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3密避け年間100万人? ウポポイ 目標変えず集客に課題

2020-07-03 | アイヌ民族関連
北海道新聞 07/02 05:00
 12日に開業するアイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」(胆振管内白老町)で、「年間入場者100万人」の目標達成と、新型コロナウイルス感染対策の両立に政府が頭を悩ませている。当面は事前ネット予約制として入場者を制限する考えだが、少しでも来場者を増やすため、予約制と知らず会場を訪れた客に当日券を販売することも検討。矛盾ともとれる対応に、100万人の目標は現実的ではない、との指摘が出ている。
 政府は2015年10月に、ウポポイの年間入場者100万人の目標を決定。新型コロナの収束が一向に見通せない現状でも、入場目標を変更していない。
 政府は感染対策として、消毒や検温に加え、「密」の状態を避けようと、入場者数を制限。日付指定の前売り券をネットで購入してもらう。混雑時に園内の各施設に入る場合は整理券も配り、入場者を通常の5割以下に減らす方向だ。
 白老町の戸田安彦町長は予約制について「町民が来場客を安心して迎えるために重要」と評価し、熊谷威二・町商工会長は「経済活性化のため多く客に来てもらいたいが、不安もある」と明かす。
 関係者によると、1日の入場者数の目標は平日約3千人、土日約5千人としていたが、それぞれ当面は、大幅に下方修正する。ただ、年間100万人は掲げ続け、政府は入場者を午前と午後の2回に分けるなど、効率的に受け入れる方法を検討。会場を直接訪れた客も混雑していなければ入場できるようにすることも模索する。
 所管の国土交通省からは「年間100万人はもともと無理な数字。コロナ禍の中で頑張って達成する状況でもない」(幹部)との声が上がる。新潟大医学部の斎藤玲子教授(公衆衛生学)は「首都圏からの観光客がリスクになるため、大きな目標を掲げて都道府県をまたぐ移動を促す政策は控えるべきだ」と指摘する。(長谷川紳二、斎藤佑樹)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/436452

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<ウポポイとわたし>1 文様彫る姿 胸張り子へ アイヌ工芸・吉村さん「世界に見てほしい」

2020-07-03 | アイヌ民族関連
北海道新聞 07/02 23:42 更新
札幌市西区の自宅倉庫内の工房に彫刻刀で木を削る音が響く。アイヌ民族の工芸家、吉村政彦さん(44)が伝統工芸品のイタ(木の盆)にアイヌ文様を彫り進め、その横顔を長男碧紫(あおし)君(7)がじっと見つめている。
 12日に胆振管内白老町で開業するアイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」を運営するアイヌ民族文化財団(札幌)が制作し、昨年2月にユーチューブなどで配信が始まった動画の1コマだ。
 この中で、政彦さんは「子どもたちに伝承してって、世界に向けていろんな人たちに見てもらって」とアイヌ工芸品の制作を続ける思いを語り、妻真美子さん(43)も「アイヌがそこから広がってくれるといい」とウポポイ開業でアイヌ民族への理解が広がってほしいという願いを口にした。
 政彦さんが不特定多数が見ることができるネットなどの情報媒体で思いを語るのは初めて。周囲がどう反応するか不安もあったが、「胸を張って文化を伝える姿を子どもたちに見せたい」と出演を快諾した。
■偏見に流されず
 政彦さんは同管内むかわ町出身。アイヌ文化伝承者の祖母冬子さんらから、自然と共生するアイヌの精神を学んで育った。一番の遊び場は近くの野山。風の流れや川の音を感じ、山頂から眼下に流れる雲を見ては「人間も自然の中では小さなものなんだな」と幼心に思った。
 小学生時代には同級生に「アイヌのくせに」と暴言を吐かれ、「アイヌなんでしょ」と物珍しそうに言われたこともあったが、相手にしなかった。「人をさげすむ方が悪いのに、言われる側が劣等感を感じなきゃいけないのは変だという思いがあった。悪意や偏見に流されない生き方を山に教わった。アイヌで嫌だと思ったことは一度もない」と当時を振り返る。
 会社員として働く傍ら、工芸家として活動を続けてきた。トゥムシ(鎖)が付いた自作のパスイ(箸)はウポポイにも収蔵される。パスイは親が子に贈り、子の厄を肩代わりするという言い伝えがある。「文化の継承とは、その技術や風習だけでなく、家族の思い出や願いを受け継ぐこと」と考える政彦さんが特に好んで制作してきた民具だ。
■家庭で「自然に」
 真美子さんは和人で、政彦さんと知り合うまで「アイヌについてほとんど何も知らなかった」。明るく、息の合う政彦さんの人柄にひかれて結婚し、ルーツも当たり前に受け入れていた。
 彫りの深い夫の顔立ちを見た人に「ご主人は外国の方?」と聞かれ、戸惑ったことも。「今もなかなか『夫はアイヌです』と答える勇気は出ない」と言う。一方で、碧紫君と長女凪(なぎ)ちゃん(3)を育てるうちに「アイヌのことを自分の言葉でちゃんと子どもたちに伝えたい」との思いも募り、今はアイヌ文化を伝承する札幌ウポポ保存会に入り、舞踊などを学んでいる。
 アイヌ文化について、碧紫君ははにかみながら「かっこいいと思う」、凪ちゃんは「わかんない」と首をかしげる。政彦さんと真美子さんは「押しつけず、自然に受け継いでくれればいい」と見守り、「子どもたちが大人になるころには、多様なルーツを当たり前に認め合う優しい社会になってほしい」と願っている。(斉藤千絵)

