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先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

来月11日開業で調整 北海道のアイヌ文化施設―政府

2020-06-15 | アイヌ民族関連
時事通信 2020年06月14日14時55分
 北海道白老町の国立アイヌ文化施設「民族共生象徴空間(ウポポイ)」の開業日について、政府が7月11日とする方向で調整に入ったことが14日、関係者への取材で分かった。当初は4月24日の開業予定だったが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で延期していた。
ウポポイ、知名度向上が課題 4月開業のアイヌ文化施設―北海道
 昨年5月施行のアイヌ新法に基づき国が整備した施設で、生活用具や工芸品を展示する「国立アイヌ民族博物館」などで構成する。ウポポイは「大勢で歌うこと」を意味するアイヌ語。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020061400169&g=soc

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木彫り熊 展示多彩 網走 ウポポイ開業に合わせ

2020-06-15 | アイヌ民族関連
北海道新聞 06/15 05:00

さまざまな木彫りの熊が並ぶロビー展
 【網走】道立北方民族博物館(潮見)のロビーで「北海道土産と木彫り熊」展が開かれている。
 アイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」が今年、胆振管内白老町で開業するのを記念したもので、博物館所蔵の約50点が展示されている。
 宮本花恵学芸員によると、木彫り熊は二つの系統があり、渡島管内八雲町では農閑期の副業として、旭川市では行政の勧めでアイヌ民族が始めたのがきっかけとされ、それが全道に広がったという。
 展示品で最も古いのは釧路管内弟子屈町出身の詩人更科源蔵が1934年(昭和9年)に作ったもの。1970年代の北海道観光ブームの際の量産型など、時代によって変わる木彫り熊の歴史が分かるようになっている。
 観覧無料で、21日まで。問い合わせは博物館(電)0152・45・3888へ。(荻野貴生)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/430609

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観光客6.1%増 159万人 白老町19年度 ウポポイPR奏功 2月以降 外国人客が大幅減

2020-06-15 | アイヌ民族関連
北海道新聞 06/15 05:00
 【白老】2019年度(19年4月~20年3月)の町内の観光客数は前年比6・1%増の159万6900人で、4年ぶりに増加に転じた。中でも宿泊客は11年ぶりに10万人を超えた。アイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」の開業に向けたPRで町の認知度が高まったためとみられる。一方、新型コロナウイルスの影響で、2月以降は外国人観光客が大きく落ち込んだ。
 内訳は宿泊客が同20・9%増の10万2千人。日帰り客は同5・2%増の149万4900人だった。宿泊客増は、町中心部に新たな宿泊業がオープンしたことや事業者のPRが功を奏した。これに伴い、近隣の飲食店や土産物店の利用者も増加となった。
 日帰り客では、ウポポイに関連したアイヌ文化への関心の高まりにより、木彫りや刺しゅう体験などの参加者も増加。町内でヒグマの目撃情報が相次いだ影響で、キャンプ場やパークゴルフ場の利用者は減少した。
 外国人宿泊客数は22・1%減の9200人で、主に中国や韓国からの観光客の減少が大きかった。新型コロナの感染拡大で、3月の観光客数は飲食店を中心に全体として約3割減になっている。
 町は本年度、ウポポイと町内の観光施設を結ぶ観光循環バスの運行やJR白老駅北側の観光商業ゾーン(ポロトミンタラ)でのイベントを計画していたが、ウポポイの開業延期で見通しは立っていない。町経済振興課は「昨年度は途中まで順調に増加していただけに、コロナの影響で外国人観光客が落ち込んだのは残念」とした上で、「今後は感染収束の状況を見ながらイベントを開くなどし、観光客増を目指したい」としている。(斎藤佑樹)
◆ポロトミンタラのラは小さい字
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/429864

