goo blog サービス終了のお知らせ 

先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

伝統儀式、池田の千代田堰堤で 10日にアシリチェプノミ アイヌ民族の「聖地」に開催地移転

2022-09-09 | アイヌ民族関連
北海道新聞09/09 00:15 更新

「アシリチェプノミ」と「十勝いけだ屋市」をPRする小川哲也さん(右)と細川征史社長
 【池田、十勝川温泉】サケを迎えるアイヌ民族の伝統儀式「アシリチェプノミ」が、従来の十勝エコロジーパーク(音更町)ではなく、今年から十勝川の千代田堰堤(えんてい)展望公園(池田町)で行われることになった。主催する実行委や池田町史によると、同堰堤周辺の千代田地区はかつてアイヌ民族が豊漁を願って祈りをささげた「聖地」。10日は、その聖地に移って初の伝統儀式となる。
 アシリチェプノミは、初秋に川を遡上(そじょう)するサケを捕獲し、カムイ(神)に感謝の祈りをささげる儀式。
 池田町史によると、十勝川に戻ってくるサケは古くからアイヌ民族の食生活を潤してきた。毎年春には同堰堤に近い千代田の沢に祭壇を作り、豊漁を祈った。このため十勝管内のアイヌ協会などは2018年、サケを迎える儀式を十勝川温泉に近い十勝エコロジーパークで復活させた。
 一方、千代田堰堤では、昭和30年(1955年)代初頭から「あきあじ祭り(別の表記もある)」が行われていた。アイヌ民族の伝統儀式が千代田で行われたことなどに町が着目した催しで、サケの供養祭、網引きの実演、あきあじ音頭、舞踊が主な内容だった。現在は行われていない。
 実行委はこうした経緯からアシリチェプノミ復活5年目の今年、会場を十勝川の千代田堰堤展望公園に移すことを決定。1974年に同公園で8万人を集めた「あきあじ祭り」の復活を目指すことにしたという。実行委員長で本別アイヌ協会会長の小川哲也さん(50)は「千代田堰堤展望公園は環境が整備され、場所として申し分ない。アシリチェプノミが、ゆかりの地で伝承できれば先祖も喜ぶと思う」と話す。
 アシリチェプノミは午前10時開始。カムイノミ(神へ祈る儀式)、帯広カムイトウポポ保存会による伝統舞踊、アイヌ料理(サケの汁物)試食会と続き、正午まで。入場、観覧、試食などはいずれも無料。会場では池田産品のブランド化などを進める会社、十勝いけだ屋(細川征史社長)が「十勝いけだ屋市」を午前10時~午後2時に開き、キッチンカーなど4店舗が出店する。問い合わせは、いずれも十勝いけだ屋、電話015・572・2323へ。(椎名宏智)
◆アシリチェプノミの「リ」と「プ」は小さい字
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/728268/

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<空想の森映画祭 プログラム紹介>上 17日 アイヌ民族問題を特集

2022-09-09 | アイヌ民族関連
北海道新聞09/08 05:00

アイヌ民族の着物のファッションショーを行う小川さん(映画祭実行委提供)
 【新得】「第25回SHINTOKU空想の森映画祭final」(実行委、北海道新聞帯広支社共催)が17~19日、町内新内の新内ホールで開かれる。最終年となる予定の今回は、アイヌ民族の特集や映画監督原一男さんらの作品、映像リポートの計9作品が上映される。主なプログラムを1日ずつ紹介する。
☆1日目(17日)
 ◇映画「八十五年ぶりの帰還 アイヌ遺骨 杵臼コタンへ」(藤野知明監督、2017年、25分)=午前10時
 北大医学部の研究者によって日高管内浦河町の杵臼共同墓地から持ち去られた遺骨12体と副葬品が、親族の訴えによって返還され、再埋葬されるまでを追った。親族が求めた北大学長との面会を断られた場面や和解後の記者会見の様子も撮影されている。
 ◇映画「カムイチェプ サケ漁と先住権」(藤野知明監督、20年、93分)=午後1時半
 道の許可を得ずに河川でサケを捕獲したとして紋別アイヌ協会長らが道警に書類送検された問題に迫る。「サケ漁は先住民族であるアイヌ民族の権利」と主張する会長らが紋別市内の河川で捕獲を試み、規制に基づき許可申請を求める道などとのやりとりを描く。
 ◇ファッションショー「ピリカ・スウォプ」=午後5時
 日高管内浦河町出身で、札幌の「アイヌ文化伝承の会・手づくりウタラ」主宰の小川早苗さんが手掛けたアイヌ民族の着物を、モデルが着て披露する。
(伊藤圭三が担当し、3回掲載します)
※カムイチェプの「プ」、ピリカ・スウォプの「リ」と「プ」は小さい字
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/727692/

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二風谷の沙流川整備へ 平取町と国 「かわまちづくり」登録

2022-09-09 | アイヌ民族関連
北海道新聞09/08 05:00

室蘭開発建設部の篠宮章浩部長(左)から登録証を手渡された平取町の遠藤桂一町長
 【平取】河川を生かした地域振興を支援する国土交通省の「かわまちづくり支援制度」に、町二風谷の沙流川周辺を整備する町の「かわまちづくり計画」が登録された。多くの人が集う水辺空間を目指し、町と国が整備を進めていく。
 支援制度は2009年度に始まり、道内では現在21カ所が登録されている。
 同町では09、16の両年にも登録を受け、町本町の沙流川右岸にアイヌ民族の民具などに使うガマやヨシを栽培したり、国の「重要文化的景観」に選定されている沙流川を見渡すことができる計5カ所の「視点場」を整備したりしてきた。
 今回は、町二風谷の広場「二風谷コタン」の近くを流れる沙流川の左岸約500メートルの水辺を整備する計画。国は二風谷コタンから川辺までの遊歩道や、周辺の老朽化したコンクリート製の人工護岸などを改修する。町はアイヌ工芸などの素材となる植物を川辺に植える予定だ。来年度に設計を行い、24年度に着工し、27年度の完成を目指す。
 登録は今年8月9日付で、同30日に町役場で登録証の伝達式が行われた。室蘭開発建設部の篠宮章浩部長から登録証を手渡された遠藤桂一町長は「昔から沙流川はアイヌ文化を伝え、産業の基盤となってきた。川を身近なものとして、町づくりに活用していきたい」と話した。(杉崎萌)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/727656/

