今日、12年前の4月5日に亡くなった父親の13回忌法要を浄土宗の菩提寺で行った。だいたい回忌法要は命日以外の日にする場合は前倒しにするのが通例である。
なぜ、前倒しにする必要があるのだろうか。それは浄土真宗以外は追善供養という形で行われるからである。
それで追善供養とはこの世で生きている者が善根を積みそれを亡者に回向する、それによって亡者の点数をアップし良い所へ生まれ変わってもらおうというものである。
もともとインドで考えられた中有という考え方に佛教が中国へ伝えられた時に儒教や道教と習合して十王経が作られた。この十王経は中国産なので偽経(ぎきょう)いわれるものなのであるが、それに基づいて法事が行われるようになった。
初七日から満中陰までの7日と、100か日、1周忌、3回忌までの10回に十王が割り当てられそれぞれの日にちに冥土の裁判が行われる。49日までに皆生前の行状に応じた世界に行くことになるのだが、100か日、1周忌、3回忌はいわば再審である。その時に追善によって善根点がアッブしておればその裁判によって良いところへ移動できるというのである。
つまり、裁判の日つまり命日までに善根の点数をアップしておかなければ次回回しになってしまうから前倒しにしなければならないという理屈なのである。
ところが浄土真宗の宗旨は阿弥陀佛の本願により「臨終即往生」という宗旨である。そうすると行くべきところへすぐ行くわけだから追善など必要ない。法事は行われるが追善の意味ではないというのである。
そもそも追善なんてものが可能なのかどうか。どうみても馬鹿げた話である。なにせ偽経に基づいたものなのである。それをできる法力を持った坊さんがどこにいるというのだろう。
親父の場合は13回忌だが、13回忌は十王経にも該当しない。7回忌、13回忌、33回忌は日本で江戸時代にどこかの坊さんがお布施稼ぎに始めて皆が真似して始まったものである。佛教でも何でもないのである。
だから、法要はあえて2日遅れの日付で実施した。「なぜ、後ろでするねん」と怪訝な顔をする者がいたが、「親父は極楽往生済や」という浄土真宗の理屈でやったのである。
十王 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E7%8E%8B
十三佛 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E4%B8%89%E4%BB%8F