今日、ふれあいセンター・ケリヤホールで行われた「戦没者追悼式」に参列しました。戦没者追悼式に対するわたしの印象や考えは、大きく変わりました。今までは、大きく立派な祭壇、参列者にお茶の葉が配られる、ご遺族よりも来賓(議員も)の献花が先・・・違和感ばかりが先行していました。
けれども、命日もわからず、遺骨もなく、ご遺族の方は一年に一度だけこの追悼式で亡き人と向きあわれています。告別式を経て、多くの方に送られて、その人の人生をみつめて弔うことができる今と、国が起こした戦争で人生を閉じられた方を比べることはできません。
多くの戦争犠牲者が、我が息子とそんなに年齢の変わらない若者や、幼い子どものいるお父さんだったと思うと、さらに深い怒りと悲しみが襲ってきました。残された女性も、子どもも傷痍軍人の方も、たいへんなご苦労だったと思います。
幼い頃には、初詣や両親につれられていくお祭りで、必ず白い服を着た軍人さんが地面に伏しておられました。わたしはそれが怖かった。その姿には底のみえない哀しみがありました。もっと怖かったのは、多くの大人が、目もくれず、賑やかに行き交うこと。今でもあの白い姿を忘れることができません。
一度戦争をすれば、ましてそれが近隣諸国ならば、少なくとも100年は禍根がのこって当然ではないでしょうか。近隣諸国と領土問題、民族問題で揉めていない国はむしろ少ないと思います。そのことばかりに焦点をあてて、国が右傾化していくとしたら、失うものの方が大きい。
国の行き過ぎた、誤った右傾化は、なんとしてでも止めなければならない。流されてはいけない。
けれども、命日もわからず、遺骨もなく、ご遺族の方は一年に一度だけこの追悼式で亡き人と向きあわれています。告別式を経て、多くの方に送られて、その人の人生をみつめて弔うことができる今と、国が起こした戦争で人生を閉じられた方を比べることはできません。
多くの戦争犠牲者が、我が息子とそんなに年齢の変わらない若者や、幼い子どものいるお父さんだったと思うと、さらに深い怒りと悲しみが襲ってきました。残された女性も、子どもも傷痍軍人の方も、たいへんなご苦労だったと思います。
幼い頃には、初詣や両親につれられていくお祭りで、必ず白い服を着た軍人さんが地面に伏しておられました。わたしはそれが怖かった。その姿には底のみえない哀しみがありました。もっと怖かったのは、多くの大人が、目もくれず、賑やかに行き交うこと。今でもあの白い姿を忘れることができません。
一度戦争をすれば、ましてそれが近隣諸国ならば、少なくとも100年は禍根がのこって当然ではないでしょうか。近隣諸国と領土問題、民族問題で揉めていない国はむしろ少ないと思います。そのことばかりに焦点をあてて、国が右傾化していくとしたら、失うものの方が大きい。
国の行き過ぎた、誤った右傾化は、なんとしてでも止めなければならない。流されてはいけない。