先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

旭岳山開き 無事故誓う 安全祈願祭ネット配信

2020-06-21 | アイヌ民族関連
北海道新聞 06/21 05:00
 【旭岳温泉】道内最高峰の大雪山系旭岳(2291メートル)の山開きを告げる「第62回旭岳山のまつり」(ひがしかわ観光協会主催)が20日、東川町の旭岳温泉地区で行われた。今年は新型コロナウイルス感染防止のため、関係者のみの参加となり、安全祈願祭などの映像は同観光協会の会員制交流サイト「フェイスブック」で配信された。
 旭岳ロープウェイ山麓駅で行われた安全祈願祭には松岡市郎町長ら約20人が出席。神事の後、同観光協会温泉部会の竹内崇部会長があいさつし、新型コロナの影響について触れ、「厳しいスタートとなったが、地域一丸となり、旭岳の魅力を発信していきましょう」と呼び掛けた。
 このほか、旭岳野営場では川村カ子トアイヌ記念館(旭川市)の川村兼一館長らによるアイヌ民族の儀式「ヌプリコロカムイノミ」が行われ、登山シーズン中の無事故を祈願。山岳ガイドが姿見の池などを周遊した。これらの様子もフェイスブックで映像配信された。(前田健太)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/432793

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ウポポイ7月12日開業 感染防止策を徹底

2020-06-21 | アイヌ民族関連
北海道新聞 06/20 05:00
 国土交通省は19日、胆振管内白老町のアイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」を7月12日に開業すると発表した。新型コロナウイルス禍の影響で2度延期したが、感染防止策を徹底し、夏の道内観光の振興に向けて開業に踏み切る。3密(密閉、密集、密接)を避けるため当分、体験プログラムを一部中止し、混雑時には入場者数も制限する方向だ。
 開業日前日の11日に、菅義偉官房長官らが出席し記念式典を開く。赤羽一嘉国交相は記者会見で、「最高の形でスタートできるよう感染症対策を講じ、準備に取り組みたい」と述べた。
 感染対策のため入り口でサーモグラフィーを使った体温検査を実施する。アイヌ伝統楽器ムックリ(口琴)の演奏、刺しゅうなど一部体験メニューを当分取りやめることも検討中だ。
 開業の大幅延期を踏まえ、ウポポイを周知するテレビCMなど広報を強化する。7月4日には、旅行会社社員ら道内の観光関係者向けの内覧会を予定している。政府は当初、記念式典の11日を開業日と位置付けていたが、一般向け開業日の12日をPRすることにした。(長谷川紳二)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/432651

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3代目ガリンコ号は「イメル」 アイヌ語で「光」 公募に186件、応募作アレンジ

2020-06-21 | アイヌ民族関連
北海道新聞 06/20 05:00
 【紋別】市は19日、公募していた3代目の流氷砕氷船ガリンコ号の船名を「ガリンコ号Ⅲ(スリー) IMERU(イメル)」と決めた。イメルはアイヌ語で「光」の意味。美幌町の会社員井戸教夫さん(56)の応募作をアレンジする形で、アイヌ語を採り入れた。
 船名は4月に募集し、全国から186件の応募があった。市の選定委員会(委員長・鎌田真智子紋別青年会議所理事長)によると、「イメル」は応募作には無かったものの、井戸さんが応募したアイヌ語の造語「アシリトム」(新しい・光る)を、専門家の意見を聞き、意味合いを正確に訳す形で採用。さらに応募が最多だった「ガリンコ号Ⅲ」を組み合わせた。
 選定委は一度、候補を5件に絞り込んだが過半数の賛成を得られる作品がなく、アイヌ語を使った作品を復活させて再検討。最終的には全委員一致で決めた。
 この日、鎌田委員長から報告を受けた宮川良一市長は「新型コロナ禍の中、勇気を与えてくれる名称」と感謝し、即決で採用した。応募した井戸さんは「未来に向かうにはアイヌ民族との融和が大切と思った。光栄です」と喜んでいる。
 船は現在建造中で、来年1月就航予定。(草間康弘)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/432566

