12月の一般質問「もっと文化を!埋蔵文化財保護行政と歴史文化基本構想」(要約:文責とだ)*つづき
水無瀬学と史跡指定について
考古学に頼らない複眼的な視点が求められています。藤原定家の『明月記』など、文献による水無瀬殿研究からすれば、山崎から桜井方面まで、町域内のすべてが重要な地域です。
島本町教育委員会として水無瀬殿関連遺跡の内容とその価値を明らかにし、十分な知見を蓄えていかなければなりません。←ここ重要
第4回JR島本駅西地区まちづくり委員会において、参考人・前川佳代氏(考古学)がおっしゃった言葉をお借りして、わたしはこれを「水無瀬学」と呼びたいと思います。
問:戸田
埋蔵文化財分野においては「文化財保護法」に現状保存の理念が含まれていないことから、行政として可能な限りの現状保存を求めても、広瀬国木原遺跡、西浦門前遺跡がそうであったように、開発行為に伴って発見された遺跡の保存は容易ではない。
にもかかわらず全国各地で遺跡が保存され活用されているのはなぜなのか。史跡指定がなされているからではないか。保存と活用が行われている事例をどのように把握しているか。
答:教育こども部長
一般的に史跡指定は、埋蔵文化財の発掘調査だけではなく、歴史学や地理学などといった様々な学問分野から、その範囲、構造、性格などの検討を行い、検討委員会などを立ち上げて審議を重ねたうえで、その遺跡の情報がある程度詳細に把握できた時点で、国に意見具申するものであると認識する。
保存と活用についての事例として、例えば、高槻市には安満遺跡公園や今城塚古墳公園などの史跡公園があり、安満遺跡公園は昭和初期(1928)から発掘調査を進め、平成5年に民有地を史跡指定して以降、徐々に公有地化を進め、京都大学大学院農学研究科附属農場の移転に伴い、その跡地を追加指定して、安満遺跡公園として活用していると聞き及ぶ。
今城塚古墳公園は、昭和33年に史跡指定を受けた後に、約50年間かけて公有地化を進め、現在、史跡指定範囲のほぼ全域が公有地となり、公園として活用されている状況であると聞き及ぶ。
いずれにしても、今後の遺跡の保存と活用方法については、引き続き関係機関とも連携しながら調査研究していく必要があると認識している。
つまり展望を持って時間をかけて取り組む必要があります。国木原遺跡、西浦門前遺跡など、水無瀬殿関連の遺跡の発見は、広瀬、百山から桜井にまで展開される後鳥羽上皇の都市計画の思想を物語るものです。
今後も町域内から重要な遺跡・遺構が発見される可能性は十分にあります(広瀬・第一小学校のあたりで馬場跡など)。考古学的情報以外の資料から得られる情報も含め、総合的な見地から史跡指定を目指す必要があると考えます。
問:戸田
埋蔵文化財の平面的な拡がり、層位的な重なり、遺構や遺物の密度、遺跡の性格と重要度を把握し、適切に伝えることなく、遺構の原状保存への理解、協力は得られない。町教委はこれができていないのではないか。
答:教育こども部長
史跡指定するためには、その遺跡を詳細に把握する必要がある。水無瀬離宮跡の構造や性格等の詳細を明らかとするためにも、まず、その位置や範囲をある程度把握する必要がある。
しかしながら現在までの発掘調査では、水無瀬離宮跡の発見例は広瀬遺跡・国木原地区及び西浦門前遺跡の2例のみで、その範囲についてはほとんど判明していない。
そのような状況で、水無瀬離宮跡の詳細な情報を得るために広範囲に発掘調査や試掘調査を実施することは、費用・労力に対して効果が薄く、不要に文化財を破壊することにもなりかねない。
また、水無瀬離宮跡の中心となる埋蔵文化財包蔵地として指定されている水無瀬離宮跡や広瀬遺跡周辺はすでに市街化しており、広範囲に調査を実施するのは困難な状況。
本町では「島本町文化財保護条例」第18条第4項の規定により、埋蔵文化財包蔵地外の土木工事等においても教育委員会と協議するよう義務づけ、必要に応じて埋蔵文化財の調査を実施している。
引き続き埋蔵文化財包蔵地内外での土木工事等に伴う調査を実施し、その位置や範囲を把握してまいりたい。ある程度、位置や範囲を把握することができた段階で、水無瀬離宮跡の構造や性格を明らかにするためにどのような調査が有効であるかを検討してまいりたい。
埋蔵文化財について重要な発見があれば、その都度、そのときまでに蓄積した発掘調査成果や、その他の分野の研究成果をもとに事業主と発見された文化財の保存ができるように協議を行ってまいりたい。
つづく*
必見☆彡
尾山遺跡
2020年10月3日現地説明会資料
画像
