先住民族関連ニュース

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ウポポイ開業1週間 博物館、実演にぎわう 予約周知に課題

2020-07-20 | アイヌ民族関連
北海道新聞 07/20 05:00

 【白老】町内のアイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」が12日の開業から1週間を迎えた19日、園内では多くの家族連れや観光客が体験プログラムなどを通じてアイヌ民族の文化に親しんだ。中核施設の国立アイヌ民族博物館の見学予約は終日満員となった一方で、事前予約制を知らずに訪れる来場者が後を絶たず、周知不足が改めて浮き彫りになった。
 ウポポイを運営するアイヌ民族文化財団によると、開業1週間(12~18日)の入場者数(有料ゾーン)は計7578人、博物館の入館者数(展示室)は計4671人だった。
 19日のウポポイは日中青空が広がり、来場者は夏の日差しを浴びながら園内の施設を巡った。伝統的コタン(集落)に再現された家屋「チセ」では見学待ちの列ができたほか、ホールでの古式舞踊や、工房でのゴザ編み、刺しゅうなどの実演も人気を集めた。
 千歳市の会社員小林政文さん(59)は「舞踊は荘厳な舞台で厚みのある芸術だった」と満足した様子。町内会の旅行で訪れた函館市の無職林英也さん(68)は「チセを見たかったが時間がなく、また来たときにゆっくり見たい」と話した。
 新型コロナウイルスの感染防止対策で、ウポポイの入場や博物館の見学はそれぞれ事前予約が必要。だがウポポイの入場口では予約なしで当日券を買い求める来場者が目立ち、博物館では予約なしで見学できないことを知りあきらめる人もみられた。札幌市の会社員遠藤文枝さん(53)は「予約が必要と知らなかった。また来ようと思うが残念」と話す。
 財団は「予約に関する問い合わせは多く寄せられている。ホームページの内容を見直すなどしているが、今後も周知を進めていく」としている。(鈴木雄二)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/442124

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<ウポポイとわたし>16 学校にはない体験 子どもに 千歳市立末広小元教諭・中原直彦さん=千歳市

2020-07-20 | アイヌ民族関連
北海道新聞 07/19 11:26
 千歳市立末広小は約25年前から、地元のアイヌ民族の協力で独自のアイヌ文化学習を行ってきました。私も同小に着任した2015年から担当し、今年4月に退職した後もアイヌ民族文化財団(札幌)のアドバイザーとしてこの学習に携わっています。
 子どもたちはアイヌの工芸品に使うシナノキの皮をむいたり、校舎内に建てられた伝統的なチセ(家)の中で工芸品を作ったりします。川で伝統漁具マレク(かぎもり)を使った漁を体験し、運動会ではホリッパ(輪踊り)を踊ります。
 五感を存分に使い、アイヌ文化の根底に流れる命の大切さや自然と共生する心を学び、その心は子どもたちの中に根付いていきます。ある卒業生は授業で作ったアイヌ文様のコースターを10年以上大事に使っていました。
 アイヌ民族の存在や文化を過去のもののように語る人がいますが、自らの文化を大切にし、生き生きと伝える彼らの姿を見たらそんなことは言えないはずです。
 ウポポイは、学校にはない充実した体験メニューや展示が魅力です。子どもたちがアイヌ文化を身近に感じ、関心を深め、アイヌ民族の存在や文化が当たり前となる社会になってほしいです。(聞き手・斉藤千絵)
★「マレク」の「ク」は小さい字
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/442053

