山(旧大里郡川本町)にある畠山重忠公史跡公園(畠山重忠館跡)にも、畠山重能
(平重能・秩父重能)の墓と伝わる自然石があります。




『平将平の墓』




平将平の墓とされるこの凝灰岩の五輪塔は火・水・地輪が残るのみです。火輪は非常に大型です。
やはり墓石の傍らに ≪平将院殿量山圓光大居士≫ とある卒塔婆が立てかけられています。




『平将平の墓』説明文
平将門の墓とする説があるようですが、円福寺の旧来記を基に実弟将平の墓としているようです。
将門伝説は色々なところにありますから、どこまでが本当か分らないかも知れません。現に、この
皆野町の下日野沢川の沢辺橋の傍には「将門の首塚」と伝わるものがあるようです。

散策日:令和元年(2019)11月29日(金)

ジョウビタキ

2020年02月01日 | 花・鳥・風景






上3枚は、槻川の堤の斜面に見つけたジョウビタキを道路から




こちらは上記場所からだいぶ離れた丘陵の畑の中に見つけたジョウビタキ

両者とも同じ日の散歩道で見つけたものですが、2カ所でジョウビタキの写真を撮れるとは・・・

撮影日:令和2年(2020)1月10日(金)