10月12日、大学時代の先生の古希を祝う会に出席してきました。
会場に行く前に、新潟の中心商店街を懐かしく散策。
この日はイベントがあり盛り上がってました。
さてお祝いの会はというと…。
出席者はおよそ50人。先生始め、研究室の先輩後輩方々、同期にも会え楽しいひと時を過ごしてきました。
私が研究室を選ぶ際、やはり設計の道に進みたいという思いから先生の研究室に入りました。
あれから35年。
東京の設計事務所に就職できたのも、先生の紹介があったから。
しかしながら卒業してから20数年、研究室には全くと言っていいほど顔を出すことはなかったのです。
10年ほど前研究室のOB会が開催され、久しぶりに先生や他の先生、諸先輩後輩、そして同期に会ったのです。
そのとき先生から言われた言葉を忘れません…。
「碇谷、君は不義理をしている。」
この言葉が重くのしかかりました。今でも心のどこかにこの言葉があります。
それからというもの、研究室や建築学科のOB会等があれば、余程のことがない限り駆けつけることにしています。
この日も先生と話をすると、若かった学生時代の懐かしい話を先生の方からしてくれる。
私自身も忘れているようなことを…。
先生は70歳になっても、外見も中身も全くと言っていいほど変わってなかった。
同期も、先輩方々、後輩諸氏も全く変わっていなかった。
何だか安心した。
後日、先生からメールが届いた。
「話していたら、新潟に着任した若い頃がついこの前だったようにも感じました。碇谷も、相変わらず元気な感じでとても懐かしかったです。」
不義理をしていた私が、微力ながら先生の力になれるのは、あの時と変わらない元気な顔を見せることだけかもしれません…。
会場に行く前に、新潟の中心商店街を懐かしく散策。
この日はイベントがあり盛り上がってました。
さてお祝いの会はというと…。
出席者はおよそ50人。先生始め、研究室の先輩後輩方々、同期にも会え楽しいひと時を過ごしてきました。
私が研究室を選ぶ際、やはり設計の道に進みたいという思いから先生の研究室に入りました。
あれから35年。
東京の設計事務所に就職できたのも、先生の紹介があったから。
しかしながら卒業してから20数年、研究室には全くと言っていいほど顔を出すことはなかったのです。
10年ほど前研究室のOB会が開催され、久しぶりに先生や他の先生、諸先輩後輩、そして同期に会ったのです。
そのとき先生から言われた言葉を忘れません…。
「碇谷、君は不義理をしている。」
この言葉が重くのしかかりました。今でも心のどこかにこの言葉があります。
それからというもの、研究室や建築学科のOB会等があれば、余程のことがない限り駆けつけることにしています。
この日も先生と話をすると、若かった学生時代の懐かしい話を先生の方からしてくれる。
私自身も忘れているようなことを…。
先生は70歳になっても、外見も中身も全くと言っていいほど変わってなかった。
同期も、先輩方々、後輩諸氏も全く変わっていなかった。
何だか安心した。
後日、先生からメールが届いた。
「話していたら、新潟に着任した若い頃がついこの前だったようにも感じました。碇谷も、相変わらず元気な感じでとても懐かしかったです。」
不義理をしていた私が、微力ながら先生の力になれるのは、あの時と変わらない元気な顔を見せることだけかもしれません…。