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川でのサケ捕獲に向けて丸木舟を進水 浦幌アイヌ協会

2020-07-20 | アイヌ民族関連
十勝毎日新聞 2020/07/19 12:06

丸木舟を川に浮かべて進水儀式「チプサンケ」を執り行う浦幌アイヌ協会の長根会長(中央)、丹野副会長(右)、上士幌協会の清水会長=浦幌町十勝太の新川、19日午前11時ごろ
 【浦幌】アイヌ民族の先住権に基づいた川でのサケの捕獲を目指し、浦幌アイヌ協会(長根弘喜会長)は19日、町十勝太を流れる浦幌十勝川支流の新川で、自作した丸木舟の進水式を執り行った。同協会は近く道に申請し、年内にも町内の河川でサケの捕獲を行う。
 同協会のメンバーを中心に8人が新川の護岸に集合。護岸でカムイノミ(神への祈り)をささげた後、浦幌協会の長根会長(35)、丹野聡副会長(40)、上士幌アイヌ協会の清水勇会長(67)が丸木舟に乗り込み、アイヌ語で舟おろしを意味する進水の儀式「チプサンケ」を執り行った。
 長根会長は「ようやくここまできた。川でのサケの捕獲を目指し、これからも皆で力を合わせて頑張りたい」と話した。
 丸木舟は町内で切り出したトドマツ材を使い、長さは約5・8メートル。船首や側面にアイヌ文様を施している。アイヌ民族文化財団(札幌市)に申請し、浦幌協会のメンバーらが上士幌協会の清水会長のアドバイスを受けて製作を進め、14日に完成した。儀式後の19日午後、浦幌町立博物館に運び込まれた。同館では当面の期間、展示する予定。
 河川でのサケ捕獲をめぐっては昨年9月、紋別アイヌ協会(紋別市)の畠山敏会長が「先住民族の権利」を掲げて川でサケを捕獲。道は許可申請がなかったため、水産資源保護法違反などの疑いで告発したが、旭川地裁は6月末に不起訴処分としている。
 浦幌協会は川でのサケ捕獲について、先住権に基づいて規制が適用されないことを確認するため、国と道を相手に札幌地裁に提訴する準備も進めている。(内形勝也)
https://kachimai.jp/article/?no=510068&fbclid=IwAR1QTXtKBkSb3Vdro5JnJ9bULqMCSKh-w6_9HZh6Sz10Yia5sliOvy1Ar0g

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アイヌ伝統の丸木舟進水 北海道浦幌町

2020-07-20 | アイヌ民族関連
神戸新聞 2020/7/19 16:46

 新しい丸木舟の進水式で、舟の神様のイナウに祈る司祭(左)ら=19日、北海道浦幌町
 北海道浦幌町でアイヌの伝統儀式「カムイチェプノミ」で使う新しい丸木舟が完成し19日、町内の川で進水式が行われた。
 午前10時ごろ、浦幌アイヌ協会が川沿いで神に祈る儀式を実施。舟に魂を入れた後、司祭ら3人が乗り込んで進水させ、船首にはめこまれた舟の神様のイナウ(木幣)に安全を祈った。
 舟は池田町で伐採した直径約90センチ、長さ約7メートルのトドマツをくりぬいて作った。舟の側面には守り神のフクロウや、水、小鳥、木の神様の文様が彫られている。
 舟は9月下旬に予定されている伝統儀式まで浦幌町立博物館で展示される。
 浦幌アイヌ協会は、法律で禁じられた河川でのサケ捕獲は、先住民族が持つ権利として、国や道に対する訴訟を検討しており、丸木舟の完成について同協会の差間啓全さん(53)は「サケ捕獲権を含む先住権回復の一歩になれば」と話した。
https://www.kobe-np.co.jp/news/zenkoku/compact/202007/0013524570.shtml

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世界で最も孤立した部族、侵入者拒む歴史と唯一の「友好的な」接触【知られざる少数先住民族の暮らし】