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

向原高生がアイヌ民族の言語や文化学ぶ 人権教育研究指定校

2022-09-09 | アイヌ民族関連
中國新聞2022/9/8

アイヌ語やアイヌ文化について講演で紹介する関根さん
 母方の祖父がアイヌ民族でアイヌ語・文化発信者の関根摩耶さん(23)=横浜市=が、広島県安芸高田市向原町の向原高で講演した。県教委の主催。同高は本年度の人権教育研究指定校で、全校生徒約70人が聞き入った。
残り455文字(全文:557文字)
このページは会員限定コンテンツです。
https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/212119

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カナダ刃物襲撃事件、もう1人の容疑者も死亡 車で逃げ拘束後

2022-09-09 | 先住民族関連
BBC2022年9月8日
カナダの警察は7日、住民が次々と刺され10人が死亡、19人が負傷した事件で、逃走していた容疑者を拘束したと発表した。また、この容疑者が拘束後まもなく死亡したと明らかにした。
警察によると、7日午後3時半ごろ、マイルズ・サンダーソン容疑者(32)をサスカチュワン州ロスサーン町で拘束した。
拘束現場で撮影された映像には、白色のSUVタイプの車両が道路脇に止まり、警察車両がそれを取り囲んでいる状況が映っている。
ソーシャルメディアに投稿された信ぴょう性が不確実な映像には、幹線道路の脇で同容疑者が警察に逮捕される様子が映っている。警察が容疑者の車両だとしていた、白のシボレー・アバランチに似た車も映っている。
警察によると、同容疑者は盗んだ車両を時速150キロで運転し逃走。警察は車両をぶつけ、同容疑者の車を道路の外に押し出したと話した。車内からはナイフ1本が見つかったという。
同容疑者は、拘束後まもなく、「医学的な機能不全」に陥り、病院に運ばれたが、死亡が確認されたという。
詳細は明らかにされていない。匿名の当局者は先に、サンダーソン容疑者は自傷行為によるけがが原因で死亡したと述べていた。
住宅に侵入し車奪ったか
カナダ王立騎馬警察(RCMP)サスカチュワンのロンダ・ブラックモア警視正は7日夜、「今夜、この州の誰もが安堵(あんど)のため息をついている」と語った。
ブラックモア氏によると、警察は7日にサンダーソン容疑者に車を盗まれたとの通報を受けた。車の所有者にけがはなかったという。
カナダ放送局CBCニュースによると、サンダーソン容疑者は7日午後2時頃、農村部の住宅の敷地に侵入した。この家の女性は、同容疑者が玄関に向かって歩いてくるのに気づき、玄関の鍵を閉めて寝室にあるバスルームに避難したと、女性の息子は語った。
同容疑者は玄関のドアを蹴破って寝室に入り、傷つけないから一緒に来るよう女性に求めた。しかし女性はこれを拒否したという。
女性の息子によると、同容疑者は車の鍵や携帯電話、水などの飲み物、たばこを持ち去った。女性は固定電話を通じて警察に通報したと、CBCは報じている。
3州にまたがった捜索はこれで終結した。警察はすでに同容疑者を、第1級殺人、殺人未遂、住居侵入の疑いで訴追している。
https://www.bbc.com/japanese/62830116

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

先住民に医療教育実施 保健省がケソン州で

2022-09-09 | 先住民族関連
日刊まにら新聞2022.9.8
保健省はケソン州に住む先住民族「ドゥマガット・ラモンタドス」に医療教育プログラム実施
 保健省のカラバルソン地域事務所はこのほど、より多くの先住民が医療関連の仕事に就き、自身の生活圏の発展に貢献できるよう、特別教育プログラムを実施してい...
この記事は会員限定です。
https://www.macnila-shimbun.com/category/society/news266413.html

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【レビュー】場所と人間の切り離せない関係 「サリー・ガボリ展」キュレーター・嘉納礼奈

