活かす元がある。
活かされる存在がある。
我々も活かされる存在の一つだ。
プラーナという概念。
活かされる存在という概念。
生命エネルギー。
宇宙エネルギー。
ワシも恥ずかしい説明をしていた。
今も変らぬアホだが、
アホと気づかぬアホの時代だった。
「氣」のプロ側になった。
プラーナを「氣」である、とはいわない。
言うかもしれないが、それはメンドウだからだ。
メンドウはコテに勝る・・・意味不明・・・。
だんだんとメンドウ菌が繁殖してきた。
・・・いいよ。なんでも。
表現の自由は守りたい・・・。
自由の女神ならいいが・・・
某アメリカにあるのは銃の女神だしなぁ・・・。
いったい、何がいいたいのやら・・・。
メンドウ菌が脳ミソで繁殖している・・・。
閑話休題。アカンは落第(意味不明・・・)
意識は「氣」やプラーナを左右する。
意識しなくても影響下にあるのだが、
意識は見えないモノを濃くするのだ。
濃ければ、更に影響が強くなる。
それだけだ。
だけど・・・違いは大きい。
「活かす元」
プラーナを意識すれば、活性する。
包まれる意識。
呼吸で取り込む意識。
生命は活性化して自然体になる。
自然体とは生命の活性化でもある。
プラーナの、もう一つの呼び名もある。
「活かす元」のもう一つの呼び名。
「愛」
この世の存在にはプラーナがある。
この世は「愛」で満ちて(包まれて)いる。
それにしても・・・
今日の雑記は、メンドウで満ちている・・・。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」