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北極星がつないだ台湾先住民族と日蓮宗の日台宗教交流

2020-06-15 | 先住民族関連
Nippon.com  2020.06.14

Rahic Talif(ラヘズ・タリフ)氏は台湾先住民族アミ族出身のアーティスト。台湾東海岸を拠点に、流木やビーチサンダルなど自然物や大量生産後に遺棄された物を素材として、アミ族伝統の海洋文化や自然災害をテーマにした作品を長年制作している。2019年秋に能勢電鉄主催の「のせでんアートライン」に際し、北極星を信仰する日蓮宗の霊場・能勢妙見山の境内に大きな木製彫刻を作り上げた。思想や価値観の異なる者同士が、共通点に着目して互いを認め合う形の豊かな日台宗教的交流を実現している。
京都府・大阪府・兵庫県の県境に位置する標高660メートルの妙見山。ブナの原生林をはじめ、種々の樹木にこんもりと覆われた美しい山だ。山頂付近に日蓮宗の霊場、能勢妙見山がある。参道脇の小さな広場に、高さ3メートル、幅8メートルに達する木製彫刻作品が鎮座している。
何百という木片を束ねたアーチ型のオブジェが、大きな切り株の上から伸びている。その様は海の波涛(はとう)のようにも、強風を浴びてしなる草木のようにも、あるいは虹のようにも見える。上部には一艘の船があり、北の空を向いている。
作品名称は「Facing toward the north, the place to which I return」。北を向けば、そこには私の帰る場所がある、といった意味だ。台湾先住民族アミ族出身のアーティストRahic Talif(ラヘズ・タリフ)氏がアートフェスティバル「のせでんアートライン」の一環として2019年10月に長期滞在して制作し、以後パブリックアートとして設置されている。
「日本の刃物は最高だ」
ぼくは滞在中のラヘズ氏と3日間行動を共にした。インタビューの通訳や打ち合わせを行ったり、雑談を交わしたり、アミ語と中国語と英語で書かれた著書『Journey in the space of 50 steps』も読んだりして、彼のアーティストとしての性格や思考が少しずつ分かってきた。
レンタカーで一緒に仕事道具や生活用品の買い出しに出掛け、たまたま見掛けた個人経営の古くて小さな刃物店に立ち寄ると、ラヘズ氏は瞳を輝かせて彫刻刀やノミなどを物色し、11万円ほども買い物をした。ラヘズ氏は顔をほころばせて「日本の刃物の質は最高だ。いい仕事ができそうだ」と言った。
1962年、太平洋を望む花蓮・港口(台湾で「」は先住民族の村を指す)に生まれたラヘズ氏は、父方が代々頭目の家系で、母方が巫女(みこ)の家系だった事もあり、アミ族の伝統的な文化や思想の影響を強く受けて育った。15歳で一人都会に出て、30歳のとき故郷に戻り、2011年からはやはり台湾東海岸にあるアミ族の町・都蘭の、日本統治期に造られた製糖工場跡地にアトリエを構えて創作活動を続けている。
制作に用いる素材は一貫している。海辺で拾った流木をはじめ、ビーチサンダル、漁網、ボトル、今は廃虚となった製糖工場で日本統治期以来サトウキビを搾るのに使われていた麻布など、大自然から与えられた物か、あるいは大量生産されて後に廃棄された物たちだ。
創作の原動力は、海洋の豊かさ。自然の力への畏怖、太古から受け継がれてきたアミ族の思想と生活様式への敬愛。彼の愛する大自然やアミ族の伝統文化が、現代社会の荒波で消失していく状況への危機感。そして、大自然の豊かさと伝統の知恵を見つめ直し、失われたものを取り戻そうとする意志だといえる。自然破壊や少数民族文化の衰退が加速度を上げて進む現代、アミ族の伝統に立脚した思考の表出たる一連の作品は、世界中の一人一人が受け止めるべき強いメッセージ性を有している。
自然災害をテーマに
今回ののせでんアートラインはテーマが「避難訓練」であり、10年以上前から台風をはじめとする自然災害を創作上のテーマとしてきたラヘズ氏はぴったりの人選だった。驚くべきは、会場となる霊場・能勢妙見山と、アミ族の伝統的観念が、共に天空の星を崇拝しており、そのシンボルまでそっくりという偶然の一致だ。
能勢妙見山の境内を歩いているとき、あちこちで十字型のマークを目にした。筆者はキリスト教の十字架を連想したが、鎌倉時代からこの地を治めていた能勢氏の家紋で、今は北極星のシンボルになっていると教えられた。日蓮宗の寺でなぜ北極星が信仰されているのかというと、平安時代以来、北極星を神格化した「妙見大菩薩」が祭られてきた事に由来している。