2022-09-09 | 先住民族関連
美術展ナビ2022.09.08

80才を過ぎて画業をスタートさせたオーストラリア先住民(アボリジニ)の画家サリー・ガボリ(1924-2015)の個展が11月6日(日)まで、パリ14区のカルティエ財団現代美術館で開催されている。晩年の9年間を創作活動に費やし、2000点以上の絵画を制作したガボリ。オーストラリア国外初の個展となった同展では、約 30 点の絵画が展示されている。アボリジニの伝統的な考え方は継承しつつも、いわゆる「先住民アート」の絵画様式とは異なる、地図とも気象図ともまたは心象風景とも言えるような独自の作風が話題を呼んでいる。
ガボリは1924年、オーストラリア北部クイーンズランド北西部カーペンタリア湾に浮かぶベンティンク島に暮らす先住民、カイアディルト族に生まれた。カイアディルト族はヨーロッパからの入植者と接触するのが遅かった部族で、ガボリの家族も漁猟など自然の資源や環境に頼ったカイアディルト族の伝統的な暮らしを送っていた。ガボリは、部族の他の女性と同じように漁のための罠や、手編みの漁網を作っていた。
1940年頃より、キリスト教宣教師たちはカイアディルト族のモーニントン島(ベンティンク島の北側に位置)への移住を促す。1948年には、サイクロンと高潮が相次いでウェルズリー諸島南部を襲い、ガボリやその家族を含む部族の人々は移住を強いられた。当初、一時的だと考えられていた移住地での避難生活は40年以上にもわたり、彼らの文化や伝統と切り離された暮らしを送ることとなった。その後、先住民の権利獲得のための闘争を経て、1994年クイーンズランド州政府が領土の一部をカイアディルト族に返還。 ベンティンク島のニーニルキに居住地「アウトステーション」が設立され、ガボリと夫パット・ガボリを含む長老たちのグループが断続的に島に戻って生活する。 しかし、医療と経済的支援が不足していたため、グループは 2000 年代に居住地を離れ、モーニントン島に永住することとなった。
2005年、モーニントン島の高齢者施設で暮らしていた80才のガボリは、作業療法の一環として初めて絵を描いた。アート&クラフトセンターで開催されていた先住民ラルディル族の男性たちの絵画クラブでの出来事であった。1980年代後半以前は、「先住民アート」と呼ばれる枠組みの一環においてさえ、アボリジニの女性がキャンバスや樹皮、絵の具などの画材を提供されることはごく稀であったという。
生まれた場所と先祖のトーテムにより人々の名前を付けるカイアディルト族の伝統社会。場所と人間は切り離せない関係で結ばれている。ガボリは、部族や先祖、家族にとって大切な場所を描いた。ガボリの絵画は先祖から受け継いだ土地の風景画であり、陸、海、空を表す地図でもあり、そこで起こる気象現象を描いた図でもある。また、それらの場所に関連づけられた人々のポートレートでもある。
父の土地:トゥンディ
ベンティンク島北部にあるトゥンディという場所に関連した作品群は、サリー・ガボリの父の生誕の地と関係している。白で塗りつぶされている部分は、砂地の波紋、河口で泡立つ水、浜辺に打ち寄せる小さな波、高潮による浸水などを表現しているという。
初期の頃は小さなキャンバスに取り組み、細いブラシとアクリル絵の具を稀釈せずに用いた。下層の絵の具が完全に乾く前に、素早いジェスチャーで次々とブラシストロークを加えていき、色、トーンを変更していく。
カイアディルト族の女性たちとの共同作品
2007年からは、生まれ故郷への帰還に触発されて、より大きなキャンバスの上に先祖の大切な場所を描く。また、姉妹や姪を含む他のカイアディルト族の女性たちと共同で長さ 6 メートルの巨大な作品を制作した。共同で描かれた大作の一つのテーマであるマカルキは、ベンティンク島の北岸にある狩猟場で、サリー・ガボリの兄に関連する場所でもある。アルフレッド王と呼ばれるガボリの兄は、モーニントン島に移住する前のカイアディルト族のコミュニティの主要なリーダーであった。
女性たちの共同作品は、個々人の先祖代々の場所への深い愛着を部分的に体現しつつ、なおかつ画面全体の表現として一体を成している。移住前にベンティンク島で生まれ、部族の言語を話す最後の世代である彼女らは、絵画表現を通して重要な文化の語り部となっている。
島の創造と最愛の夫の物語:ディバーディビ
ガボリが最も頻繁に描いたのは、ディバーディビという場所。記憶を辿りながら、画面上にその風景を描き出す―塩原、河口、岩の尾根、マングローブ、川、サンゴ礁、漁の罠。ディバーディビは、島の創造の物語と、ガボリの最愛の夫であるパット・ガボリを象徴する。島の創造の物語では、「岩タラのご先祖様」として知られている《ディバーディビ》が“ひれ”で地球を掘り、いくつかの小島を作りウェルズリー諸島を形成したと伝えられている。島の創造の物語は、《ディバーディビ》が閉じ込められて食べられてしまったスウィアーズ島(ベンティンク島の東に位置)で終わる。 岩タラの肝臓だけが崖のふもとに捨てられ、そこで新鮮な水源に生まれ変わったと伝えられている。この《ディルバーディビ》の創造の物語は、約 6000 年前に起こった湾岸の水位上昇により、ベンティンク島が本土や他のウェルズリー諸島から切り離された気候現象を語っている。ガボリの夫であるパット・ガボリはこの物語と先祖に関連する場所の後継者として、《ディバーディビ》のトーテム名を受け取った。
2011年、クイーンズランド州最高裁判所は、ガボリに《ディバーディビ・カントリー》 (2008) を拡大した壁画の制作を依頼した。 2 世紀以上にわたってカイアディルト族の権利を認めていなかった法制度の象徴が、今やカイアディルト文化に対する理解や敬意にとって変わった。
故郷の島への帰還:ニーニルキ
島の南東部の海岸にあるニーニルキには、スイレンが散らばる淡水のラグーンがある。川や小川の支流が主水路から離れて流れが変わるところにできる水溜りは、オーストラリアの風景の典型でビラボンと呼ばれている。
さまざまな青の色合いの海は、カイアディルト族によって島の海岸に沿って築かれた低い石の壁からなる巨大な漁の罠によって分割されている。これらの罠のメンテナンスを担当していたガボリ。このモチーフは、絵画に何度も登場するが、ほとんどの場合、明るいパステルカラーと対照的な太い黒い線と形で表されている。
ニーニルキは、「アウトステーション」という一時的に故郷の島に戻ることができる居住地があった場所。ガボリは家族と一緒に来ては、若い世代にカイアディルト族の知識を伝え、先祖とのつながりを再構築できるようにした。
ガボリは、先住民アートの図式表現の伝統とは異なる手法で、部族とその先祖の土地をめぐる生命の切っても切り離せない関係を描いた。現代美術とも、先住民アートとも、抽象とも具象とも言い切れない表現。ガボリが80才の時、キャンバスの上に堰を切ったように絵の具が流れ出した。これまでの自身と部族の仲間の長年に渡る避難生活の苦難を克服すべく、絵画を先祖代々の大地と部族の物語、そこにまつわる人々に捧げた。(キュレーター・嘉納礼奈)
https://artexhibition.jp/topics/news/20220906-AEJ970602/

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新疆ウイグル自治区 国連機関が人権侵害を認定…問われる国家の品格