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「鮭の聖地」から魅力発信 日本遺産認定、地元歓迎 根室1市3町

2020-06-21 | アイヌ民族関連
北海道新聞 06/20 05:00

昨年の標津町沿岸での秋サケ定置網漁
 標津町、根室市、別海町、羅臼町の1市3町が申請した「『鮭(さけ)の聖地』の物語~根室海峡一万年の道程~」が19日、文化庁により日本遺産に認定された。観光振興への効果は未知数だが、地元では地域の魅力を発信する契機にと、期待の声が上がる。
 同物語は、サケの骨が出る遺跡、アイヌ民族との関係、日ロの歴史など広範囲に及ぶ。対象となる31の文化財には、サケ漁と並ぶ安定した産業の確立との位置づけで「根釧パイロットファーム関連文化財群」など酪農関連も含まれる。
 根室市の石垣雅敏市長は、故北構(きたかまえ)保男氏寄贈のオホーツク文化出土品をはじめ、市内の貴重な文化財に触れ「根室管内各町と連携を密に、内外に誇れる有形・無形の文化財の魅力を戦略的に発信し、交流人口拡大など地域活性化につなげていく」とコメント。市商工観光課の池端昭一課長は「1市3町を周遊するモデルルートをつくって新たな観光資源にすれば、各地の文化を学ぶ高校の修学旅行に役立つ」と期待する。
 標津サーモン科学館館長で町観光協会会長の市村政樹氏は「地域の人々とサケのつながりは深い。文化を継承、発展させる上で認定は喜ばしい。海外を含む観光客誘致につながれば」と期待。別海町教委生涯学習課の戸田博史主幹は「町の海側はサケを軸に発展し、献上鮭、開拓史の缶詰所など文化遺産が点在する。ストーリーを磨き、地域活性化につなげたい」とした。
 1市4町などでつくる知床ねむろ観光連盟の松実秀樹会長は「管内の観光振興に間違いなくプラスになる」と歓迎した。
 前回、前々回の申請に関わった中標津町は、今回はサケに直接関わる文化財がないことなどを理由に不参加。31の文化財の一つ「根釧台地の格子状防風林」にも同町は含まれず、別海町、標津町と記された。(黒田理、長谷川史子、小野田伝治郎)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/432563

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ウポポイ開業7月12日 地元歓迎

2020-06-21 | アイヌ民族関連
北海道新聞 06/19 20:54
来月12日の開業が決まった民族共生象徴空間「ウポポイ」。アイヌ文化の復興、発展の拠点としての役割が期待される
 新型コロナウイルスの感染拡大の影響で延期されていた胆振管内白老町のアイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」の開業日が7月12日に決まり、地元のアイヌ民族らからは期待の声が上がった。新型ウイルスへの不安も残る中での開業となり、町民からは「万全の対策を」と注文も出た。
 「やっと開業できるという思い。多くの人に来てもらい、アイヌ文化に触れてもらいたい」。地元の白老アイヌ協会の山丸和幸理事長は開業日の決定を喜ぶ。
 ウポポイは当初4月24日の開業を予定していたが、新型ウイルスの感染拡大の影響を受け、2度にわたって延期。今月9~14日には町民向けの内覧会を開き、サーモグラフィーによる検温や入場制限などの対策を模索しながら慎重に開業時期を見極めてきた。
 白老町の戸田安彦町長は「内覧会を見学し、アイヌ文化復興・発展の拠点として多くの方が満足できる施設だと実感した」と述べ、「訪れた人たちに満足していただけるよう、町としてもアイヌ文様を活用した商品開発やガイドの育成など受け入れ態勢を整えたい」と意気込む。
 延期で影響を受けた地元の事業者も開業を歓迎する。町内でカフェを経営する佐々木美保さん(41)は「思ったよりも早く決まってよかった」と安堵(あんど)。その上で「せっかく開業するからには、安心して楽しんでもらえるように感染対策を徹底してほしい」と求める。
 ウポポイの運営主体であるアイヌ民族文化財団(札幌)の理事長代行で、北海道アイヌ協会の加藤忠理事長は「歴史的背景を含め、アイヌ民族についての理解が広がる場所となるよう、ウタリ(同胞)とともに施設に魂を込めていきたい」と話した。(斎藤佑樹、斉藤千絵)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/432542