 道内外のアイヌ民族やアイヌ文化にゆかりのある人たちにウポポイ開業への期待や次代への願いを聞き、開業前後にかけて毎日掲載する。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/436446

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密なし 新たなバス旅続々 どうみん割開始 追い風に 窓開けレトロ気分 訪問ゆっくり

2020-07-03 | アイヌ民族関連
北海道新聞 07/02 05:00
 新型コロナウイルスの影響で軒並み中止となっていたバスツアーが、道民の道内旅行に助成する「どうみん割」を追い風に再開し始めた。各旅行会社とも「3密」を避けるため、車内でのマスク着用を義務づけたり、窓が開閉できる車体を導入し、2席に1人が座って定員を半分に減らすなど、新たな「バス旅」を提案している。
 「目指すはちょっとレトロな昭和のバス旅の再現」。北海道オプショナルツアーズ(札幌)の永山茂経営企画部長は、2日から販売する札幌発着の四つの「どうみん割」適用日帰りツアーのテーマを説明する。
 最大の特徴は、窓が開閉できる路線バス用の車体を使うこと。従来の観光バスより座り心地が劣る座席には座布団を用意。高速道路は通らず、一般道を窓を開けながらのんびりと移動する。支笏湖や岩見沢など近場に限られるが、永山部長は「地元を開拓する良い機会にしてほしい。コロナ対策で生じる不便も旅のアクセントになるのでは」とPRする。
 「窓側のみ」に座席を限定し、乗客間の距離を確保するのはクラブツーリズム北海道旅行センター(札幌)のどうみん割ツアー。観光時間が短いと参加者が効率よく回ろうと1カ所に固まる傾向があることから、訪問地を減らして各地の滞在時間を通常の1・5~2倍確保。「時間にゆとりを持つことで訪問地での密を防ぐ」(同社)という。
 一方、シービーツアーズ(同)は、使用するバスの窓が開かないため、走行時間1時間おきに10分間の車内換気を行う。胆振管内白老町のアイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」を観覧するツアー(一部どうみん割適用)では、ウポポイ見学以外にも白老町の商店街散策といった屋外プランを盛り込み、屋内での密リスク軽減を図る方針だ。(榎本雅也)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/436294