2022-09-09 | 先住民族関連
RKB2022-09-08
国連人権高等弁務官事務所が、中国・新疆ウイグル自治区の人権問題を取り上げた報告書を公表した。現地のウイグル族らに対する中国当局による弾圧を事実として認め「深刻な人権侵害が続いてきた」と断定した。東アジア情勢に詳しい、飯田和郎・元RKB解説委員長は、RKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』で、この報告書のポイントと、それに対する中国特有の反応について解説した。
中国当局による人権侵害を断定した報告書
国連人権高等弁務官事務所はスイスのジュネーブに本部がある。そこが8月31日、中国新疆ウイグル自治区の人権問題を取り上げた報告書を公表した。報告書は英文で48ページ。ひと言で表現すると、「新疆ウイグル自治区では過去も現在も、対テロ戦略の名前のもとに『深刻な人権侵害』が起きてきた」としている。
 詳しく見ていくと、中国当局がウイグル族など少数民族を、再教育施設と称する場所へ収容してきたことについて、「国際犯罪、特に人道に対する罪を構成する可能性がある」と断じている。
 また、2017~19年には、本人の意思とはかかわりなく、収容者が拘束され、その施設内において「電気棒で殴られたり、女性がレイプを含む性的暴力を受けたりするなど、拷問や虐待が行われていた」との証言がある。その証言について「信頼性がある」と認めた。「恣意的な自由の剥奪」「非人道的な処遇があった」と断定している。
 1948年に国連第3回総会で採択された世界人権宣言は、「すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準」を定めた。人権宣言は、この「恣意的な自由の剥奪」を禁じている。中国は世界人権宣言に反している。
 その再教育施設にはどのような人たちが、なぜ収容されてきたのか。報告書は「正当な抗議や宗教活動、またイスラム教徒の文化や習慣(たとえば男性が長いひげを生やしたりする)など、つまり、暴力と関係のない行為も、ウイグル族らへの取り締まり、施設に収容する理由にしている」と非難している。
 アメリカ政府などは収容された少数民族の数を100万人以上と推定してきた。報告書は、拘束された人々を解放し、国際的な人権基準に沿った法制度に見直すことを求めた。国連の機関が独自の調査にもとづき、戦争犯罪などに並ぶ国際法上の重罪のおそれにまで言及した意味は大きい。
習近平政権が進める「宗教の中国化」
中国はなぜ、このような強硬な少数民族政策、宗教政策を進めるのだろうか?キーワードは「宗教の中国化」だ。中国の憲法も「信仰の自由」を保障している。ただし、習近平政権になってから、いわゆる「宗教の中国化」つまり、共産党に対する忠誠を、信仰より優先させるべきだとしてきた。
 その支えとなる法律として、「国家安全法」「反テロ法」を次々とつくった。再教育施設は、これら法律ができた後に新疆ウイグル自治区各地に建設された。治安維持のためのこれら法律を根拠に、当局が強大な権限を振るってきた。
報告書に対する国際社会の評価は二分
ところで、新疆ウイグル自治区における人権弾圧といえば、今年5月に国外メディアで一斉に報道された、中国の内部文書、通称「新疆公安ファイル」が記憶に新しい。中国政府のコンピューターに、外部からアクセスしたもので、少数民族政策に関する文書や、幹部が指示した発言内容、再教育施設の収容者や内部の写真とみられる資料が大量に流失した。
 今回の報告書は、事実を認定するにあたって、毎日新聞が報じたこの内部資料に加え、公式文書や統計を精査。当事者26人への聞き取りも繰り返した。
 国際社会は、この報告書をどう評価しているのだろうか。ニューヨーク・タイムスによると、国際人権団体「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」の中国担当ディレクター、ソフィー・リチャードソンさんは、この報告書を「北京の嘘、ウイグル人へのおぞましい扱いを明らかにした」と評価した。
 一方で、前向きに評価しない見方もある。報告書を発表した国連人権高等弁務官事務所のトップはミチェル・バチェレさん。南米チリの出身で、チリの大統領を務めた女性だ。高等弁務官としての彼女の任期は今年の8月31日だった。この中国の人権問題に関する報告書が出たのは、本部のあるスイス時間の8月31日深夜11時46分。退任の14分前だった。
 このタイミングに対し、人権問題に敏感な欧米のメディアの中には「弱腰だ」と批判的な論調もある。国連が中国に気を遣ったり、中国との摩擦を避けたりしたのではないかとしている。 
しかし、国連の難しい立場も分かる。バチェレ弁務官は今年5月、現地を視察したが、中国から行動を制限され、現地での滞在はたった2日間。調査は不十分に終わった。実は、中国は報告書を発表しないよう圧力をかけていた。そういう中で、今回の報告書公表は、国連の権威が最低限、保たれたと言える。
品格に乏しい中国スポークスマンの反論
報告書発表の数時間後、北京時間の9月1日、中国外務省のスポークスマンが、この報告書を強く非難している。「アメリカや一部の西側勢力によって計画され、つくり上げられたもので、完全に違法であり、無効だ」「偽りの情報を寄せ集めたものだ」と言い放った。ただ、私はスポークスマンの次の発言部分に注目する。
「正義をつかさどる60以上の国々が、連名で、国連人権高等弁務官事務所に書簡を送り、この虚偽の報告書に反対した」 
「およそ1000の非政府組織=NGOや、新疆ウイグル自治区の各界の人々が、弁務官事務所に、異議申し立ての書簡を送った」
実際に、反対の書簡を送った国々は、中国の要請で行動している。その多くが、自分たちもさまざまな人権問題を抱え、欧米から非難されている。その一方で、中国から経済支援を受けている途上国だ。中国は周到な準備をしてきたのだ。
 スポークスマンは同じ会見で、こう反撃している。
「インディアンなど先住民族へのジェノサイド(大量虐殺)、強制連行を伴う奴隷制度や人身売買、組織的な人種差別、銃を使った多数の市民殺傷…。国連人権高等弁務官事務所が、真に懸念すべきは、アメリカや西側勢力が行われてきた事案である」
欧米、特にアメリカで起きたことを並べ、皮肉っている。スポークスマンの反撃は、ここで紹介するのも憚られるほど、口汚いものも並ぶ。自らを大国と称し、国連常任理事国の立場にある国としては、品格の乏しさも感じざるを得ない。
 また、中国は一貫して「国連中心の国際秩序づくり」を主張してきた。激しい口調で強弁すれば、するほど従来、重視してきた国連の機関から厳しく批判されたことによる衝撃の大きさがわかる。
 ただ、報告書には中国に対する強制力はない。中国も自らの間違いを認めることはしない。少数民族に対する、著しい人権侵害は今後も、改善される見込みはない。
 その中国では、5年に一度の共産党大会が10月16日から始まる。少数民族に、また近年では香港に対しても、人権侵害という強権的な手法を進めてきた習近平氏が、この党大会を経て、異例の3期目に入ることが決まる可能性が高い。国連安保理の常任理事国にふさわしくない、また責任ある大国と言えない隣国のリーダーと、日本は付き合い続けないといけないということでもある。
飯田和郎(いいだ・かずお) 1960年生まれ。毎日新聞社で記者生活をスタートし佐賀、福岡両県での勤務を経て外信部へ。北京に計2回7年間、台北に3年間、特派員として駐在した。RKB毎日放送移籍後は報道局長、解説委員長などを歴任した。
https://rkb.jp/article/135596/

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

“写真の町”北海道東川町がふるさと納税で映画づくり 映画「カムイのうた」撮影中  

2022-09-09 | アイヌ民族関連
ファンファン福岡2022.09.07
「アイヌ神謡集」の著者、知里幸恵をモデルにした映画「カムイのうた」の製作が7月から始まりました。明治期に生まれた知里幸恵は、アイヌだからという理由で差別やいじめを受けながらも、文字を持たないアイヌ文化を初めて日本語に訳した「アイヌ神謡集」を完成させ、アイヌ文化の継承と復権に大きな影響を与えました。
目次
* アイヌの言葉を日本語に訳し伝えた女性
* 北海道の大自然の中ロケを敢行
* ふるさと納税で支援を募る
アイヌの言葉を日本語に訳し伝えた女性
 本作は彼女の生涯をモチーフに、明治・大正期、土地や生活を奪われ衰亡の危機にひんしていたアイヌ民族の生き様や伝統、文化を、雄大な北海道の自然の中に描き出します。
北海道の大自然の中ロケを敢行
 7月中旬、アイヌ語で「カムイミンタラ(神々が遊ぶ庭)」といわれる北海道最高峰の旭岳を望む忠別湖畔でロケを敢行。主人公のテル(吉田美月喜さん)が伝統楽器の「ムックリ」を演奏するシーンや、恋人の一三四(望月歩さん)とアイヌ差別について語り合う重要なシーンが撮影されました。脚本も手がけた札幌市出身の菅原監督は「派手さはないが、登場人物の心の揺れが見る人を揺さぶり感動させる。アイヌのために支援したいという全国の人に見てもらいたい」と話します。撮影は年を越えて続き、来年秋ごろに完成の予定。
ふるさと納税で支援を募る
 この映画は全国高等学校写真選手権大会「写真甲子園」で知られる北海道東川町が企画。町へのふるさと納税で個人、企業から支援を募り、映画の完成を目指します。ふるさと納税では、金額に応じて映画のエンドロールへの名前の掲載、無料の上映権利などの特典が用意されています。

