【2019.4.13撮影】
「日本資本主義の父」と評され る渋沢栄一を主人公とした.NHK大河ドラマ『青天を衝け』が2月
14日に始まりました。
初回は栄一の幼少時代の話でしたが、栄一は江戸後期から末期の砲術家高島秋帆
(たかしましゅうほう)
(役・玉木宏)と3度の接点がありました。最初は、唐丸籠に乗せられて幽囚先の岡部藩(村)へ
向かう高島秋帆と出会う場面。2度目は栄一ののちの妻となる千代が櫛を川に流してしまったのを
拾って渡してくれた場面。そして、3度目は夜中に抜け出して従兄弟らとともに秋帆が幽囚されて
いる岡部陣屋に向い、牢の中の秋帆と言葉を交わすというものでした。
史実では渋沢栄一と高島秋帆が直接接したことはないようで、ドラマ上の演出のようですが、秋帆
が岡部藩に幽囚されていたのは事実です。
この先、栄一と秋帆の接点があるのか気になるところです。
(写真は渋沢栄一の生誕地に建つ旧渋沢邸『中の家』 栄一の妹夫妻によって明治28年上棟された建物)
所在地:埼玉県深谷市血洗島247-1
指 定:埼玉県指定旧跡(名称:渋沢栄一生地 昭和58年(1983)9月22日指定)
深谷市指定史跡(名称:旧渋沢邸「中の家」 平成22年(2010)2月10日指定)
※ 埼玉県指定旧跡「渋沢栄一生地」非該当部分を指定
【2017.12.14撮影】
石碑が建つ場所に高島秋帆が幽囚されていた
この辺り一帯が岡部陣屋があった場所ですが遺構はありませんので、陣屋跡と言ってもピンときませんが
所在地:埼玉県深谷市岡部1201他(旧・大里郡岡部町)
指 定:埼玉県指定旧跡(名称:岡部藩陣屋跡 昭和13年(1938)3月31日指定)
【2017.12.14撮影】
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高島秋帆幽囚の地
高島秋帆は、寛政10(1798)年、長崎の町年寄の家に生まれる。名は茂敦といい、通称は四郎太夫、
秋帆は号である。父の跡を継ぎ、町年寄をつとめたが、傍らに広く蘭学を収め、特にオランダ人を通じ、
砲術を研究し、西洋式の高島流砲術を創始した。天保年間、欧米のアジア進出の危機に備えて、砲術の
改革を幕府に進言した。天保12(1841)年、秋帆44歳のとき、幕府の命により、江戸近郊の徳丸ヶ原で
西洋式の調練を実施し、西洋式の兵術・砲術を紹介した。
その結果、幕府は幕臣にも西洋式の兵術、砲術を学ばせることとなり、伊豆韮山の代官、江川太郎左
衛門をはじめ、多くの幕臣が彼のもとに入門した。しかし翌13(1842)年、秋帆は中傷により獄に投ぜ
られ、弘化3(1846)年より許される嘉永6(1853)年まで岡部藩預かりの身となった。
現在地は、当時の岡部藩陣屋の一角であり、この石碑の立つ場所に秋帆は幽囚されていた。岡部藩で
は客分扱いとし、藩士に兵学を指導したと伝えられている。その後、江川太郎左衛門ら、秋帆の門人た
ちは幕府に願い赦免に尽力、ついに嘉永6(1853)年、ペリー来航と共に幕府は近代兵学の必要性から
急きょ秋帆を赦免した。
この後、秋帆は幕府に仕え講武所教授となり、講武所奉行支配などをつとめ、慶応2(1866)年、69
歳で没した。日本の西洋式兵学の先駆者である。
平成3年3月
埼玉県 岡部町
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※徳丸ヶ原・・・現在の東京都板橋区高島平 高島秋帆にちなみ、町名「高島平」が誕生