三津嚴島神社ブログ

愛媛県松山市神田町に鎮座する嚴島神社の神主の記録

宗像大社御造営見学 福岡研修旅行③

2014年05月27日 | 神道青年会

5月21日

 

以前勤めていた博多総鎮守 櫛田神社に正式参拝。

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あまり時間がとれず、きちんとご挨拶もできませんでしたが、皆さんお元気そうで何よりでした。

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最後に宮司さんから有難い言葉を頂き下関へと向かいました。

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下関の亀山八幡宮にお参りし、竹中禰宜さんに境内案内をして頂きました。

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石で作成されたものでは日本一大きいのではないかと言われる亀山八幡宮の社名額。たたみ2畳ほどあるそう。

 

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山の文字のところに野球ボールが引っかかっており、「ナニコレ珍百景」でも紹介されています。しかも野球ボールを引っかけた野球部は大会で優勝したそうです。

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その後、神主さんが社務所で小料理屋をしている貴布禰神社を紹介してもらい、普段はしていないそうですが特別に昼食を頂きました。

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更に貴布禰神社の宮司さんに紹介してもらい桜山神社招魂場をお参りいたしました。

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文久4年(1864年)に高杉晋作(当時24歳)によって発議された招魂場で、招魂社としては我が国最古と言われています。

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神社裏側の招魂場には長州の尊王討幕運動に輝かしい名をとどめる吉田松陰、高杉晋作、久坂玄瑞、山縣有朋らの霊も加え、今日では三百九十六柱の志士がここに祀られています。
 この招魂場のもつ尊い意味は、偉大な指導者吉田松陰から奇兵隊小者弥吉といった名もない者にいたるまで等しく祀られていることです。

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最後に招魂社の新築落成の祭典が行われた際に高杉晋作が詠んだ歌を載せて、様々なご縁が繋がった福岡研修旅行の報告を終えたいと思います。

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猛烈の奇兵何の志す所ぞ
一死を将って邦家に報いんと要す
尤も欣ぶ名を遂げ功成りて後
共に弔魂場の花と作らんを

弔らわる人に入るべき身なりしに
弔う人となるぞはずかし
筆蹟混帖 長さ一丈二尺  巻頭東行狂生書
         諸名家の作を集めたもの

       慶応元年八月 日  招魂場祭事

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