とだ*やすこの「いまここ@島本」

暮らしの豊かさ最優先!
ひとが主役のまちづくり!

大阪府島本町議会議員
とだ*やすこの活動報告

学生さんと歩いた大山崎・島本

2012年10月13日 | とだ*やすこの活動日記
秋晴れの朝、JR山崎駅前に集合。5月にJIAM議員研修で講義を聴き、以来、わがまち島本にお招きしたいと思っていた願いがこの度実現、「松藤保孝先生と歩くジャパニーズウイスキーのふるさと・山崎」を企画しました。

「松藤先生の誘いなら面白いと思ったから」と、はじめて島本町に来てくれた若者たちがほとんどでした。公共政策や地方自治、まちづくりに感心がある関西学院大学・法学部、松藤ゼミの学生さん11人。みなさんの期待に応えられたかどうか・・・

松藤先生の飾らないお人柄。議員研修でのお話もたいへん面白かったですが、講義も学生に人気があるということがよくわかりました。JR山崎駅・島本駅&阪急水無瀬駅・大山崎駅を移動、終日まちを周遊しました。素直な感想から町の課題を拾いました。大山崎町、島本町の都市間共創への一歩、わたしのなかでまた前進です。

朝の駅前は、まち歩き、観光客のみなさんで賑わっていました。閉鎖されたキオスクの跡に6日、観光案内書がオープンしています。開設翌日の午前に100人の方が来訪されたという意味がわかりました、ひとの集まりが凄いです。島本町の観光マップも置かせていただきており、たいへん感謝しています。多くの方が水無瀬神宮の場所を尋ねられるそうです。

さて、今日の街歩きは、まず聴竹居から。一般非公開、申込み可能な日でもない今日の聴竹居は場所だけを紹介する計画でした。ところが隣人のご主人(聴竹居倶楽部のボランティアさん)から、庭までならばご案内してもよいですよ、と特別にお声をかけていただくという幸運に恵まれ、お庭まで入ることができました。

しかも、地域の住民の方から、周辺のまちづくりに対する先人の思いを引き継ぐ覚悟、非常によいお話をきくことができたのです。加賀正太郎に建築された「大山崎山荘」本館(登録有形文化財)、建築家・藤井厚二の実験的住宅、鳥井信治郎の日本初のモルトウイスキー蒸溜所。どれもみな昭和初期の日本人の挑戦でした。街区の景観を形成するのは「ひと」であると心に沁みる名案内でした。

サントリーウイスキー館では、日本人がどんな思いで洋酒づくりに挑戦したかを再確認。島本町、山崎の地がスコットランドの気候風土に似ているという理由で1923年に蒸留所を。今日、サントリー山崎、響は、世界的な賞をいっぱい受賞し、チーフブレンダー輿水精一さんは世界の輿水さんです。輿水さんの「ウイスキーは日本の酒である」(新潮新書)をぜひ読んでいただきたい。惚れますよ。キーワードはやっぱり「ひと」です。

JR山崎駅の大阪行きホームの西寄りには、大阪・京都の府境があります。これが学生さんに意外に受け、Vサインで写真を撮り合ったり、境界線上で「自分は今どこのいるのだろう」と哲学的に呟く若者がいたりで楽しかったです。若いみんなは、歴史案内だけではない街の面白さを軽快に発見する力があり、新鮮でした。

JR島本駅に移動。今日歓声があがった唯一の場所、それが島本駅ホームでした。農風景をバックにその場で写真を撮り合う学生たちはサントリーオールドCM小林亜星作曲「夜が来る」(電車接近音)を知りません。みんなすべて平成生まれ。豊かさの価値観がバブル期以前、右肩上がりの時代とはまったく違うのではないか・・・「青葉茂れる桜井の」の価値観で将来像を描いてしまうのはどうなのだろう。

自分がいつもこうしたいと思っている島本町のイメージと、と若い人たちが住んでみたいと思う都市像には大きなギャップがある・・・考えさせられ、充実した一日でした。松藤先生、学生のみなさん、サポートしてくださった島本住民のみなさん、ありがとうございました。


画像は、藤井厚二氏設計、聴竹居のお庭
まもなく美しく紅葉します
築80年の住宅建築は必見(事前申込必要)
これを保存したいと思われたすべての方に感謝!
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