ナショナル ジオグラフィック日本版-2017.02.24
文字のない複雑な社会でも世襲で権力と階層を固定か、北米先住民
米ニューメキシコ州チャコ・キャニオンにある遺跡の集落跡プエブロ・ボニートからは、650近い部屋が見つかっている。その中にあった1.8メートル四方の小部屋には、14人が埋葬されていた。(PHOTOGRAPH BY STEPHEN PLOG)
米ニューメキシコ州で100年以上前に発掘された人骨のDNAを調べていた研究チームが、これら14人分の人骨が、かつてこの地を支配していた権力者一族のものであるとの見解を2月21日付の科学誌「Nature Communications」に発表した。人骨は全て、ひとつの隠し小部屋で見つかっており、母方の血筋を通じて14人全員が血縁関係にあったことがわかった。
ニューメキシコ州のチャコ・キャニオンは、現在の米国南西部で最も影響力を持っていた文化の中心地だった。西暦800年頃から1100年頃まで、古代チャコ人はプエブロと呼ばれる集落をいくつも作り、5階建ての巨大な建造物と儀式用の広場を建設した。複雑に入り組んだ道路網はそれぞれのプエブロをつなぎ、最盛期にはその文化は現在のニューメキシコ州のほとんどを網羅し、さらにはユタ州、コロラド州、アリゾナ州の一部にも及んでいた。(参考記事:「古代アメリカのカカオは宝石に匹敵?」)
このチャコ社会の中心にあったのが、プエブロ・ボニート(スペイン語で「美しい町」という意味)である。面積約1万6000平方メートルの土地に、650近い部屋が蜂の巣のように並び、ほぼ真ん中に約1.8メートル四方の小さな隠し部屋があった。中に入るには、天井に作られた小さな出入り口を使う以外にない。
ニューヨーク州にあるアメリカ自然史博物館の考古学者らは、1896年にプエブロ・ボニートの発掘調査を行い、小さな隠し部屋の床下に埋葬された14人分の人骨を発見した。狭い空間の中で、墓の上に別の墓が積み上げられるように築かれていた。この謎の部屋は第33号室と名付けられた。
一番下には2人の男性が埋葬されており、目を見張るほど豪華な副葬品に囲まれていた。最初に部屋に埋葬された男性は埋葬番号14と呼ばれ、その周りには1万2000個以上のトルコ石の玉や数十個のトルコ石の彫刻が収められていた。他のチャコ遺跡から出土したトルコ石を全て合わせても、その数には及ばない。また、太平洋から運ばれたと思われるほら貝などの楽器も見つかっている。近くの部屋からは、1600キロ以上離れた中央アメリカ産のコンゴウインコも発見された。
母系一族による支配者層
第33号室の副葬品と人骨は、19世紀に発掘されて以来現在までアメリカ自然史博物館に保管されているが、この人々は何者なのか、なぜ広大なプエブロの真ん中で、四方を壁に囲まれた部屋の中に埋葬されていたのかなどの謎は、解明されてこなかった。
それが最近になって、放射性炭素による年代測定とDNA分析を行った結果、人骨は初期アメリカ先住民族の支配者一族のものだろうとの見方が強まった。今回の論文によると、小部屋に埋葬されていた人々は全員、母方の血縁の、いわゆる母系家族であることが分かったという。多くのアメリカ先住民族は、今でも母方の血縁によって家族を構成している。世界のユダヤ人コミュニティの多くにも同じ習わしがある。(参考記事:「北米先住民の氷河期の埋葬跡から副葬品」)
「人骨の人々が、祖母と孫息子や母と娘の関係にあったことが示されました。全員が支配者だったわけではないでしょうが、血縁関係にはありました」と、米バージニア大学の考古学者で論文を共同執筆したスティーブン・プログ氏はいう。「分析結果から考えられるのは、この人々がとても長い間権力の座にあった母系一族だったということです」(参考記事:「北米最大の先史都市カホキアの謎に新事実」)
多くの専門家は、チャコ文化にははっきりとした階級がなく、平等主義的な社会であったと考えていた。現代でも、この地に住むアメリカ先住民族の多くは、社会を共同で運営している。
しかし発掘された副葬品からわかるのは、西暦880年頃に死んだ埋葬番号14の人物が、生前は大変な権力を持っていたに違いないということだ。その死因は、頭に受けた衝撃と見られている。また、DNAが示すように、300年にわたって同じ部屋に一族が埋葬されていたことからも、埋葬番号14と死後をともにすることは高い名誉であり、母系子孫にのみ許された特権であったことがわかる。
これらを総合すると、埋葬番号14が政治的支配を確立し、その後一族による統治が300年以上続いたと推測される。
「埋葬番号14は、チャコ・キャニオンの人々の間で初めて他の人よりも上に立ち、政治的権力を握った人物であると思われます。彼の母系家族がプエブロ・ボニートで最も強い権力を持っていたことは確実でしょう。おそらく、チャコ・キャニオン全体においてもそうだったと思います。一族はエリート集団として資源の支配権を握り、その影響力は南西部の広い地域に及んでいたと思われます」とプログ氏は語った。
世襲制社会の始まりとは?
そもそも、人はどのように権力の座を手にするのだろうか。今回の研究は、人類史におけるこの根本的な疑問を、DNAを用いて解明しようとする取り組みの先駆けといえる。
世襲による支配、つまり生まれによって権力と地位を得ることは、複雑な社会の特徴のひとつである。文字を使う社会には、世襲支配が行われていたことを示す証拠が数多く残っている。ヨーロッパでは文字で書かれた歴史を見れば明らかだし、アメリカ大陸でもアステカ文明やマヤ文明の支配者一族が、石板に刻まれた記録から特定されてきた。(参考記事:「支配者の名前、マヤの巨大彫刻」)
しかし、そのような記録がないと、文字のなかった古代社会の支配者と権力が世襲制であったことを示すのは困難だ。「もし分析結果が事実であれば、この分野の研究は大きく変わると思います」。アメリカ自然史博物館の考古学者デビッド・トーマス氏はいう。同氏は、この研究には参加していない。
古代の人骨分析には反対の声も
チャコ・キャニオンの人々を祖先と考えている多くの先住民族にとっては、今回の研究は論争を呼びそうだ。ナバホ、ホピ、ズニ、アコマ族は全て、自分たちをチャコ・キャニオンの人々の子孫だと考えており、その中には宗教的観点から、破壊的で侵略的な人骨の研究に反対する人々もいる。(参考記事:「美しくも奇妙なアメリカインディアンの12の肖像」)
人骨が発掘されたのは100年以上も前のことだが、博物館の学芸員は今でも、分析を承認する際にそうした反対意見を考慮している。「地域社会の人々の思いを尊重し、敬意をもって話し合いながら、できる限りの科学的研究を行うことは可能だと思います。お互いが納得できる方法がきっとあるはずです」と、トーマス氏はいう。(参考記事:「植民地期のアメリカ南西部の姿を伝える廃墟」)
文=Andrew Curry/訳=ルーバー荒井ハンナ
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/c/022300030/