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差別撲滅へ…NFLに米紙が「社説」で要請 レッドスキンズ「チーム名変更を」

2020-06-21 | 先住民族関連
スポニチ 6/21(日) 5:30配信
 米ワシントン・ポスト紙は19日付の社説で、NFLレッドスキンズのチーム名変更を要望し、チームが拒否する場合はリーグが変えるべきと主張した。
 先住民族の肌の色を表現したチーム名にはこれまでも批判や訴訟が起きており、ワシントンのバウザー市長も先週、新スタジアム建設への「障害」と認識を示した。
 また、黒人選手の入団に反対し続けた元オーナー、マーシャル氏の銅像が同日、旧本拠地のRFKスタジアムから撤去された。
https://news.yahoo.co.jp/articles/b4fa8bcd1693cebab60ad11eb264436c5d6472f8

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子どもは「死んでしまいたい」と悩み、国は「問題がなかった」と断言した

2020-06-21 | アイヌ民族関連
現代ビジネス 6/21(日) 8:01配信
世界中で「#BlackLivesMatter」の運動や抗議のデモが広がっている一方、日本では「人種差別はない」「人種差別は見えづらい」といった言葉を見聞きする。その背景には、差別が「ないこと」にされる社会構造がある。私たちが差別と無関係ではいられない、その理由とは――。
人種差別が不可視化されてきた歴史
 私はこれまで戦後の「混血児問題」をテーマの一つとして研究を行ってきた。
 日本では戦後、米兵と日本の女性との間に多くの子どもたちが出生し、その子どもたちが小学校入学直前の年齢に差し掛かる時期になると、かれらを日本に受け入れるのか/排除するのかという論争が巻き起こった。その議論の中心を担ったのが、厚生省(当時)の中央児童福祉審議会である。
 1952年7月9日、厚生省の第25回中央児童福祉審議会の議事録を見ると、「混血児」達を海外へと移住させることができるかどうかという話題になったことが記されている。その際、参加する委員たちによって以下のような会話がなされたことが記録されている。
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「よく電車の中で白人(の混血児)を自慢そうにつれている人があるが、こうした子供については問題はないと思うし、実際問題として多くの場合は黒人(の混血児)にある」
「白人の(混血児の)子供は可愛いい(ママ)が、黒人(混血児)の子供は意地が悪く、非常に強い」
「黒人は必ずいつか狂暴性を発揮するという人があるが、同化との関係で若干問題があろう」
「黒人(の混血児)は、あちらに還すというようなことはないのですか」
「(施設にいる混血児たちは)もし本国に還ることができるならばそれに越したことはない」
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 街中で遺棄されたり、片親家庭で貧困で暮らしていたり、子どもの頃から深刻な差別を経験していた当時の「混血児」たちに関する、社会的課題の解決を担うべく議論された厚生省の審議会で発せられたのは、あまりにも露骨な「黒人」に対する人種差別発言であった。
 「白人」を優位に置き、「黒人(の混血児)」を非常に偏った人種差別的な認識で見つめ、さらに、かれらを積極的に日本から国外へ追いやるという趣旨の差別的な発言をした委員がいたことがわかる。
 アメリカでは人種差別的なジム・クロウ法が存在していた時代。日本にも「黒人」を劣位とみなすような深刻な人種差別意識がすでに、政府の審議会でも堂々と語られるほど、人口に膾炙してしまっていることがわかる。
 審議会の議論の末、日本は「混血児」たちの「同化」という選択をすることになるが、差別の意識は決して消えたわけではなかった。
 当時、学校に通っていたかれらは、どのような経験をしていたのだろうか。
 各学校の担任教師が記録し、文部省(当時)が集約した『混血児指導記録』(一~四)という資料を見てみたい。ここには、様々な子ども達の生活が記録されており、その中には深刻ないじめや人種差別の実態も記されていた。