一方、アミ族の自然崇拝的信仰においては太陽が天地を創造した最高神であり、太陽や星のトーテム「八角星」は、能勢妙見山のシンボルと不思議なほどそっくりの形をしている。また月も神話の中で重要な意味を持っていて、ラヘズ氏は筆者に、彼の故郷に言い伝えられてきた神話を語ってくれた。
「昔々、二人の兄妹が小船をこいで漁に出た。いつしか来た方向を見失ってしまったが、兄は父母から聞かされた教えをおぼえていた。『もしも航海の途上で方角を見失ったら、月の方向へ船を走らせなさい』。それで二人は夜を待って月に向かって船をこいで行き、月が山に隠れようとする頃、陸地に漂着した。二人は船の木板のすき間に詰まっていた粟の実をまいて育て、ずっとそこに暮らした。その土地こそぼくの生まれた港口村だ」。
今回制作された木製彫刻は、この神話がモチーフとなっている。
Rahic Talif(ラヘズ・タリフ)氏は台湾先住民族アミ族出身のアーティスト。台湾東海岸を拠点に、流木やビーチサンダルなど自然物や大量生産後に遺棄された物を素材として、アミ族伝統の海洋文化や自然災害をテーマにした作品を長年制作している。2019年秋に能勢電鉄主催の「のせでんアートライン」に際し、北極星を信仰する日蓮宗の霊場・能勢妙見山の境内に大きな木製彫刻を作り上げた。思想や価値観の異なる者同士が、共通点に着目して互いを認め合う形の豊かな日台宗教的交流を実現している。
仏教とアミ族信仰の交流
のせでんアートラインのクロージングセレモニーで、ラヘズ氏は先祖代々伝わる麻の衣や、太陽や月のシンボルが刻まれた木の首飾り、色鮮やかなポーチ等を身に付けた上で、ゆっくりと作品の周りを歩きながら、2つのアミ語の歌をささげた。一つは今回の巨大台風で犠牲となった人々の魂を慰めるために、もう一つは開幕時にラヘズ氏がこの地へ呼び寄せた祖霊を元いた場所へ送り返すために。清らかでかつ力強いアミ語の歌声が、木立に囲まれた山上の広場に響き渡った。
歌の後で、宿坊の屋根の上から芽を出したカエデの苗木をラヘズ氏が作品を見下ろす位置に植え、執事長の新實信導上人が法華経を読経された。
日蓮宗は他の宗教・宗派に対してかなり厳しい宗派という印象を持っていたので、台湾原先住民族の伝統的信仰に基づく作品を境内に恒久設置し、祈りもささげる様子を見て、考えを改めさせられた。
思想や価値観の異なる者同士が、真偽や優劣を論じるのではなく、まずは双方の共通点に着目して、それを端緒に互いを認め合い、よい関係を築いていく。そういうプロセスを経てきた今回のアートプロジェクトは、異国間の思想的交流としても、大変優れた実例になったと思う。
ラヘズ氏と日本との関わり
ある日ランチに寄った食堂で、ラヘズ氏は筆者に彼の先祖と「日本」との関わりを語ってくれた。
ラヘズ氏の家族を長期間、実に4代にわたって研究対象としてきた日本人の人類学者がおり、彼が譲り受けたラヘズ家に伝わる祭祀(さいし)用の器や麻の衣(ラヘズ氏が儀式をささげた際に着用したのと同じもの)等が、大阪の国立民族学博物館(みんぱく)に収蔵されているという。
ラヘズ氏は言う。
「ぼくの父は日本統治期に生まれ、学校の先生も日本人だった。その影響を強く受けた父から、ぼくも子供のころ礼儀作法や丁寧な言葉遣いを、また人や物事に誠実に向かい合う態度を教え込まれた。その後ぼくが20代の頃、なんと当時の先生が、日本からわざわざ父を訪ねに来てくれたんだ。ところが先生は父が重労働に従事し苦しい日々を送っている様子を見てがっかりしていた。子供の頃の父はずば抜けて優秀だったから。父は日本の地を踏むことを夢見ていたが、とうとう果たせなかった。だからぼくが日本に来ることは、父の夢を替わりに果たすことでもあるんだ。父の先生については九州出身という以外何も知らないが、いつかお墓参りしたいと思っている」
ラヘズ氏の作品は台東県にある「東部海岸風景區管理処・都歴遊客中心」に多数、展示されている。また、公式サイト上で最新の活動情報をチェックできる。
バナー写真=アミ族の正装で儀式を執り行ったラヘズ・タリフ氏(右)と筆者(筆者提供)
https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g00823/