撮影現場で右から菅原浩志監督、吉田美月喜さん、望月歩さん
【ストーリー】
 アイヌの血を引く少女テルは、アイヌの子ども達だけが集められた「土人学校」に通っていた。学業優秀なテルは進学を希望するものの、アイヌであることを理由に不合格となる。叔母エンネッコンが歌い聞かせるアイヌの口承文芸ユカラに心癒されるテル。ある日、アイヌ語研究の第一人者・兼田教授が東京からやってきた。教授はアイヌ語と日本語が話せるテルに、ユカラを文字で残すことを勧める。テルは文字を持たないアイヌ文化を文字にして残すことは大切なことと感じ、上京を決意する。二度と故郷に戻れない運命を知らずに…。
映画「カムイのうた」
監督・脚本:菅原浩志
出演:吉田美月喜、望月歩、阿部進之介、島田歌穂、加藤雅也
https://fanfunfukuoka.nishinippon.co.jp/79528-2/

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無縁納骨堂の先祖の霊慰める【日高】

2022-09-09 | アイヌ民族関連
日高報知新聞2022.09.07
【日高】日高アイヌ協会(門別初男会長)主催の令和4年度無縁佛供養祭・アイヌ文化交流会が4日、富川西1の富川生活館で開かれ無縁納骨堂に眠る先祖の霊を慰めた。
 来賓は北海道アイヌ協会大川勝理事長、大鷹千秋日高町長をはじめ、町議会議員9人など50人が出席した。
 日高地区では、町内に点在していたアイヌ系住民の無縁墓地が長年にわたる近接地の自然変化や開発などで荒廃したままになっていたことから、旧門別町・北海道・社団法人北海道ウタリ協会(現在の公益社団法人北海道アイヌ協会)ほか、関係機関の協力を得て無縁墓の改葬事業を1989年度(平成元年度)から継続実施。富川高台墓地内に無縁納骨堂が93年に建立されて以来、5115体の御霊が安置されている。
 大鷹町長は「これまでいろいろなことがあったが、これを契機に日高アイヌ協会が北海道アイヌ協会の一員として活動していってほしい。アイヌ文化伝承の道をつけていきたい」とあいさつ。
 澤田一憲さんを祭司、大川勝さんを副祭司にお神酒を神に捧げ、始めを告げる儀式(カムイノミ)、会館の裏手に設けられたヌサ(祭壇)の前で礼拝(ヌサオンカミ)、供物をヌサ前に運び先祖供養を行う(イチャルパ)を行い、最後に終わりを告げる儀式(カムイノミ)を行い終了した。
 アイヌ文化交流会では静内民族文化保存会の10人と鵡川アイヌ文化伝承保存会の13人が、それぞれその地に伝わる古式舞踊を披露し、最後に合同で古式舞踊を踊った。
 鵡川アイヌ協会の小沢悦子さんは「息子の妻に誘われて出席した。カムイノミを久しぶりに見ることができ、懐かしく、先祖供養も見られ良い一日になった」と話した。