 「白色系 男子」と記された児童Aは、担当教師の記録よると、入学して1週間後の状況について、「あの子はアメリカ人だ、日本はアメリカに負けたのだ、にくいからいじめてやれ、等の声は勿論直接行動に訴えるような子も出てきた」(『混血児指導記録一』、25項)とある。
 Aの育ての親である養父母によると、「このたび入学してまもなく子供は元気がなくなり、今までの友達ともだんだん遠ざかるようになり、何事かを考えているような態度をとり、涙ぐんでいるような事があり、学校へ行くのをいやがるふうが見えてきた。ある日いかにも思いつめたような顔色をなし、『お父さん僕死んでしまいたい。』と言って泣きだした」という(『混血児指導記録一』、25-26項)。
 さらに登校途中での高学年からのいじめにより学校へ通えず家へ逃げ帰ってしまう時もあった。わずか6、7歳という年齢で「死んでしまいたい」と悩みを吐露するほどに、小学校のいじめや差別は深刻なものであった。
 農村部に暮らす「インド人軍属」の子どもと記録されたK子の事例も非常に深刻な状況であった。
 K子は小学校入学以降、周囲からの厳しい差別にあい、学年の中途で転出届を学校に提出する。担当教師がその身を案じて、K子の転出先を調べたところ、別の小学校に転校しておらず、児童福祉施設に入所したわけでもなかった。さらに行方を調べると、K子は学校や施設に通えずに寺に預けられていたという事実がわかったという事例である。
 この事例の記録の最後には、以下のように同級生がK子のために書いた作文が紹介されている。
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K子さんは いつも がっこうから かえりがけに Aさんにたたかれるので かわいそうにおもう。 わたしでも あんなにされたら こまる。K子さんが、そうされているとき、 おとこのこは みんな「やあい、やあい」と K子さんを たたいてにげるので Aさんに「Aさん、大きい人にいじめられたら あんたでもいけまあ」というと こらえてあげました。K子さんは またいじめられると いけないとおもったのでしょう はしってかえりました。 K子さんは いろが くろいので いつも 六ねんや 五ねんや 四ねんや 三ねんや 二ねんの人に かえりがけに「いんどじんのくろんぼ」といわれています。(『混血児指導記録二』、121項)
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 資料からはK子がその後、義務教育を受けることができたのかどうかについては記されていなかった。
 では、このような問題にたいして、政府、文部省はいかなる反応を示し、いかなる対応をとったのだろうか。『混血児指導記録三』の「まえがき」には、文部省側からの書簡が記されている。
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結果的にさしたる問題もなく、これまで三か年を過ごしたことは、担任教師はもちろんのこと、これに関係をもったすべての人々の御協力によるものと思う。さいわいにしてこれまで問題がなかったとしても、こうしたことはあすにも問題が起こらないともかぎらない。すなわち過去において問題が起こらなかったのは、これまでの関係者が、この教育に対してじみで目だたない配慮はもちろん骨身を削るほどの苦労をされたからに違いない。だからこそ大きな問題が起らずに未然に防がれたのだとも考えられる。しかしこの種の問題は、今日これまで起こらなかったといって安心はできない。(中略)
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 この短い文章の中に異様なほど多くの「問題がなかった」「問題が起こらなかった」という言明が繰り返される。子どもが自死の選択に迫られたり、差別によって義務教育を受けられない、という現実を知っていたにもかかわらず、あえてこのような言い方をしている。
 すなわち、「混血児」をめぐって多くのいじめや差別や排除という問題が現実には起こっていたにもかかわらず、「問題がなかった」と繰り返し、"なかったこと"にしていったのである。
