体験は魂に刻まれる。
思い出は心で記憶する。
体験の感想は心だ。
心は嘘つきで当てにならない。
だから体験の感想は変る。
あの時は辛かったと思ってたのに・・・
今となっては懐かしい。
甲子園を目指して血と汗と涙の日々。
「オトコは顔よ」
振られた思い出・・・。
体験は消せない。
忘れても、消えない。
だが、感情や感想は変るのだ。
感情や感想は「忘れる」対象なのだ。
「忘れぬ」出来事があってもいいが、
「忘れぬ」感情は苦しみを生むだけだ。
喜び、悲しみ、嬉しさ、辛さ。
その時に出会う感情がある。
喜びに出会ったら、喜ぶ。
悲しみに出会ったら、悲しむ。
それで充分だろう。
今、悲しみに出会ったわけでもないのに、
悲しみを「思い出して」嘆く。
今、怒りの場面でもないのに、
怒りを「思い出し」腹を立てる。
生きている「今」を犠牲にして。
心は体験を味わう為にある。
心だけ取り出すのは歪みになる。
多くの人が勘違いする。
心が単独で大切だと勘違いする。
心はいつでもオマケなんだ。
体のオマケ。
出来事のオマケ。
心はセットで味わうモノだ。
だから、その都度「忘れる」のが活用。
心は「忘れる」と活きてくる。
意志は心からアプローチするが、
魂に刻むから、忘れても大丈夫だ。
(いったい、このテーマで何を書きたかったのか?
・・・・忘れてしまった・・・・)
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」