2020-07-20 | 先住民族関連
ナショナルジオグラフィック 7/19(日) 18:05配信

 インドの東、ベンガル湾に浮かぶ北センチネル島に、地球上で最も孤立したと言っていい狩猟採集民が暮らしている。
 北センチネル島はサンゴ礁に囲まれた三宅島ほど(面積約60平方キロ)の島で、現在はインド領だが、センチネル族の人々は部外者の立ち入りを完全に拒んでいる。森に覆われたこの島の住人は彼らだけで、人口はおそらく100人ほど。外界との接触がない彼らがいつからこの島に住んでいるのか、正確なところは誰も知らない。だが、いくつかの研究により、数万年前にアフリカから移住してきた可能性が示唆されている。
 センチネル族の人々は弓の名手だ。外の人間が島に接近すると、追い返すために激しく攻撃する。過去の接触の試みはことごとく槍と矢の雨で迎えられた。
 1974年には、アンダマン諸島のドキュメンタリー番組の制作のためボートからセンチネル族を撮影していたナショナル ジオグラフィックTVのディレクターが、投げつけられた槍で負傷する事故が起きた。遠征に同行したナショナル ジオグラフィックの写真家ラフバー・シン氏はこのとき、白い砂浜で弓と矢を掲げて小躍りする戦士たちを撮影した。この写真は、外界からの接触を拒絶するセンチネル族を象徴する1枚となっている。
 彼らの猛々しさを示す事件は、新しいところでは2018年11月にも発生した。センチネル族をキリスト教に改宗させようと、自称「冒険家」の米国人宣教師、ジョン・アレン・チャウ氏が島に侵入して殺害されたのだ。
 最初に上陸を試みた11月15日の体験をチャウ氏は日誌に記していた。彼はまず、防水加工された聖書を高く掲げた。すると、島から矢が飛んできて聖書を貫通したという。さらに2人の男性が弓に矢をつがえるのが見えたので、慌ててカヤックを漕いで退却。約350ドルを支払って島の近くまで送ってもらい、海上で待機してもらっていた漁師たちと合流した。
 おそろしい思いをしたにもかかわらず、チャウ氏はその夜、再び島に向かう。そして漁師に、今回は自分を待たず、アンダマン諸島を管轄する行政府があるポートブレアにいる友人に手紙を届けるように指示した。
 2日後、漁師たちが島の様子を確認しに行ったところ、浜辺で遺体を引きずり、埋葬するセンチネル族の人々が遠くの海上から見えた。身につけているものと体形から、彼らはチャウ氏の遺体だろうと思った、と警察の事情聴取で語った。
 インド当局は遺体が埋葬された場所を確認するため、2人の漁師とともに、飛行機で1回、舟で2回、島に向かった。警察が舟で2回目に島に近づいたときには、弓と矢で武装した5、6人の男性が浜辺で見張りをしていた。
 インド政府は、この事件に関連して、漁師たちと地元のエンジニア1名、チャウ氏の旅の計画を手伝った宣教師「アレキサンダー」の計7名を「過失殺人」により告発した。
 アンダマン警察のディペンドラ・パサック長官は、ナショナル ジオグラフィックによる当時の電話インタビューで、「現時点では、センチネル族と対決したり島に上陸したりすることは計画していません。そんなことをしたら、彼らを追い詰めてしまいますから」と語った。
1991年の「プレゼント投下」作戦
 パサック氏によると、警察官であっても、島の周囲8km以内に立ち入ることは法律により禁止されているという。
 しかし、20世紀後半を通じて、インド政府はセンチネル族を含めたアンダマン諸島の先住部族の「平定」に積極的に取り組んでいた。
 失敗が相次ぐなか、1990年代初頭に行われた2度の接触は特筆に値する。舟で島の近くまで行き、先住民への贈り物としてココナッツ、バナナ、プラスチック製のおもちゃなどを投下した1991年のいわゆる「プレゼント投下」作戦では、数十人のセンチネル族が非武装で砂浜に出てきて、プレゼントを受け取るために腰まで水に浸かって侵入者を出迎えるまでになった。
 そのインド国立人類学研究所(AnSI)のチームに参加していた唯一の女性がマドゥマラ・チャトパディヤエ氏だ。センチネル族と接触した初めての女性人類学者となった同氏は、6年にわたり彼らを調査し、20本の論文と、著書『Tribes of Car Nicobar』を出版した。
 北センチネルの島民との接触について、氏はナショナル ジオグラフィックの2018年のインタビューでこんなふうに語っている。
「(1991年1月の調査の)数カ月前にAnSIが送ったチームは、いつも通りの敵対的な応対を受けたので、私たちは少し不安でした」とチャトパディヤエ氏。チームは小さなボートで島に近づき、無人の砂浜に沿って煙が立ち昇る方へと進んだ。
 4人のセンチネル族の男性が、弓矢を携えて海岸へ出てきた。「私たちは、彼らの方へ向けてココナッツを浮かべ始めました。驚いたことに、何人かは水に入り、ココナッツを回収していきました」
 その後の2、3時間、ココナッツを拾うために、男性たちは何度も砂浜から水中へとやってきた。離れた場所から、女性と子供たちが眺めていた。とはいえ、よそ者である人類学者たちが襲われる危険性はまだあったと、チャトパディヤエ氏は振り返る。
