明日死ぬと思って生きなさい 永遠に生きると思って学びなさい。
インド独立の父 マハトマ・ガンジーの言葉です。
前半の部分、人の命は限りあるものです。
人生を価値あるものとして過ごしたいと思う気持ちは誰にでもあります。
やりたいことをやりきったと思って人生を過ごす事が出来れば、
その人にとっては本望でしょう。
人生は長いようで短いものです。
自分がのんびりと過ごした今日は、昨日亡くなった方がどうしても生きたかった今日かもしれません。
そう思うと一日の過ごし方も変わってくるでしょう。
後半部分は何歳になっても学ぶことを止めてはいけないという事です。
余生があまり無いからといって学ぶことを止めるのではなく、
永遠に生きると思って学ぶことが、人生を豊かにする事だとガンジーは述べています。
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学び方には3種類あると言われます。
ひとつは本に学ぶ。
いろんな本を読んで知識を得て、それを日々の生活に活かす。
ふたつ目は旅に学ぶ。
いろんな所に旅行して、その地域の歴史や風土に触れて、
感動したり、新たな知識を身に着ける事によって、人生を豊かにしていく。
みっつ目は人に学ぶ。
他人と接したり、話すことで、自分と違う考えや自分との違いを知り、
新しいものの見方を教えられたり、今後の参考にしたりします。
それにより世の中の見方が変わる事もあります。
本、旅、人から学んだ事を生活に生かしていく事で、
自分の人生をより豊かにすることが出来るでしょう。
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能の開祖、世阿弥の言葉に
「時分の花より誠の花」があります。
能の世界は厳しい修行の世界ですが、その中で若さが放つ花が時分の花である。
そういう花は時と共にあせる。
そこでおごらず、修行を積み重ねたうえに咲くのが誠の花である。
その花は年を経るごとに美しさを増すのであると言います。
その上で「住するところなきをまず花と知るべし」
とどまらず学び続ける事こそが花である。
修業にも人生にもこれで良いという事はない。
常にこれからと思い前進せよ、そこに花がある
と世阿弥は教えてくれます。
「人生は常にこれから」の思いで私達も前進していきたいものです。
春日大社の神が下されたという神託(神のお告げ)に
「千日の注連をひくと言えども、邪見の家には到らず、
重服深厚たりといえども、慈悲の室に赴くべし」
長い間玄関に注連縄を張って神聖な家だとしても、
そこにいる人の心がまがっていれば行く事はない。
不幸が重なった家でも慈悲の心がある人がおれば、その家を訪れます。
とあります。ガンジーのように慈悲深く、学ぶことを怠らない人は、
必ずや神様がお守り下さることでしょう。
いくつになっても自分を高めるために、人生を豊かにするために、
学び続ける努力を惜しまないで精進したいものです。