トドクロちゃんと山登り

自然が好きで日本アルプスと近郊の山登り。
高山植物や四季折々の花を愛で。
史跡・歴史・ドライブがすきな自由人です。

木曽路を歩く(木曽路十一宿)木曽福島宿から三留野宿(南木曽駅)

2019年04月22日 | データ

■2019.04.19(金) 6:22南木曽駅発に乗り7:02木曽福島駅到着。
二日目は木曽福島駅から南木曽駅までを歩く。
まだ寝ている街を抜ける。
道路脇にはイチリンソウが咲いている。
塩淵一里塚を過ぎて暫く行く。
国道脇の除雪機
いつもお世話になります。
標高も下げ南にきたので花が多い。
御嶽遥拝所。
ここは「御嶽の四門」の一つ。
大峯山の「金御嶽」(カネノミタケ)を頂点に各国の「国御嶽」(クニノミタケ)がある。オンタケとミタケは混在するが木曽御嶽山の影響が強い所が「オンタケ」である。
本来相撲の御嶽海はミタケウミではなくオンタケウミとすべきかな?
木曽御嶽山は裾のしか見えない。
木曽の棧
・松尾芭蕉
「かけはしや 命をからむ 蔦かつ羅」
・正岡子規
「かけはしや あぶない処に やまつつじ」
「桟や 水にとどかず 五月雨」
「むかしたれ 雲のゆききのあとつけて わたしそめけん 木曽のかけはし」
・木曽の棧
古くは今昔物語集に記述があり、豊臣秀頼が改良工事をした(『前田慶次道中日記』)。 1647年、通行人の松明により焼失するが、翌年に尾張藩が872両をかけて、石垣と3つの木橋を設けた。1741年と1880年の改修を経て、1911年には国鉄工事のため木橋が無くなり、石垣のみとなった。
人の顔みたいな侵食された石
上松宿(本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠35軒、人口2482:天保14年)
当時では木曽路で一番人口が多かった。
昭和25年(1950)の火災により江戸時代以前の建物の多くは失われましたが上町だけが延焼を免れた為、一部古い町並みが残っている。
枝垂れ桜。
そばで有名な元の「越前屋」
寛永元年(1624年)に創業の日本で二番目に古い蕎麦屋
街道つえの焼印をしてもらいために「ねざめ亭」へ
 
焼印ある?
 
あるよー
ここ出身ですね。
・寝覚の床
木曽川の水流によって花崗岩が侵食されてできた自然地形である。1923年(大正12年)3月7日に国の名勝に指定
・小野の滝
木曽八景の1つに数えられ、国道19号にさわやかなしぶきをおくる唯一の滝で、安藤広重の浮世絵にもあります。
 
※木曽八景
・徳音寺の晩鐘(日義村)
・御嶽の暮雪 (開田村、三岳村、王滝村など)
・棧の朝霞  (上松町)
・寝覚の夜雨 (上松町)
・風越の晴嵐 (上松町)
・駒の夕照  (木曽路各地より)
・与川の秋月 (南木曽町)
 
日帰りで分けて中山道を歩くおじさん達。
集木場と桜
吊橋
自撮り。
コブシ
空木への登山口。
昔はここを歩いた。
木曽川の景色
桃山発電所(日本最初の東・西サイクル発祥の地)
大桑村に入る。
R19沿いの枝垂れ桜
道の駅「大桑」で天ぷらそばで遅めの昼食
これが美味しい。
 
ミツバツツジ
スミレ
今日は花の道
ここはまだ登っていない。
どぶろく風味「木曽の棧」に西尾酒造がある
・須原宿(本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠24軒、人口478人:天保18年)
ここで焼印。
「桜の花漬け」はなかった。
水舟。
 
定勝寺
 
 
岩出観音
はなもも
・野尻宿(本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠19軒、人口986人:天保18年)
 
・三留野宿(本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠32軒、人口594人 :天保18年)
 
南木曽駅には18時を過ぎに到着、今日が一番長い距離を歩いた。
 
・今日のデータ

活動時間:11時間2分
活動距離:39.1km
高低差:406m
 
車まで戻り、今日も温泉と食事をしに。
そして中津川にある靴屋で運動靴を購入、明日はこれで行動する。
 
履いている登山靴は持っている登山靴の中では一番歩きやすいものですが
それでもテント装備用なのでソールが固くアスファルトを長時間歩くのは問題でした。
 
 


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