 文部省は結果として、記録を集約するだけにとどまり、学校の現場において深刻化する差別の解決に向けた具体的な施策をとることはなかった。
 前編で紹介した金教授の論文でもふれたが、「日本に人種差別はなかった」のではない。それは”ないもの”とされ、意図的に隠されてきたのだ。
 私の母親も当時生まれた一人だ。
 ここで記録されているような「混血児」と呼ばれていた人々は、今存命であれば、60代後半~70代ぐらいの年齢にあたるだろう。「児童A」「K子」といった記録された子ども達は、それぞれ名前を持った日本に暮らす現実の一人ひとりだ。
 もちろん「混血児」の歴史だけではない。アイヌ、沖縄、在日コリアンなど、人種や民族などの指標によってある人々を劣位に置きシステムの中で排除・抑圧していく差別の実態は、数えきれないほど存在してきた。
技能実習、入国管理局、いじめとリンチ
 前編では学校、職場、融資、借家、結婚、役所手続きといったありふれた日常における、差別状況を明らかにする調査データを見てきた。
 さらに深刻な人権侵害も存在する。
 難民を長期拘束する法務省出入国在留管理庁の収容施設での暴力や深刻なセクシュアル・ハラスメント。技能実習制度は「強制労働」(米国の人身取引報告書では「強制労働の事案は、政府が運営する技能実習制度において発生している」と指摘されている)や「奴隷労働」(詳しくは巣内尚子『奴隷労働―ベトナム人技能実習生の実態』2019,花伝社などを参照)と指摘されている。
 関東大震災(1923年)で朝鮮半島からきた多くの人が流言によって集団リンチされ殺された時代からもうすぐ100年となるが、いまだに街頭では人種差別的なヘイトスピーチが続いおり、デマや差別的発言はTwitterやYouTubeなどを通じて拡散され続けている(注1)。
 川崎では、元市職員が、多文化交流施設「川崎市ふれあい館」などに在日コリアンへの虐殺や同館の爆破予告を送った事件も起きている(参照:神奈川新聞 6月16日)。
 1997年の愛知県・小牧市では、日系ブラジル人少年のエルクラノさんが外国人であるというだけで集団リンチにあい殺された事件も起きた。2010年には母親がフィリピン人である上村明子さんが深刻ないじめを受け、12歳という若さで自宅で自殺した。カナダと日本の両親の間に1989年に生まれた高橋美桜子さんは、容姿にまつわるいじめを受け続け、高校2年生の夏に自殺した(参照:NHK 2019年4月19日)
 人種差別問題に詳しい堂本かおる氏は、「制度的人種差別の最終地点は、死だ」と述べている(文春オンライン記事2020年6月8日)。制度に浸透する人種差別、これは命の関わる問題なのだ。
日本も無関係ではない
 様々な変遷を経て60~80年代にかけて定着したと言われる「単一民族神話」の影響で(詳しくは小熊(1995)、吉野(1997)を参照)、しばしば、「日本人」と「単一民族」という単語が重ねて考えられ、外見、名前、言語、文化、立ち居振る舞いなどの一定のイメージが構築されている。
 そして、それは単に語り継がれるような「神話」としてだけではなく、「システム」として定着し、日本社会の制度や日常生活のあらゆる場面に浸透し現実に一定の具体的な効果をもたらしてきた。
 しかし日本は、憲法でも法律でも、「日本国民」を「単一民族」と規定しているわけではない。
 憲法第十条には「日本国民たる要件は、法律でこれを定める。」とあり、その法律にあたる国籍法で、「日本国民」の定義が、出生、認知、帰化などによって日本国籍を取得することとされている。
 国際結婚なども増加し、多様なルーツの人々が増え続けている(出生率統計で、親のどちらかが日本国籍、どちらかが外国籍の組み合わせで出生する子どもは近年、毎年約2万人ずつ生まれている、くわしくは人口動態調査の「父母の国籍別にみた年次別出生数及び百分率」を参照)。また、「帰化」の制度によって、近年、毎年約1万人の元外国籍者が新たに日本国民となっている(法務省の「帰化許可申請者数等の推移」参照)。 
 すなわち日本においては、憲法も国籍法も、実際には、「日本国民」が多人種・多民族であることを規定するものなのだ。