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温泉街の劇場、アイヌ民族の踊り伝承の場に

2020-07-03 | アイヌ民族関連
47ニュース 2020/07/02 07:00

温泉街の劇場、アイヌ民族の踊り伝承の場に
(47リポーターズ)
 アイヌ民族の踊りをご覧になったことはあるだろうか。「リムセ」など、アイヌ語では地域ごとに異なる呼び方をされている。鶴などの動物の動きをまねたもの、狩猟や農作業の動作を表現したもの、剣で魔よけをするもの、誰が最後まで踊れるか競うものなど、踊りの種類は多い。儀式や祭りで歌やかけ声に合わせて踊り、喜びや悲しみを神(カムイ)と分かち合ってきた。古くから伝えられてきた踊りは、国の重要無形民俗文化財に指定され、ユネスコ世界無形文化遺産にも登録されている。
 こうした伝統舞踊が披露されている場所の一つが、北海道屈指の温泉街として人気の阿寒湖畔に2012年春に開業した劇場「アイヌシアター イコロ」だ。座席数は300席超、立ち見を含めれば約450人を収容する。観光客へ見せる場としてだけでなく、踊りを次世代に伝えていく大事な場所にもなっているという。(共同通信=石嶋大裕)
 暗転した舞台の中央に、ぼっと炎がともり、囲むように輪になった女性たちのアイヌ民族衣装が照らされた。ステップを踏みながら上半身を大きく揺らし、長い黒髪を前後左右に振る。松の木が嵐で揺れる様子を表現した「フッタレチュイ」と呼ばれる踊り。ことし3月、新型コロナウイルス感染拡大の影響で無観客で実施された「ロストカムイ」の一幕だ。
 シアターは従来の伝統舞踊を披露するだけではない。昨年3月から続いているこの「ロストカムイ」の公演では、舞台上でデジタルアートの技術を使い、絶滅する以前にはアイヌがあがめていたとされるエゾオオカミをよみがえらせた。そこに現代舞踊も織り交ぜている。
 踊り手の一人、平澤隆二さん(54)は「シアターは新しい形で文化を発信しているんですよ」と説明する。「お客さんのほとんどは温泉目当てでアイヌには興味がない。でも何も知らなかったけど見て良かったと言ってくれる人もいて、深く知るきっかけになっていると思います」
 かつては阿寒湖などで民族性を観光に活用してきたアイヌが「観光アイヌ」とやゆされることもあった。だが「観光で生計を立てるために別の地域から来たアイヌが、ここで初めて踊りを知ることもある」と、ここで2年前から踊る毛房千夏さん(27)が教えてくれた。
 明治政府による同化政策以降、アイヌへの差別が激化し、子孫に文化を伝えるアイヌが少なくなったからだ。「ここでは観光地としてずっと踊り続けてこられた。でも、踊らなくなってしまった地域もあります」
 毛房さん自身、昨年まで民族の血を引くことを知らなかった。「観光向けかもしれないけれど、踊る場所があるということが大事だと思います」。そう語る。
 シアターの踊り手の中には、北海道白老町で7月12日に開業するアイヌ文化施設「民族共生象徴空間」(愛称・ウポポイ)の踊り手らを指導したベテランもいれば、アイヌ以外や外国人もいる。平澤さんは「昔はここに住んでる人間じゃなきゃだめだとか制約があった。でも僕は今みたいに間口は広くて良いと思う。興味があればやればいいんじゃないか」と話す。
 ただ踊りを教えるときには民族の心を忘れずに伝える。「アイヌの踊りは神にささげて見てもらうもの。神は目に見えなくてもそばにいる。お客さんに見られていてもその意識は変わらない」。その言葉は力強かった。
https://news.goo.ne.jp/article/47news_reporters/nation/47news_reporters-20200701001048.html

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ロイター-2020年7月2日 / 14:38 / 13時間前更新

