12月8日といえば、若い人はピンとこないかもしれないが、我々の年代以上のものは大東亜戦争開戦の日であることがまず頭に浮かぶ。
17年の7月生まれだから、丁度母親の腹の中、胎教の音楽は軍艦マーチだったはず。しかし、生まれ出た時は日本が負け始めていた時だった。6月にミッドウェー海戦で大被害を被ったのだから。しかし、大本営の発表では日本が決して負けたようなことは言わない。勝った、勝ったで喜んでいた時勢だった。
それから3年世界中を敵に回して日本はよく戦ったと思う。多くの人はその戦争は日本が負けたのだという。確かに痛い目にあったし、降伏もした。しかし、戦争というものは小さな衝突からなし崩し的に始まるものも多いが、大義名分、戦争目的を掲げて戦う戦争もある。
あの戦争は後者に当たると思うのである。あの小野田寛郎さんが開戦の詔書を読んでほしいという。これを読んで当時の帝国臣民としては奮い立たざるをえなかったであろう。かの朝日新聞なんか先頭切って戦意の高揚を図っていたのである。それが戦後GHQにやられて自虐反日新聞になってしまうた。
確かに日本も日露戦争に勝って自信をつけ過ぎやり過ぎたところはあった点は反省しなければならないけれども、戦争とはそういうものである。
しかし、今になって考えると、欧米によるアジア支配、植民地解放と戦争目的は結果として果たしたことになるのではないかと思う。日本が蛮勇を奮わなければ今だアジアは植民地のまま、ひょっとしたら日本自体がそうなっていたのかもしれない。戦後70年になるが現在もアメリカの支配が軍事を始めいろんなところで及んでいるのである。
今日は、久しぶりに映画を見に行ってきた。ブラッド・ピット主演の「Fury」という戦争映画である。ドイツ戦線で戦車による戦闘を描いたものであるが、ブラッド・ピット演じる戦車長のセリフで「平和は理想だ。だが歴史は残酷だ」というのがあった。そのとおりだと思う。
どこかの国の人間は理想しか見ていないようだ。
ある人の言葉に次のようなのがある。理想と現実との関係においてどう生きるか。
理想に即して理想を生きる
理想に即して現実を生きる
現実に即して理想を生きる
現実に即して現実を生きる
どれが理想の生き方なのでしょう? 答えは後日。
(参考) 開戦の詔書
http://www.geocities.jp/taizoota/Essay/gyokuon/kaisenn.htm
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