 事実上、多人種・多民族が日本国民を構成するという国家の規定があり、さらに日本には多くの外国籍者が数世代にわたって生活し続けており、昨今では政府主導で積極的に移民の受け入れも増加し続けている。
 その一方で、「単一民族」のみを前提としたり優位におくような社会システムや日常生活の制度も存在し続けている。
 社会の隅々に、特定の人種や国籍を排除したり抑圧したりする不公平な現実が今でも続いている。そして、冒頭にも挙げたように、それらの格差や差別は、司法や行政などあらゆる媒介を通じて巧妙に隠され続けてきた。
 日本社会の構成員がすでに多人種・多民族である実情のみならず、政府が主導して海外から労働者や留学生の受け入れを加速させている日本にとって、人種差別や国籍差別の問題を決して「対岸の火事」として無視し続けることはできない。
 大袈裟な幻想や偏った自己理解ではなく、落ち着いて日本社会の現実を眼差していくことで、世界で広がる様々なタイプの社会的抗議運動(人種問題だけではなく、ジェンダーや貧困、環境問題など)に意識を向けることができるのでないだろうか。
 自分がある問題に「無知」であることは、抑圧されてきたマイノリティの声が「少なかった」からではない。これまで問題を不可視化し続けてきた社会システムにこそ問題の根があるのだ。すでにマイノリティは多くの声を長年上げ続けてきた。研究や調査も多く存在する。そういった現実を少しずつ知っていくことが大切だ。
 この記事も、私が独自に編み出した真新しい論考などではなく、すでに公表されているデータや研究、報道をただ単にまとめたものにすぎない。日本の人種差別を分析するには、さらなる調査や研究が必要だ。
 私自身も差別と無関係では全くない。
 ある軸から見ればこの社会で何の努力もしなくても優位な立場に置かれ、ある軸から見れば何もしていなくても嫌悪感情にさらされる。そして、私の中にも人種差別や性差別、様々な嫌悪意識は存在する(気づかない場合もある)。
 私はこれまで無知であるが故に無自覚の差別発言や差別的態度をとってしまったことがたくさんあったし、そのテーマについて学んできたのにもかかわらず差別的態度をとってしまったことさえある。
 私の発言で相手を傷つけた、その相手の表情や言葉を今でも覚えている。差別をし続けるわけにはいかないし、これらの課題について何度も自分の言動を問い直し続けていきたい。
 認識や社会システムに根深く張った差別は見えづらい。それを一つひとつ捉えて、問い直していくことが必要だ。
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参考資料一覧(参照順)
中央児童福祉審議会, 1952, 「第二十五回中央児童福祉審議会議事録」(1952年7月9日)外務省記録『本邦人と諸外国人の混血児問題』(J-6-0-0-5、 外務省外交史料館)所収.
文部省初等中等教育局編, 1954, 『混血児指導記録 一』文部省.
――――, 1955, 『混血児指導記録 二』文部省.
――――, 1956, 『混血児指導記録 三』文部省.
小熊英二, 1995, 『単一民族神話の起源<日本人>の自画像の系譜』 新曜社.
吉野耕作, 1997, 『文化ナショナリズムの社会学』名古屋大学出版会.
注1
関東大震災では、6000人以上といわれる朝鮮人、200人以上の中国人、数十人の日本人が
虐殺されたと言われている。多くの朝鮮人が日本人によって虐殺された。詳しくは徐京植, 2012, 『中学生の質問箱 在日朝鮮人ってどんなひと? 』(平凡社)などを参照。また、香川から行商しに千葉へやってきた数名が、「朝鮮人ではないか」「言葉がおかしい」などと言われ殺される事件も起きた(福田村事件)。人種差別的なデマは、特定の人々への嫌悪感情を増幅させ、劣位に置き、最悪の場合には死にいたらしめる、決して許されない行為である。
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下地 ローレンス吉孝(社会学者)
https://news.yahoo.co.jp/articles/3f83378d3bafb410941aba26702daf0b370b6f55

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