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1メートルのスプーン(回答編)

2008年03月04日 01時58分48秒 | MAMIの哲学的思考
ブログをご覧の皆さん

たくさんコメント入れて頂きましてありがとうございました。

また、お約束どおり、答えを書かないでくださって
ありがとうございます。

ついつい、答えって言いたくなってしまいますよね♪

格言う私もすぐに言ってしまうタイプなので、

最近はじっとガマンするように心がけています。

何故なら、他の人が自ら答えを見出すことの

邪魔でしかないから。。。



そんなわけで、まだ問題編をお読みじゃない方は、

この先を読まないで、ひとつ前のブログをご覧になってくださいネ♪



そして、回答を待ちわびてくださった皆様

大変お待たせいたしました。m(__)m



回答は、ほぼ全員「正解!」だと思います。


ただ、私が申し上げたいのは、そこから先の話です。



つまり・・・


天国では、お互いに食べさせあっていたので、

みんながシアワセで満足していた・・・ということなのですが、


現代に置き換えた場合、どうでしょう?


私は、皆さん同様、お互いに食べさせあう、

あるいは、お向かいの人に食べさせてあげる・・・と

答えを導き出す人は、何人かいらっしゃると思うのですが、



食べさせてもらった人はどうしているのか?


ということが気になります。


もちろん、お互いに食べさせ合えて、みんなが満足できれば

言うことはありませんが、

今の社会では、

気付いた人は、きっとご自分のお向かいさんに

どうぞ♪と言って、食べさせていると思うのです。


しかし、食べさせてもらった人は、

自分が満足して、食べさせてくれた人にありがとうと

言うかも知れないけれど、

自らは、その人や他の人へ食べさせようとは思わない(気付かない)人が

多いのではないかと言う事なのです。


☆を書くように、順番に食べさせてあげるようにしても、

きっと最後の人は、最初の人に食べさせるのを忘れて、

自分が最後に食べる番だ!ようやく食べれる!満足!

で、終わってしまうんじゃないかと思うのです。


皆さんの周りには、そういう出来事はないでしょうか?


ここで、ファシリテーターの役割は?と、考えると、

スプーンが長くて食べれない状況のときに、

お互いに食べさせあいましょう♪

と、提案することはできますネ。

そして、ペアになって食べさせあうなら良いけれど、

奇数のグループへの心配りや、

ひとりで何人ものお子さんに食べさせている人とか、

おじいちゃんおばあちゃんに食べさせてあげるだけで、

自分は食べさせてもらってない人を見つけて、

その人たちにも食べてもらうようにすることが大事ですよね♪


また、みんなに食べてもらうのに精一杯で、

自分が食べてないときは、

「私も~!あ~~~~ん!!」て、

言えることが大切なのかな?



1メートルのスプーン「天国と地獄」のお話

このお話から、

あなたは何を学びましたか?

是非教えてくださいネ♪