澤田さんが祭司を務め たカムイノミ
http://www.hokkaido-nl.jp/article/26453

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

デビュー50周年。『JIN−仁−』の作者が稀有な漫画家である理由 漫画家村上もとかインタビュー

2022-09-09 | アイヌ民族関連
現代ビジネス編集部 2022.09.08
漫画家デビューから50年、いまだに現役漫画家として連載を続けている村上もとかさん。その半世紀の軌跡をたどる原画展「村上もとか展」が、東京大学弥生門の目の前に建つ弥生美術館で開催されている(展示は9月25日〔日〕まで)。昭和40年代からの数々のヒット作の生原稿、関連グッズが展示されているのだが、圧倒されるのは、半世紀の間に描かれた作品のバラエティの豊富さだ。カーレースのF1、剣道、登山、ボクシング、日中の近現代史、幕末、医療、アイヌ民族、満州、少女漫画……。はたして村上さんは、なぜこれほど多様な題材に挑み、どのようにしてそのストーリー世界を構築していったのだろうか?
『赤いペガサス』『六三四の剣』『龍-RON-』……
村上もとかさん(71歳)は、昭和47(1972)年に『燃えて走れ』(週刊少年ジャンプ)でデビュー。以来50年、メジャー漫画誌に間断なく連載を続け、多くのヒット作を世に送り出してきた。
50代以上の昭和世代の漫画ファンなら、週刊少年サンデーに掲載されたF1漫画『赤いペガサス』やテレビアニメにもなった剣道漫画の大ヒット作『六三四の剣』、山岳漫画の名作『岳人(クライマー)列伝』に夢中になったはずだ。
平成になると、迫力満点のボクシング漫画『ヘヴィ』、日中の近現代史を壮大なスケールで描いた大河ロマン『龍—RON−』、現代の医者が動乱の幕末にタイムスリップするという医療サスペンスの傑作『JIN−仁−』、少女漫画界で活躍した満州育ちの女傑を描いた伝記漫画『フイチン再見!』など、青年誌にも活躍の場を拡げ、話題作を連発する。『JIN-仁-』はドラマ化作品も大ヒットし、コロナ禍での再放送も高視聴率を上げた。
そして、令和の現在は、幕末の大坂を舞台にアイヌの血を引く医師の活躍を描く『侠医冬馬』をグランドジャンプに連載中で、古希を越えてもますます元気だ。
世界を席巻する日本漫画界には、大ヒット作を生み出した漫画家はそれこそ星の数ほどいる。だが、村上さんのように太く長く活躍し続けている漫画家はそうはいない。
村上さんが、最初のヒット作『赤いペガサス』を描き始めた1977年といえば、手塚治虫さんが、『ブラックジャック』『三つ目がとおる』『火の鳥』を始め6本の連載を抱え、今年の年明けに亡くなった水島新司さんが、『ドカベン』と『野球狂の詩』を連載していた頃だ。
伝説となった漫画家たちの全盛期、同じ土俵で競い合い、50年経った今でも現役バリバリだというのだから恐れ入るしかない。
しかも、村上さんはキャリアが長いだけではない。ずっと漫画の最前線に立ち続けている。そして、描く題材は驚くほど多岐にわたり、全部同じ漫画家が描いたとは思えないほどだ。また、どの作品をとっても、老若男女を問わず夢中にさせるストーリーの面白さには目を瞠るものがある。
改めて、村上さんが50年の間に描いてきた作品群を眺めると、彼が漫画界に残してきた功績はとても大きいことに気づく。日本漫画史における巨星の一人と言ってもいいのではないだろうか。
神官の血を引くせいなのかどことなく雅な雰囲気をまとい、春の風のように穏やかでひょうひょうと生きているように見える村上さん。なぜ50年の長きにわたって、これほど多様で質の高い漫画を世に送り出し続けることができたのか。
武蔵野台地の閑静な住宅街にたたずむ仕事場を訪ねてみた。
何でも描く! それが漫画家
——村上さんは、『赤いペガサス』を描いたときは運転免許を持っていなかったし、竹刀に触れたこともなかったのに『六三四の剣』を、山歩きさえしたことがなかったのに『岳人列伝』を描かれたというのには、ただただ驚きましたが、ご自身がまったく接点がなかった題材をとりあげることが多いのはどうしてなんでしょう?
村上 僕が子供の頃は、漫画家さんというのは何でも描くものだと思っていました。僕が夢中になっていた漫画家さんは、手塚治虫さんにしろ藤子不二夫さんにしろ石ノ森章太郎さんにしろ、みんな冒険ものからSF、時代劇と、様々なジャンルの漫画を描いていました。
何でも描く! それが漫画家というものだと思っていたし、漫画を描き始めたときから自分もそうなりたいと思っていましたから、結果、いろんなジャンルに挑戦することになったんでしょうね。
——知らないジャンルのことを描くときは、いろいろ調べることになると思うのですが、村上さんの場合は、専門家に頼ってしまうと著書に書かれていました。それはどういうことなのでしょうか?
村上 自分が詳しいジャンルのことを描くんだったら、別に専門家に聞く必要はないという方もいると思います。でも、自分は本当に何も知らないから、専門家に一から聞くしかない。で、実際に聞いてみると、自分が想定していた以上にすごい話が聞けるんですよ。
技術的なことはもちろんですが、それ以上に、「なぜあなたはそのことに夢中になったのか」とか、「どんな出会いがあって、そうなったのか」といったことを聞き出せると、そこには必ずドラマがあって、それが漫画のストーリーを作っていくうえで、とても参考になりました。
僕が漫画を描くようになってからは、子供の頃に読んだ漫画のように超人的な主人公が活躍するようなものではなく、もっとリアルな人物の実体験を丁寧に描き込んだほうが、読者が納得してくれるようになっていました。そういう80年代90年代の漫画の風潮と僕のやり方がマッチして、やりやすいところにいたということもあったと思います。
——全く自分と接点がなかった題材の漫画を描こうと取材を始めて、「よし、これで描ける」となるのはどういうタイミングなのでしょうか?
村上 それについては、失敗したケースが思い浮かびますね。
ある題材を描くために取材を進めていたのですが、まだ「どうしてもこれを読者に伝えたい」という核のようなものをつかめていませんでした。でも、編集部の都合で、何月何日号から連載をスタートしなくてはならないということになって、見切り発車してしまったんです。そのときは、連載の最後で苦しみました。
これは、取材の量とか時間の問題ではなくて、「あ、これだ」っていう核みたいなものをつかんで、「もう、これは描くしかない」という気持ちになるまでは描いちゃいけないんですね。
この1枚の絵を描くために始めたシリーズ
——現在、弥生美術館で開催されている「村上もとか展」の展示のなかに、「僕が描きたかったこのシーン」というコーナーがありましたが、この1コマが描きたいがために、この漫画を描いたということはあったのでしょうか。
村上 それをものすごく意識して描いたのは、『岳人列伝』の最初のころですね。
漫画というのは絵ですから。音は出ず、動かず、色もついていない。でも、1枚の絵の中にものすごい言葉や感情が詰まっている。それが漫画の力だと思います。そういう1枚の絵を描くために一つの話を描こうとして始めたのが、『岳人列伝』のシリーズだったんです。
で、シリーズがまとまったところで、講談社から漫画賞をいただいて、編集部からはもっと続けましょうと言われたんですが、もうそのときには、描きたい絵はなかったんですよね。
描きたい絵があったから始めたのに、もうないのに描いたら、ただの山岳ものになっちゃう。山岳もののシリーズをやりたかったわけではないので、あの作品はちょっと描き過ぎたなと思います。最後の方は、「この1枚を描くんだ」というドキドキワクワク感はなくなっていました。
ただ、『岳人列伝』は、自分が漫画家になって、漫画家を続けられるという自信を得た作品ではありました。
デビューした新人の頃は、言われれば何でも描きますって感じで、人気を上げるために「ここは派手にするしかないかな」とか「戦いにするしかないかな」とかいう流れで描いていました。
そうじゃなくて、これを読者に伝えたいというものをしっかり作り込んでいって、それに読者から反響があって、編集さんまでが褒めてくれる。そういうことが漫画家の快感だということを教えてくれたのが、この作品でした。
——村上さんは以前、多くの漫画家は子供の頃に夢中になった漫画や小説、映画などに強く影響を受けているとおっしゃっていましたが、村上さん自身は、どんな作品に夢中になっていたんでしょうか?
村上 やはり、最初は、手塚治虫さんや上田トシコさんの漫画でしたね。
自分で漫画を描き始めてからは、当時の漫画家好きの若者の例に漏れず、永島慎ニさんや宮谷一彦さん始め、「ガロ」系の漫画家さんの作品は夢中になって読みました。「ガロ」は、話はよくわからないけど、ただひらすらかっこいいなあと思って読んでましたが、つげ義春さんからはとても影響を受けました。
つげさんの漫画は、「漫画でこういうことを描くのもありなんだ」と衝撃を受けましたね。高校生の頃でしたが、それまで「漫画とはこういうもの、漫画家とはこういう人」と思っていた概念をぶちこわされました。
つげさんによって、漫画というのはものすごく可能性があるコンテンツなんだということを教えられんだと思います。
——手塚治虫さんや石ノ森章太郎さん、赤塚不二夫さん、藤子不二雄さんたちトキワ荘の世代の頃から、漫画家さんには映画から強い影響を受けている方が多いと思うんですが、村上さんはいかがでしょうか?
村上 僕は映画をそれほどたくさん見ているほうではないと思います。ただ、父が映画を制作する側の仕事をしていたので、撮影所に遊びに行ったりして、作る現場には馴染みがありました。
その現場の面白さ、つまり、偽物の世界、フィクションを作ることの面白さを子供心に感じていましたね。いつか自分もゼロからフィクションを作ってみたいという気持ちはその頃に芽生えていたのかもしれませんね。
「面白い」と言われることにすぐるものはない
——村上さんがデビューしたのが昭和47(1972)年。時代は、昭和から平成、令和と移って、漫画をめぐる環境は大きく変化してきましたが、50年間、漫画を描き続けてきて、一番変わったと感じるのはどんなことでしょうか?
村上 やはりデジタル化でしょうね。今、僕は自宅でひとりで漫画を描いています。これは、デビューしたての新人の頃以来ですかね。まあ、振り出しに戻ったというか。(昭和から平成前半までの漫画制作現場は、漫画家さんがアシスタントと共に仕事場に詰めて共同作業で作品を仕上げていくケースが多かった:編集部注)
背景をお願いしているアシスタントさんとはリモートで繋がっていて、データのやりとりはかみさんがやってくれています。結婚したての若い頃、「もし、売れなくなっても、おれはこれしかできないから、ベタとか手伝ってもらって二人で漫画描いていくことになるけど、いいかな」ってきいたら、「いいよ。よろこんでやるよ」って言ってくれたんです。それをいまやってるみたいなものですね。
僕の同世代の漫画家さんは、紙にペンで描いて入稿するっていう方が多いと思いますが、40代から下の世代は圧倒的にデジタルで描いている人の方が多いでしょう。新人にいたっては、ほぼデジタルじゃないですかね。
――漫画家さんに、漫画を描くうえで一番大切にしているのはなんですかと聞いたときに、キャラクターであるとか、読者を飽きさせないストーリー展開だとか、いろんな答えが返ってきますが、村上さんの場合はどうでしょう?
村上 僕の場合は、自分が面白くて、人も面白いと思ってくれるものを描くということに尽きるんです。ただ、人が面白いと思ってくれるかどうかは、ホントにわからないじゃないですか。
たとえば、若い漫画家さんが描いた人気漫画を読んだときに、その面白さがまったくわからないことがあります。それを面白いと思う人に解説してもらえば、「ああ、そういうことが」と頭では理解できますが、面白いわけではない。
そんな漫画を読んで面白いと思っている自分の孫のような世代の読者に、どうやって目を留めてもらえるか、読んでもらえるか。真剣に悩みますね。
だから、若い編集さんに付いてもらえるとうれしいんです。描いた原稿を見せて、「これ、面白いですか?」「わかりますか?」と真剣に聞きます。「正直に言ってください。あなただけが頼りですから」ってね(笑)。

