ワシはある日を境に、イキナリこの道に入った。
本妻や子供達やそれまでの借金があった。
収入はほとんど無いが、学ぶのにお金はかかった。
銀行を騙して、土地・建物で借金をした。
(い、いや、ちょっと将来に期待を持たせたけど・・・)
約10年は使う金が上回っていた。
(今まで、ず~と・・・という意味ね・・・)
銀行以外からも、当然、借金した。
子供の通帳や保険は当然、使った。
(親とは、そういうものよ、フッ!)
もう昔の話だ。
過ぎた事なのに、金を貸した方はいつまでも憶えている。
ワシは普段忘れているのに・・・煩わしい。
銀行は肚の小さいヤツだ。
それでは幸せになれん。
過ぎた過去にすがっては、未来は来ないぞ。
このように「忘れる」事は未来がある。
「忘れぬ」事は過去にすがる。
どちらが「幸せ(嬉しい・愉しい・心地よい)」かは一目瞭然だ。
金貸しが「忘れぬ」と双方に支障が出る。
金貸し(銀行)は「おおらか」でなくては社会貢献できない。
不幸の元の記録は破いて捨てようぜ。
「忘れる」と「忘れぬ」。
心はデジタルの仕組みだ。
刹那(約75分の1秒)で次の世界に入る。
それを無理やり「忘れぬ」から苦しみがある。
「忘れる」のが自然。
「忘れぬ」のは不自然。
苦しみは自然から外れると鳴る警告なのだ。
忘れようが、忘れまいが、過去の事実は変わらない。
だが、未来の展開は変わる。
「忘れる」ほど明るい未来に変る。
それでもアナタは「忘れぬ」方の味方か?
ワシは「忘れる」側を応援するぞ。
人はいずれボケる。
努力してもボケる。
忘却は誰でも平等に与えられる。
ジタバタしても、忘れるものなのだ。
だが「嬉しさ・愉しさ・気持ちよさ」の体験。
「苦しさ・悲しさ・辛さ」の体験。
これらは積み重なるものだ。
体験の数や深さは魂に刻まれる。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」