「19歳か20歳くらいの青年が、女性とともに砂浜に立っていました。彼は突然、弓矢を構えました。私は、その地域の他の部族の調査で覚えた言葉を使って、ココナッツを取りに来るよう呼びかけました。すると女性が青年を小突き、矢が水中に落ちました。女性に促され、彼も水の中に入ってココナッツを拾い始めました。その後、何人かの男性がボートを触りに来ました。その行動は、私たちを恐れていないことを示しているように思えました」
 AnSIのチームは砂浜に上陸したが、センチネルの人々が集落に連れて行ってくれることはなかった。
 1カ月後、チャトパディヤエ氏はより大きなチームとともに島を訪れる。
「このときは、センチネルの人々がチーム全員と馴染みになってほしいという政府の意図で、大人数となりました。彼らは、私たちが島に接近するのを見ていました。その後、武器を携えずに迎えてくれました」
 水面に浮かべられるココナッツを回収するだけでは飽き足らなくなっていた彼らは、ボートに上がり込んでココナッツを袋ごと持って行った。
「警察官のライフルをただの金属片と思ったようで、ライフルまで持って行こうとしました」。チームメンバーの1人が、センチネル族の男性が身に着けていた葉でできた装身具を取ろうとすると、「男性は怒って、ナイフを取り出しました。すぐに去るよう身振りで伝えてきたので、私たちは島を後にしました」
 数カ月後に実施された3度目の訪問は、悪天候のせいで上手くいかなかった。「砂浜には人影がなく、私たちは誰にも会うことなく戻りました」
 その後、政府は北センチネル島への訪問頻度を減らすことを決定する。島民は多くの病気に対して免疫を持っていないため、外部の人間による接触は彼らを感染の危険にさらしてしまうと考えたからだった。
「接触されない権利」は尊重されなければならない
 このような接触の取り組みは、地球の裏側の南米アマゾンで20世紀を通じて続けられてきたこととよく似ている。アマゾンでも、ブラジル人の偵察者と米国人宣教師が工業製品や栽培作物の魅力を利用して、ジャングルで暮らす孤立部族を誘惑した。
「かつては宣教師が中心となって、アマゾン各地で孤立先住民に接触し、平定、定住を進めましたが、しばしばその結果として部族の消滅や文化的浸食を引き起こしました」と、ブラジルのベレンにあるエミリオ・ゴエルジ博物館の人類学者である米国人のグレン・シェパード氏は言う。
 南米の部族と同じく、アンダマン諸島の先住民も、接触からまもなく伝染病の蔓延に苦しみ、その社会は崩壊した。1990年代末に弓と矢を置いたジャラワ族は、その後、はしかの大流行を2回経験した。
 かつての誇り高き戦士たちは怠け者になって酒に溺れ、その子供たちは、部族を見世物にする観光ガイドから施しを受け、踊りを踊っている。そうしてアンダマン諸島のほかの部族は激減し、文化も崩壊してしまった。
 ブラジルやその他のアマゾン川流域諸国は、失敗から得た教訓にもとづき、孤立部族に無理に接触することをやめた。インド当局も、1991年の遠征後はセンチネル族へのプレゼントの投下をやめている。
 センチネル族の人々は、自分たちを取り囲む異質な世界の存在を敏感に感じとっているにちがいない。空を見上げれば飛行機が飛んでいるし、水平線に目をやれば船舶が行き来している。彼らの矢じりは、難破船から取ってきたと思われる金属でできている。チャウ氏のように漁師に金を支払って沿岸警備隊のパトロールをかいくぐり、島に接近して双眼鏡で自分たちを覗き見する観光客の姿も見ているだろう。
 センチネル族は、世界で唯一、自分たちだけの島に住む孤立部族だ。アンダマン諸島の部族の専門家で、先住民族の権利保護団体「サバイバル・インターナショナル」のメンバーであるソフィー・グリッグ氏は、このような環境に置かれたセンチネル族は、部外者が持ち込む疾患に対して「極端に脆弱」であると言う。「私たちが彼らの『接触されない権利』を尊重しなければならないのはそのためです。彼らは自分たちの要望をこれ以上ないほど明確に表明しています」
 センチネル族が外の世界にあれほど強い敵意を抱いている理由は、彼ら自身にしかわからない。もしかすると、1880年代に英国の植民地開拓者がこの島を訪れ、数人の島民を誘拐し、のちに英国で死なせてしまったことと関係があるのかもしれない。あるいは、善意で近づいてくる人々でさえ、外から来る人間が「今そこにある危機」をもたらすことを本能的に知っているのかもしれない。
 どのような理由にせよ、困難だらけの海に囲まれたちっぽけな緑の島で、自分たちの望むように生きるという強い決意をもって抵抗するセンチネル族に感心する人は多い。チャトパディヤエ氏もアンダマン・ニコバル諸島にはずっと訪れておらず、今後も北センチネル島を訪問するつもりはないという。
「彼らは何百年もの間、何の問題もなく島で暮らしてきたのです。問題が生じたのは、外部の人間と接触するようになってからです」と同氏は話す。「島の人々に必要なのは、外部の人間がやってきて守ってくれることではなく、放っておいてもらうことです」
この記事はナショナル ジオグラフィック日本版とYahoo!ニュースによる連携企画記事です。世界のニュースを独自の視点でお伝えします。
文=Scott Wallace、Fehmida Zakeer/訳=三枝小夜子
https://news.yahoo.co.jp/articles/22ddcca0c68b8ee70ccb5a41f72aaa986f07bfb2

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