「氣」もプラーナもワシの力じゃない。
ワシのモノじゃない。
ワシは他(神か何か知らん)のフンドシで相撲をとる。
まぁ誰だって自分のモノなんてほとんど無いけどね。
この概念はアボリジニやホピやナバホの人達に学ぼうぜ。
他のフンドシだから良く洗ってから使う。
洗うのはフンドシじゃない。
フンドシはいつも綺麗なのだ。
洗うのは、自分の汚れた体と心だ。
それがセルフヒーリングという事なのだ。
(解る人のみの説明だなぁ・・・)
プラーナは受けるモノ。
受けるモノは感謝するモノ。
感謝で濃く反映するモノなんだな。
「感謝」で活用できるようだ。
つまりプラーナの意識の方向は「感謝」だ。
プラーナを単純に生命エネルギーとすると、
感謝抜きにして受け取ろうとする。
しかも出来るだけ多く取り入れようとする。
元気になるぞ、健康になるぞ・・・。
欲張りは感謝知らず・・・。
入るのはプラーナでなかったりして・・・。
毒素の方だったりして・・・。
どちらも見えないからなぁ・・・。
どちらも一見力強くなるしなぁ・・・。
中途半端な呼吸法を覚えるからだ。
まぁ、他人の趣味ならモンクはないが・・・。
プラーナを入れる事より感謝する。
入れる事より、他に使う。
他に使っていただく。
愛は独占しようとしても無理だと思うよ。
あまり難しい事じゃないけどなぁ。
最初から自分のモノじゃないし。
自分の力でもないし。
ありあまるほど満ち溢れているし。
どうせ包まれているんだ。
力んで取り入れる相手じゃないぜ。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」