高槻市・今城塚古代資料館にて
土師器が祭礼で使われる様子
水無瀬学と史跡指定について
考古学に頼らない複眼的な視点が求められています。藤原定家の『明月記』など、文献による水無瀬殿研究からすれば、山崎から桜井方面まで、町域内のすべてが重要な地域です。
島本町教育委員会として水無瀬殿関連遺跡の内容とその価値を明らかにし、十分な知見を蓄えていかなければなりません。←ここ重要
第4回JR島本駅西地区まちづくり委員会において、参考人・前川佳代氏(考古学)がおっしゃった言葉をお借りして、わたしはこれを「水無瀬学」と呼びたいと思います。
問:戸田
埋蔵文化財分野においては「文化財保護法」に現状保存の理念が含まれていないことから、行政として可能な限りの現状保存を求めても、広瀬国木原遺跡、西浦門前遺跡がそうであったように、開発行為に伴って発見された遺跡の保存は容易ではない。
にもかかわらず全国各地で遺跡が保存され活用されているのはなぜなのか。史跡指定がなされているからではないか。保存と活用が行われている事例をどのように把握しているか。
答:教育こども部長
一般的に史跡指定は、埋蔵文化財の発掘調査だけではなく、歴史学や地理学などといった様々な学問分野から、その範囲、構造、性格などの検討を行い、検討委員会などを立ち上げて審議を重ねたうえで、その遺跡の情報がある程度詳細に把握できた時点で、国に意見具申するものであると認識する。
保存と活用についての事例として、例えば、高槻市には安満遺跡公園や今城塚古墳公園などの史跡公園があり、安満遺跡公園は昭和初期(1928)から発掘調査を進め、平成5年に民有地を史跡指定して以降、徐々に公有地化を進め、京都大学大学院農学研究科附属農場の移転に伴い、その跡地を追加指定して、安満遺跡公園として活用していると聞き及ぶ。
今城塚古墳公園は、昭和33年に史跡指定を受けた後に、約50年間かけて公有地化を進め、現在、史跡指定範囲のほぼ全域が公有地となり、公園として活用されている状況であると聞き及ぶ。
いずれにしても、今後の遺跡の保存と活用方法については、引き続き関係機関とも連携しながら調査研究していく必要があると認識している。
つまり展望を持って時間をかけて取り組む必要があります。国木原遺跡、西浦門前遺跡など、水無瀬殿関連の遺跡の発見は、広瀬、百山から桜井にまで展開される後鳥羽上皇の都市計画の思想を物語るものです。
今後も町域内から重要な遺跡・遺構が発見される可能性は十分にあります(広瀬・第一小学校のあたりで馬場跡など)。考古学的情報以外の資料から得られる情報も含め、総合的な見地から史跡指定を目指す必要があると考えます。
問:戸田
埋蔵文化財の平面的な拡がり、層位的な重なり、遺構や遺物の密度、遺跡の性格と重要度を把握し、適切に伝えることなく、遺構の原状保存への理解、協力は得られない。町教委はこれができていないのではないか。
答:教育こども部長
史跡指定するためには、その遺跡を詳細に把握する必要がある。水無瀬離宮跡の構造や性格等の詳細を明らかとするためにも、まず、その位置や範囲をある程度把握する必要がある。
しかしながら現在までの発掘調査では、水無瀬離宮跡の発見例は広瀬遺跡・国木原地区及び西浦門前遺跡の2例のみで、その範囲についてはほとんど判明していない。
そのような状況で、水無瀬離宮跡の詳細な情報を得るために広範囲に発掘調査や試掘調査を実施することは、費用・労力に対して効果が薄く、不要に文化財を破壊することにもなりかねない。
また、水無瀬離宮跡の中心となる埋蔵文化財包蔵地として指定されている水無瀬離宮跡や広瀬遺跡周辺はすでに市街化しており、広範囲に調査を実施するのは困難な状況。
本町では「島本町文化財保護条例」第18条第4項の規定により、埋蔵文化財包蔵地外の土木工事等においても教育委員会と協議するよう義務づけ、必要に応じて埋蔵文化財の調査を実施している。
引き続き埋蔵文化財包蔵地内外での土木工事等に伴う調査を実施し、その位置や範囲を把握してまいりたい。ある程度、位置や範囲を把握することができた段階で、水無瀬離宮跡の構造や性格を明らかにするためにどのような調査が有効であるかを検討してまいりたい。
埋蔵文化財について重要な発見があれば、その都度、そのときまでに蓄積した発掘調査成果や、その他の分野の研究成果をもとに事業主と発見された文化財の保存ができるように協議を行ってまいりたい。
つづく*
必見☆彡
尾山遺跡
2020年10月3日現地説明会資料
画像
高槻市・今城塚古代資料館にて
土師器が祭礼で使われる様子