2020-07-03 | 先住民族関連
ブラジル軍、アマゾンの先住民族にマスク支給 コロナ対策

ブラジル軍は1日、新型コロナウイルス感染症対策の一環として、アマゾンの先住民族ヤノマミ族にマスクを支給した。1日撮影。(2020年 ロイター/Adriano Machado)
[ボアビスタ 1日 ロイター] - ブラジル軍は1日、新型コロナウイルス感染症対策の一環として、アマゾンの先住民族ヤノマミ族にマスクを支給した。
アマゾンの熱帯雨林で暮らすヤノマミ族は、外部との交流はほとんどない。裸足の人々や槍や弓矢を持った戦士たちにマスクが支給された。
ベネズエラとの国境付近で会見したブラジルのアゼベド防衛相は「ここでは感染者は見つかなかった」と発言。
ヤノマミ族は、違法な金採掘業者が新型コロナウイルスを持ち込んだと訴えている。
ブラジル先住民連合(APIB)によると、6月27日時点で先住民405人が新型コロナ感染症で死亡。112の民族の9983人が感染している。
https://jp.reuters.com/article/health-coronavirus-brazil-indigenous-idJPKBN2430LU

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世界感染者1060万人超、米国レストラン「再開」見直し(動画)

2020-07-03 | 先住民族関連
TBS News--2020年7月2日
 新型コロナウイルスの感染者は、世界で1060万人を超えました。ブラジルでは死者が6万人を超えるなど各国で感染状況が衰えないなか、アメリカでは店内での飲食の再開の見直しが相次いでいます。
 アメリカのジョンズ・ホプキンス大学の集計によりますと、世界全体の新型コロナウイルスの感染者は1060万人を超えました。ブラジルでは感染による死者が6万人を超え、アメリカに次いでいます。
 こうしたなかブラジル軍は1日、感染が広がっている「ヤノマミ」と呼ばれるアマゾンの先住民族にマスクを配布しました。先住民保護団体によりますと、先月末までにアマゾンの先住民族では1万人近い感染者が出ていて、うち405人が死亡しているということです。
 一方、新規感染者が急増しているアメリカでは、カリフォルニア州のロサンゼルスをはじめ19の郡が5月半ば以降から再開していたバーの営業やレストラン内での飲食を再び禁止とすることを決めました。
 「ロサンゼルスでは今週に入って1日の新規感染者が過去最多を記録していて、レストランの中での飲食が再び禁止となりました」(記者)
 カリフォルニア州全体では、1日あたりの新規感染者数はおよそ5000人から6000人と高止まりの状態が続いています。対象となった郡には州の人口の7割以上が住んでいて、バーなどのほか映画館、美術館などの少なくとも3週間の営業禁止も決まりました。
 「状況が悪くなっているからしかたない。家にいるべきだ」(住民)
 「怖いです、ほとんど家にいるようにしています」(住民)
 南部テキサス州でも1日、新規感染者が8000人を超え過去最多を更新していて、すでにバーの営業を禁止しているほか、東海岸ニューヨーク州のクオモ知事も1日、6日に予定していたニューヨーク市内のレストランの店内での営業再開について延期することを発表しています。
https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4018341.html

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実は人種差別主義者だった 名優ジョン・ウェイン知られざる“別の顔”

2020-07-03 | 先住民族関連
日刊ゲンダイ 2020/07/02 09:26
ジョン・ウェインはハリウッドのタカ派だった(C)AF Archive/Mary Evans Picture Library/共同通信イメージズ
 全米に広がる反人種差別デモの影響が、名優ジョン・ウェイン(故人)にも及んでいる。カリフォルニア州オレンジ郡にある「ジョン・ウェイン空港」を改称し、空港内にあるウェインの銅像を撤去するよう求める声が、地元の民主党議員などから湧き起こっているのだ。
 背景にはウェインの差別的な言動がある。1971年にプレイボーイ誌の取材で「私は白人至上主義を信じている」「5世代、10世代前にそれらの人々(黒人)が奴隷だったことに何の罪悪感もない」と発言。反LGBT(性的少数者)、反先住民(インディアン)的な考えの差別主義者だったことも問題視されている。ちなみにこの空港は23年に建設され、79年にウェインを称えるため改名された。
 ジョン・ウェインは言うまでもなく西部劇の大スター。「駅馬車」(39年)などで先住民を相手にドンパチを繰り広げる姿に興奮した人は少なくないだろう。だが思想的には超保守で、今も「ハリウッドのタカ派」と呼ばれている。
「ウェインが活躍した時代の米国民は自分たちが先住民族を駆逐して米国という偉大な国家をつくったのだと信じていたのです。ウェインはそのアジテーターでした。当時はまだ米国が豊かな国で今のように貧富の差が激しくなかった。ウェインの言動は問題になりませんでした」(国際政治経済学者・浜田和幸氏)
 当時の人はウェインが差別主義者だと認識していたが、現在の若者はウェインの名前は知っているものの、どんな人物かは知らないという。空港の改称と銅像の撤去は実現するのだろうか。
「ジョン・ウェイン空港は小さな施設ながら、改称してから利用客が増加し、今は年間に800万人の観光客らが訪れます。ウェインの威光のおかげです。民主党は頑固な共和党支持者だったウェインを攻撃してトランプ大統領の追い落としを狙っていますが、オレンジ郡はいまも共和党の勢力が強い。改称は無理な気がします」(浜田和幸氏)
 今回の騒動でジョン・ウェインの実像を知ってビックリした日本人もいるだろう。
https://news.goo.ne.jp/article/nikkangendai/entertainment/nikkangendai-647014.html