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記者会見する、暴行を受けたカナダの先住民族の男性(Jason Franson/The Canadian Press via AP)

2020-06-15 | 先住民族関連
スポニチ  2020年6月15日
Photo by AP
https://www.sponichi.co.jp/society/news/2020/06/15/gazo/20200614s00042000472000p.html

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いまの生活に息苦しさを感じている理由に気づかせてくれるアイヌ文化の「生き方」

2020-06-15 | アイヌ民族関連
ブックバン 6/14(日) 11:00配信

香山リカ・評「生き方」の哲学
文字文化を持たなかったアイヌが、代々語り継いできた精神と伝統とは? アイヌ文化の深層に迫った入門書『カムイの世界』が刊行。北海道小樽市出身で精神科医の香山リカさんが「私に欠けているものはこれだった」と気づくはず、と呼びかけるほど心を揺さぶられた一冊だ。
 私は北海道小樽市の出身だ。小学校の授業でもらった「郷里の歴史」のプリントには、こんな説明が書かれていた。
「『小樽』という地名は、アイヌ語の『オタ・オル・ナイ』(砂浜の中の川)から来ています。『札幌』は、市内を流れる豊平川を『サト・ポロ・ペッ』(乾いた大きい川)と呼んだことに由来しています」
 空想力がたくましかった子ども時代、目をつぶると、現代の小樽や札幌の街が消え、川が作り出した平地にアイヌがチセ(住居)を作り、儀式で踊りを踊っているような映像が目に浮かんだ。
 しかし当時はそれ以上、授業でアイヌの歴史や文化について学ぶ機会はなかった(現在は学習指導要領で小学6年の社会科教科書に「アイヌに関する記述を盛り込む」ということになっているのだそうだ)。そのため、私の空想はいつもそのシーンだけで終わってしまうのだった。
 それから数十年。「アイヌについてもっと学びたい」と思って関連書籍を見つけて手に取りながらもなかなか知識を深めることができないまま、今に至っている。そのかたわらで、昨今は明治末期の北海道を舞台にした漫画『ゴールデンカムイ』の大ヒットにより、若者や子どもがアイヌ文化に興味を持つようになった。この春には北海道に大規模なアイヌ・ナショナルセンター「ウポポイ」もオープンの予定である。そのタイミングで、とんぼの本からアイヌをテーマにした一冊が出た。これは読まないわけにはいかないだろう。
 一読して、まず北海道の自然の荘厳さに息を呑む。山、森、川、浜、それらはたしかに私がかつて生活していた北海道の一部であるはずなのに、まさにそこに「カムイ(神)が棲んでいる」と思わされる奥行きがあるのだ。なぜなのか。それはもちろん、自然を撮影した写真の間のページにアイヌの歴史、文化、生活様式がふんだんにつづられているからだ。
 たとえば、アイヌのサケ漁の儀式「アシリ チェプ ノミ」。アイヌにとってサケは主食にあたる大切な食糧だが、この儀式は豊漁を願うためのものではないという。本文のアイヌの言葉から引用しよう。
「いいかい。アイヌは豊漁や大漁を願わない民族だ。サケが上がってくれてありがとう。それだけだ。そこを勘違いしないでほしい」
 また、サケ漁で獲れたサケにとどめを刺すことは、「サケを送る」と言われる。利益や人間どうしの競争のためではなくて、食糧として必要だからその分だけを獲り、心を尽くしてその魂をカムイの世界へ「送る」。
 カムイが宿る自然には畏敬の念を抱く一方で、小さな存在である人間どうしは「何でも分け合う」。たとえ団子が一つしかなくても「みんなで等分に分ける。それがアイヌの精神なんだ」という。本書を読み進めていくうちに、アイヌとは民族であると同時に、「生き方」の哲学だとわかった。経済合理主義に毒された近代人が見ると「なぜサケをいっぺんに大量に獲る工夫をしないのか」「アイヌに大金持ちがいないのはおかしい」となるが、それはアイヌの「生き方」とは違うのだ。
 これほど豊かで、今だからこそ見直されるべきアイヌの世界だが、これまで歴史上、ふたつ大きな悲劇を経験している。ひとつは、明治政府による北海道植民地化や「旧土人保護法」の施行でアイヌの暮らしや言語、風習がすべて奪われ、禁じられ、差別を受け続けたことだ。そしてもうひとつは、そんな中でも生き残ったアイヌが自分たちの存在を主張し、やっと法的にもアイヌ文化の保護、さらにはアイヌが日本の先住民族であることが認められようとしている今、一部の心ない人たちから「アイヌなんてもういない」といった声が上がっていることだ。「生き方」であるはずのアイヌが、政治問題化してしまわざるをえなくなっている。
 そんな声の影響を受け「アイヌって昔の人たちでしょ?」と思っている人にこそ、ぜひ本書を開いてほしい。自然へのおそれと共存。先祖への感謝。謙虚さと分かち合い。「私に欠けているものはこれだった」と気づくはずだ。そして、私と同じように、アイヌの豊かな世界に触れたことが心からのよろこびをもたらすだろう。
[レビュアー]香山リカ(精神科医、立教大学教授)
新潮社 波 2020年4月号 掲載
https://news.yahoo.co.jp/articles/3b54769503e8f459f77d046b11c406ed02e4b6ab

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