『侠医冬馬』 アイヌの血を引く幕末の医師が未知の感染症と戦う
© 現代ビジネス
僕が何を描くかといえば、あくまで自分が面白いと思うものを描く。決して仕事だからとか売れそうなものだから描いているわけではありません。
そうして自分が描いた漫画を、読んだ人が「面白い」と言ってくれる。それにすぐるものはありません。反響が悪いときには、自分にまだ何が足りないのかを必死に考えます。
自分が好きなものを描く、それでいいんだという人もいるかもしれませんが、僕はそれじゃ楽しくないんですよ。
「面白かったよ」って言われて、「えっ、ホント」って言いながら、描き上がったときの何倍もうれしくなる。描いてから10年20年経って、もう忘れた頃に、「あれ、面白かったよ」と言われて、飛び上がるほどうれしいこともあります。
それを味わいたくて、これまで描いてきたし、これからもそのために描き続けていくんだと思います。
――では、最後に、漫画を描いてきた50年間で変わらないことはなんでしょう?
村上 うーん、守ってきたのは締め切り(笑)。原稿だけは一度も落としたことはないです。これは、誇れる最大のポイントですね。
子供の頃は、ホントにダメなやつで、学校にはしょっちゅう遅刻するし、失敗すれば、なかったことにしようとする、肝心なときに逃避するようなやつだったんです。だから、漫画家になるときに、このままじゃろくなことにならないと思って、締め切りだけは絶対に守る、言い訳はしないと誓ったんです。
会社勤めをしたことはないし、アルバイトもデビュー前に工事現場や造園の仕事を手伝ったくらいですが、なんとかこの歳まで社会人としてやってこれたのは、なんとしても漫画を描き続けたい、漫画の世界に踏みとどまりたいという思いがあったからなんだと思います。
僕は、漫画を通じて世の中を学ぶしかなかったし、漫画が社会への窓口でした。そういう意味では、漫画は僕にとって、唯一無二の大きな存在ですね。
「デビュー50周年 村上もとか展 『JIN-仁-』、『龍-RON-』、僕は時代と人を描いてきた。」
9月25日(日)まで 午前10時~午後5時(最終入場午後4時30分まで)
休館日 月曜日(ただし、9月19日(月)は開館し、9月20日(火)が休館)
入場料 一般1000円 大・高生900円 中・小生500円
弥生美術館
〒113-0032 東京都文京区弥生2-4-3
03-3812-0012
https://www.yayoi-yumeji-museum.jp
「村上もとか展」にはどうしても行くことができないという方のためには、この展覧会のカタログとして出版された単行本「村上もとか 『JIN-仁-』、『龍-RON-』、僕は時代と人を描いてきた」(河出書房新社)がおすすめです。
「村上もとか展」で、そしてこの本で、村上さん自身の解説を読んでから、改めて、『赤いペガサス』や『六三四の剣』、『龍-RON-』、『JIN-仁-』といった村上作品を読むと、最初に読んだときよりもずっと楽しめるはずです。
https://www.msn.com/ja-jp/news/entertainment/デビュー50周年-jin-仁-の作者が稀有な漫画家である理由-漫画家村上もとかインタビュー/ar-AA11zPfH

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北見の書店で「オホーツクウッドクラフトフェア」 木工食器・日用品販売