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道アイヌ協会の中村副理事長 千歳市長に就任報告

2020-07-03 | アイヌ民族関連
苫小牧民報 2020/7/2配信
 公益社団法人北海道アイヌ協会の副理事長に就任した千歳アイヌ協会会長の中村吉雄氏(71)が、このほど千歳市役所を訪れ、山口幸太郎市長に就任を報告した。中村氏は「大役に身が引き締まる思い。大川勝理事長を支えていきたい」と語った。  北海…
この続き:271文字
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https://www.tomamin.co.jp/article/news/area1/22820/

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妙見寺で6日に読書会、樺太アイヌ描く「熱源」テーマ

2020-07-03 | アイヌ民族関連
苫小牧民報 2020/7/2配信
 苫小牧市音羽町の妙見寺(末澤隆信住職)で6日午後1時半から読書会「お寺de名著」が開かれる。今回は、第162回直木賞受賞作で、樺太(サハリン)で生まれたアイヌが主人公の歴史小説「熱源」(川越宗一著、文藝春秋刊)を取り上げる。物語の雰囲気を…
この続き:336文字
ここから先の閲覧は有料です。
https://www.tomamin.co.jp/article/news/main/22861/

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増毛 マシュケ は カモメがいっぱい【50代から始めた鉄道趣味】319

2020-07-03 | アイヌ民族関連
鉄道チャンネルニュース 2020年7月2日 11時0分

トップ画像は、増毛駅の上空。増毛の地名、元になったアイヌ語の「マシュケ」(カモメの多いところ)が納得できる空です。
増毛は、映画『駅 STATION』(1981年)の舞台になっています。駅のすぐ隣に、烏丸せつこさんが(映画で)働いていた風待食堂がありました。昭和レトロな建物ですがオリジナルは大正時代に創業した雑貨屋さん。映画ロケ時に看板が付けられて「食堂」ですが食事はできません。町の観光案内になっていました。中には映画『駅 STATION』の写真が飾られています。筆者は「友人のお守り用に増毛駅の硬券入場券」を買いました。
※2014年7月撮影
増毛館、元は古い旅館かな。現在は使われていない様です。
少し先に「津軽藩増毛勤番越年陣屋跡」がありました。説明板の内容。
文化4年(1807年)時の幕府は、仙台・会津・南部・秋田・庄内の各藩に蝦夷地警備と出兵を命じている。
津軽藩は宗谷・斜里・樺太の守備を命じられ同年より交替出兵となった。 しかし北蝦夷地及び宗谷の気象条件が厳しく、特に冬期間の寒気により相当数の死者を出している。このため津軽藩は幕府に対し願い出た。幕府は、指令を下した。
「中略」
文化6年(1823年)以降宗谷の越年を増毛に変更し勤番陣屋を築造している。当時の宗谷・樺太詰人数は200~300人であったことからそれ相等の越年陣屋であろう。
この地にあった「津軽藩越年陣屋」は増毛に建てられた最初の陣屋にあたる。
(後に安政3年 秋田藩元陣屋が建てられている)
明治15年(1882年)創業という日本最北の造り酒屋「國稀酒造」があります。日本酒の好きな筆者には超嬉しい。
※2014年7月撮影
懐かしい赤いポストが現役です。左に、酒の仕込みに使う暑寒山麗の伏流水が提供されています。お婆さんが大きなペットボトルに入れていました。美味しい日本の味は、仕込み水の味なんです。美味しいですよ~。
※2014年7月撮影
酒蔵の見学が出来ました。写真は、蔵に入ったところ、往年の蔵の雰囲気を再現しています。
もちろん試飲コーナーがあります。鉄道旅の利点は、遠慮なくアルコールが楽しめることです。酔っぱらうくらい試飲して、筆者はやはり特別純米酒(吟醸ではない普通の純米酒)が一番好きなので東京の自宅用に一升瓶を2本購入、送ってもらいました。
※2014年7月撮影
國稀酒造のお向かいにラーメン屋さんがあったのでお昼ご飯にしました。國稀酒造の酒粕を使ったラーメンが名物。
※オリジナル写真が縦なので加工してあります
日本酒は好きですが、酒粕は・・・不得手。ふつうに味噌ラーメンとミニ丼のセット。(1030円)ほろ酔いだし、美味しかった!
食後は海の方に散歩しました。
※筆者は既にコラムなどで今回の青春18きっぷ鉄道旅の写真を度々使用しています。重複していますが、御容赦ください。
※価格などは2014年当時のものです。
(写真・文/住田至朗)
https://news.livedoor.com/article/detail/18508229/

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直木賞作家・川越宗一が“三角関係”を描く理由とは? デビュー作から読み解く、その作家性

2020-07-03 | アイヌ民族関連
リアルサウンド 2020.07.02 文=細谷正充

 デビュー作には、その作家のすべてがある。作家や作品を語る上で、よく使われるフレーズだ。これは本当のことである。意識的か無意識かは分からぬが、デビュー作には作家の本質が込められていることが多い。2018年、第25回松本清張賞を受賞した、川越宗一の『天地に燦たり』を見ると、そのことがよく分かる。
 と書いてしまったが、最初に『天地に燦たり』を読んだときは、作者の本質を見抜くことができなかった。理解できたのは、第161回直木賞を受賞した第二長篇『熱源』の内容によってである。そのことを説明するために、まずは『天地に燦たり』について述べておきたい。
 猛将でありながら、戦に倦んでいる島津家重臣の大野(後に樺山)七郎久高。朝鮮で差別される白丁という身分でありながら、儒学を学ぶ明鍾。琉球国の官人で、密偵の任務に携わっている真市。本来なら、それぞれの国で無縁に生きるはずの3人。しかし時代の大きなうねりが、彼らを結びつける。豊臣秀吉の朝鮮出兵と、島津の琉球攻めという、ふたつの戦を扱いながら、日本・朝鮮・琉球の3人の男を絡ませたストーリーが斬新であった。
 また、戦乱の世を人はいかに生きるべきかというテーマを“礼”によって描き切っている点も、大きな読みどころになっている。どのような時代でも、人が人らしく生きるには、どうすればいいのか。これを可能にするのが儒学でいうところの“礼”だとしているのだ。久高の苦悩、明鍾の慟哭、真市の言動を通じて、作者は志の高いテーマを鮮やかに表現してのけたのである。
 ただし疑問もあった。久高と明鍾がじっくりと書き込まれているのに対して、真市の扱いが、やや軽い気がしたのである。この作品のテーマなら、久高と明鍾の対立構造で描くこともできたはずだ。それをなぜ、わざわざ三角関係にしたのか。物語を思い出すたびに、この点が引っ掛かったのである。だが、『熱源』を読んで、なぜ『天地に燦たり』に3人の男が必要なのか納得できた。
 『熱源』は、明治の樺太(サハリン)が主な舞台である。アイヌのヤヨマネクフ(山辺安之助)とシシラカト(花守信吉)、和人の父とアイヌの母の間に生れた千徳太郎治。北海道で学校に通っていた3人だが、やがて別々の道を歩む。五弦琴の名手であるキサライスと結婚し、子供をもうけたヤヨマネフク。だが妻が病死して6年後、今はロシアが支配している故郷の樺太に戻った。やがてシシラカトや太郎治と再会したり、ポーランド人のブロニスワフ・ピウスツキと知り合いながら、時代の中を生きていく。
 一方、ロシア皇帝の暗殺を謀った罪でサハリンに流刑になったピウスツキは、辛い日々の中で、現地のギリヤーク人と親しくなる。ギリヤーク人に関する民俗調査が認められ、発表の機会を得たピウスツキ。だが、ギリヤーク人を自分たちより劣った人種と思い込んでいる、人々の姿に落胆する。その後、サハリンでアイヌの妻を得るが、日露戦争後のロシアの動向に連動するように盛り上がった、ポーランド独立運動に深くかかわっていくのだった。
 物語の時間軸は長く、登場人物も多いが、ヤヨマネクフとピウスツキが主人公といっていいだろう。実在したふたりを通じて、巨大な国家によって蹂躙される民族の悲しみが掘り下げられている。和人(日本)によって差別されるだけでなく、新たな文明によりアイヌの従来の文化も失われていく。そんな激動の時代について考えながら、流れるように生きる、ヤヨマネフクの姿が印象的だ。
 そしてピウスキツだが、ロシアという大国によってポーランドを失った故郷喪失者である。また、ロシアにより差別と搾取をされているギリヤーク人の現実を見て、なんとかしようとする。さらにアイヌの女性と結婚するなど、民族の問題を多角的に伝える存在となっているのだ。
 ヤヨマネフクとピウスキツ。どちらかひとりだけを主人公にしても、興趣に富んだ物語になっただろう。しかし作者は、ふたりを共演させた。なぜか。世界を描くためである。
 和人とアイヌ。ロシアと他国や他民族。そうした単純な対立構造では、世界の真の姿は捉えきれない。国や場所が違えば事情も変わる。同じ民族でも、考え方が違う。ふたりの主人公を中心にした、多彩な人物の織り成すエピソードにより、世界そのものが重層的に表現されているのである。
 ここまでくれば、『天地に燦たり』で、なぜ国の違う3人の男が必要だったか分かる。対立構造による世界の単純化を避けるために、この人数が必要だったのだ。そしてそれこそが21世紀を生きる作者の世界認識であり、本書を見る限りでは、今後も物語のベースとなると思われる。まさにデビュー作には、その作家のすべてがあるのだ。
 話を『熱源』に戻す。どこか似たところのあるヤヨマネフクとピウスキツは、しかし別々の方法で世界に立ち向かう。それが何かは、読者自身の目で確認してもらいたい。ただ、これだけはいっていいだろう。ふたりの根源にあるものは一緒だ。巨大な力により国家を失おうが、新たな文明の力により民族のアイディンティティを失おうが、それでも残るものがある。人間の抱える意志だ。生きようとする意志、伝えようとする意志。この意志(=熱源)があるかぎり、何者も滅びることはない。そのことを作者は渾身の筆致で描いたのだ。熱い作品である。
■細谷正充
1963年、埼玉県生まれ。文芸評論家。歴史時代小説、ミステリーなどのエンターテインメント作品を中心に、書評、解説を数多く執筆している。アンソロジーの編者としての著書も多い。主な編著書に『歴史・時代小説の快楽 読まなきゃ死ねない全100作ガイド』『井伊の赤備え 徳川四天王筆頭史譚』『名刀伝』『名刀伝(二)』『名城伝』などがある。
■書籍情報
『天地に燦たり』(文春文庫)
著者:川越宗一
出版社:文藝春秋
価格:本体720円+税
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167915070
『熱源』
著者:川越宗一
出版社:文藝春秋
価格:本体1,850円+税
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163910413
https://realsound.jp/book/2020/07/post-578635.html

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<3>豊かになっても変わらぬ結婚観(インド・オリッサ州)

2020-07-03 | 先住民族関連
朝日新聞 2020.07.02文: 三井昌志
南東部オリッサ州の先住民「アディヴァシ」
鮮やかな赤いサリーを身にまとった女性が、赤土の畑で木槌(きづち)を振るっていた。長い柄のついた木槌を力を込めて振り下ろすと、乾燥して硬くなった土塊が粉々に砕ける。腕の力と根気が必要なこの作業を何時間も続けていくと、やがて土は柔らかくなり、豆や野菜を植えるのに適した畑に変わるのだ。
インド南東部オリッサ州の山間部には、「アディヴァシ」と呼ばれる人々が住んでいる。アディヴァシは今から3500年前にアーリア系民族がインド亜大陸に侵入してくる以前からこの地に住んでいた先住民族の末裔(まつえい)で、今でも森に囲まれた土地で人や牛の力に頼った伝統的な農業を行っている。
ウンベル村は1000人ほどのアディヴァシが住む比較的大きな集落で、20年前まではインドでももっとも貧しい地域として知られていた。医療や教育の水準は低く、きれいな飲み水が得られる井戸がなかったために、衛生状態も劣悪だった。当時、村と町、あるいは隣村同士を結ぶ唯一の道は未舗装の荒れた道で、ひとたび雨が降ると車も人も往来できなくなり、陸の孤島と化してしまったという。もちろん電気も水道もなく、通信手段も皆無だった。

竹で編んだ「箕(み)」という道具を使って、収穫した雑穀からゴミを取り除く女性(撮影:三井昌志)
そんな貧しい村の暮らしを変えたのが、キャベツだった。もともと村人たちはお米や雑穀などの主食を細々と作るだけの自給自足に近い生活を送っていたのだが、キャベツやカリフラワーなどの野菜を栽培した方が利益になると知り、農家の多くが畑に野菜を植え始めたのだ。標高900mという高地にある村は、昼と夜の寒暖差が大きく、それが野菜の甘みを生むという。
自給自足生活では得られなかった現金収入を得たことで、村の生活は大きく変わった。わずか数年のあいだに携帯電話やバイク、衛星放送が見られるテレビなどが一気に普及したのだ。道路も舗装され、町の市場に野菜を出荷する仕事も格段に楽になった。
その一方で、昔も今もあまり変わっていないこともある。結婚年齢の低さもそのひとつだ。ウンベル村の結婚適齢期は10代後半で、中には12、3歳で結婚する人もいる。当然のことながら、村の出生率は高く、どの家にも4、5人の子供がいた。「できるだけ早く結婚して、多く子供をもうけることが幸せだ」という価値観があるようだ。
ウンベル村には「来年結婚する予定だ」という12歳の少年や、「おなかに二人目の子供がいるんです」と語る15歳の少女がいた。「もうすぐ孫が生まれておばあさんになる」という29歳の女性もいた。それは晩婚化と少子化が急速に進む日本社会とはあまりにも違いすぎる状況だ。
インドの法律でも、結婚可能年齢は女性18歳・男性21歳と定められている。しかしアディヴァシのような伝統社会では、国の法律よりも共同体の習慣や掟(おきて)に従って生きるのが普通なのだ。
野菜栽培によって村人の暮らしは豊かになり、今や誰もが携帯電話で連絡を取り合うようになった。しかし何世代にもわたって受け継がれてきた結婚観や食習慣などは、そう簡単に変わるものではないのだろう。
今でも村の田んぼには若い女性たちが腰を折って苗を手で植える姿があり、家には年老いた女性が石臼を使って雑穀を粉にひき、チャパティ(無発酵パン)を作って食べる姿がある。いずれも数十年前とほとんど同じ光景に違いなかった。
10年後、20年後にどの習慣が受け継がれ、どの習慣が廃れていくのだろう。それを自分の目で確かめるために、いつかまたこの村を訪れてみたいと思う。
https://www.asahi.com/and_travel/20200702/262297/

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