2022-09-09 | アイヌ民族関連
みんなの経済新聞9/8(木) 11:42配信

コーチャンフォー内にある売り場の様子
 北見の書店「コーチャンフォー」(北見市並木町)で9月1日、オホーツク管内の5社の木工クラフト製品を集めた「オホーツクウッドクラフトフェア」が始まった。主催はオホーツク森林産業振興協会。(北見経済新聞)
 1986(昭和61)年に「オホーツク木のフェスティバル」として始まった同イベント。2016(平成28)年に「オホーツクウッドクラフトフェスティバル」に改称し、2018(平成30)年からは「きたみ菊まつり」と同時に開かれていたが、コロナ禍の影響で過去2年は中止に。そうした中でも、「オホーツクの良質な木材の良さや事業者の技術力の高さを知ってほしい」という思いから、今年は書店「コーチャンフォー」の売り場の一部を借りて物販イベントとして再開することになった。
 販売する商品は、工房ホリタ(留辺蘂町豊金)の「金太郎と熊」などの季節に合わせた木工装飾品、大雪創木社(留辺蘂町旭東)の「ツボ押し棒」や動物をモチーフにした「靴べら」、橋本工芸(美幌町日の出)のアイヌ模様を取り入れたアクセサリーやシマエナガのキーホルダー、加賀谷木材(津別町緑町)の木工ライトを自作する「木工工作キット」、オケクラフトセンター森林工芸館(置戸町置戸)の「木工食器」「木工カトラリー」など。
 「木の枝を削り出して作った『マドラー』やシマエナガのキーホルダーなどが人気」と話すのはコーチャンフォーのマネジャー、藤川将平さん。「普段使いだけでなく贈り物にも最適なので、同時開催中の地場産食品フェス『きたみ×マルシェ』と一緒に、こちらにも立ち寄っていただければ」と呼びかける。
 北見市商工観光部の前田泰志さんは「エゾマツ・トドマツ・イチイなどに代表されるオホーツク産の木は木目のきれいさや深みのある色合いが特徴。製品の技術力の高さはもちろん、オホーツク圏で産出された銘木の美しさに注目してほしい」と話す。「良質なウッドクラフトの質感や木の温かみを店頭で手に取って確認してもらえたら」とも。
 営業時間は9時~21時。今月30日まで。
https://news.yahoo.co.jp/articles/229606097ed74987a40072daa24f53d808f32039

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

白老の「界ポロト 」ベストデザイン賞に 英国の旅行専門誌 アイヌ建築取り入れた浴場評価  

2022-09-09 | アイヌ民族関連
苫小牧民報9/8(木) 15:09配信

ベストデザイン賞を受賞した「界 ポロト」の△湯(星野リゾート提供)
 星野リゾート(本社長野県軽井沢町、星野佳路社長)が運営する白老町若草町のホテル「界ポロト」が、英国の旅行専門誌が選ぶ「2022年世界のベストホテル42」に選ばれ、ベストデザイン賞を受賞した。国内のホテルでは唯一で、印象的な宿泊体験ができるホテルと紹介されている。
 世界中に読者がいる隔月刊誌「ナショナル・ジオグラフィック・トラベラー」で年1回、旅行ライターや編集者が世界のベストホテルを選んでいる。ロマンチック、雪景色が美しい、魅力的な美食体験ができる―など14の部門を設け、それぞれの上位3施設、計42施設を掲載している。
 デザイン部門の1位に輝いた界ポロトには、円錐状の屋根を持つ浴場「△湯(さんかくのゆ)」があり、丸太を組んだ三脚構造で屋根を支えるアイヌ建築「ケトゥンニ」を基本構造としていることなどが評価された。同誌は「屋根の開口部から日差しが差し込む中、(モール泉の)黒々とした癒やしの湯に漬かることができる」と評している。
 8月に同誌から「△湯」の写真掲載の許可を求めるメールがあり、同社は今月1日、ホームページで受賞の事実を知ったという。ホテルのスタッフは喜びに湧き、総支配人の遠藤美里氏は「大変光栄。界は、その地の文化を大切にする温泉旅館ブランドで、改めて誇りに感じる」と語った。
 デザイン部門の次席には、ザンビアの「チサ・ブサンガ・キャンプ」、フランスの「メイボーン・リビィエラ」の2施設が選ばれた。
 界ポロトは今年1月開業。同社が全国展開する温泉旅館ブランド「界」シリーズの国内で19番目、道内では唯一の施設。設計はアイヌ文化を尊重し、多文化共生を体験できることを目指し、建築家の中村拓志(ひろし)氏が手掛けた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/2fdc3a1ccac3dc7c30be3bab75b23cea31ab28f5

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

豊田・千石公園で3年ぶりに「橋の下世界音楽祭」

2022-09-09 | アイヌ民族関連
みんなの経済新聞9/8(木) 18:00配信

「橋の下世界音楽祭2022」の大トリには、パンクバンド「LAUGHIN' NOSE」が出演した。
 豊田市千石公園(豊田市千石町)で9月2日~4日にお3日間、「橋の下世界音楽祭2022」が開催された。(豊田経済新聞)
 豊田市を拠点に音楽活動を行う「TURTLE ISLAND(タートルアイランド)」「ALKDO(アルコド)」リーダーの永山愛樹(よしき)さんや所属レーベルmicroActionをはじめ、地元有志らで構成する同音楽祭実行委員会が主催・企画した。
 10年前から矢作川に架かる豊田大橋のたもとの千石公園を会場に、投げ銭スタイルで開いてきたが、コロナ禍で3年ぶりのとなった今回は、感染症対策として入場ゲートを設け、事前登録制で参加協力費として2,000円の入場料を徴収するスタイルを取り入れた。
 会場で使う電力は、オフグリッド(電線を使わない)電力供給システムの開発を手がける慧通信技術工業(神戸市中央区)が協力し、河川敷に並べられたソーラーパネルで発電した電力を中心に供給。トヨタ自動車や日産自動車の協力で電動車からも給電した。
 ステージには、永山さんが所属する「タートルアイランド)をはじめ、アイヌ樺太の伝統弦楽器「トンコリ」を現代に復活させたOKIさん率いるアイヌルーツバンド「OKI DUB AINU BAND」、「Jagatara(じゃがたら)2020」など民族音楽を奏でるミュージシャンやフジロックフェスティバルなどの音楽フェスに出演する「T字路s」や折坂悠太さんら、さまざまな音楽ジャンルから総勢60組以上が出演し、3日間にわたり熱演を繰り広げた。
 会場では、音楽に体を委ねリズムを刻んだり、飲食や買い物を楽しんだりする来場者や、木や竹などで作った遊具などが並ぶ子どもゾーンで、無邪気に遊ぶ子どもたちの姿が見られた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/d042b34db0a02e020c8c45e546b915ac838dfd8a

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする