北海道新聞08/31 21:05

名優を前に緊張した面持ちで演技する記者(宮永春希撮影)
【東川】明治、大正期のアイヌ文化伝承者、知里幸恵(1903~22年)の生涯を題材にした町企画の映画「カムイのうた」の撮影が一段落した。7月上旬にクランクインし、旭岳や忠別湖畔を背景に知里をモデルにした女性らの生きざまをカメラに収めた。オーディションに合格した記者(27)も郵便配達役として撮影に臨んだ。
「郵便でーす!」。8月5日に町有形文化財「明治の家」で、紺色の制服に身を包んだ記者は、1通の手紙を俳優島田歌穂さんに手渡した。島田さんは主役テルの叔母役で、「明治の家」はその叔母の自宅という設定だ。「ご苦労さま」と言葉をかけられたら、記者は帽子のつばを少し下げて応じ、次の家に急ぐという演技を求められた。
アイヌ語と日本語に優れた知里は、言語学者の金田一京助(1882~1971年)に見いだされ、上京して金田一の自宅に滞在しながらアイヌ神謡集の出版を目指す。
登別市の「知里幸恵 銀のしずく記念館」によると、金田一と知里は多くの手紙をやりとりしたという。記者が手紙を届ける場面は、金田一が知里に上京を促したことをほうふつとさせる。
撮影は演じ方を決める「段取り」、テスト、本番の順に行う。段取りやテストでは菅原浩志監督とスタッフ、出演者が話し合い細かい動きを決める。記者も立ち位置やドアを開けるタイミングなど、台本に書かれていなかった動きが増えていく。
とうとう出番がやってくる。狭い家の中には監督やカメラマン、音声にその補助など10人以上のスタッフがカメラに写らない位置に控えていた。
記者はそれまでの指示を思い出し、一通りの流れを頭の中で確認してから必死に演じた。監督から目線について指示を受け、スタッフからも手紙を渡す向きを注意された。その後も何度か演技を繰り返し、現場入りから1時間たった4回目でOKが出た。
撮影に向けてひげをそり、側頭の髪を刈り上げた。生まれたときから顔にあざがあるが、メークのスタッフは「当時の人はあざを隠してなかったはず。嫌でなければこのままで」と塗り物はしなかった。ありのままの自分で出演できるのはうれしかった。
夏の撮影は8月上旬におおむね終了。今後は来年1~2月にかけて、石狩市でアイヌ民族がニシン漁に従事するシーンなど冬の場面を撮影し、来年秋の公開を目指す。映画の準備が始まってから1年3カ月、好きな酒を断っているという菅原監督は「スタッフのチームワークに加え、天候が良く天が味方をしてくれた」と順調ぶりを語っていた。(和泉優大)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/724361/
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/bc/5132dd55a7c03143b6c30a6629ca3d04.jpg)
名優を前に緊張した面持ちで演技する記者(宮永春希撮影)
【東川】明治、大正期のアイヌ文化伝承者、知里幸恵(1903~22年)の生涯を題材にした町企画の映画「カムイのうた」の撮影が一段落した。7月上旬にクランクインし、旭岳や忠別湖畔を背景に知里をモデルにした女性らの生きざまをカメラに収めた。オーディションに合格した記者(27)も郵便配達役として撮影に臨んだ。
「郵便でーす!」。8月5日に町有形文化財「明治の家」で、紺色の制服に身を包んだ記者は、1通の手紙を俳優島田歌穂さんに手渡した。島田さんは主役テルの叔母役で、「明治の家」はその叔母の自宅という設定だ。「ご苦労さま」と言葉をかけられたら、記者は帽子のつばを少し下げて応じ、次の家に急ぐという演技を求められた。
アイヌ語と日本語に優れた知里は、言語学者の金田一京助(1882~1971年)に見いだされ、上京して金田一の自宅に滞在しながらアイヌ神謡集の出版を目指す。
登別市の「知里幸恵 銀のしずく記念館」によると、金田一と知里は多くの手紙をやりとりしたという。記者が手紙を届ける場面は、金田一が知里に上京を促したことをほうふつとさせる。
撮影は演じ方を決める「段取り」、テスト、本番の順に行う。段取りやテストでは菅原浩志監督とスタッフ、出演者が話し合い細かい動きを決める。記者も立ち位置やドアを開けるタイミングなど、台本に書かれていなかった動きが増えていく。
とうとう出番がやってくる。狭い家の中には監督やカメラマン、音声にその補助など10人以上のスタッフがカメラに写らない位置に控えていた。
記者はそれまでの指示を思い出し、一通りの流れを頭の中で確認してから必死に演じた。監督から目線について指示を受け、スタッフからも手紙を渡す向きを注意された。その後も何度か演技を繰り返し、現場入りから1時間たった4回目でOKが出た。
撮影に向けてひげをそり、側頭の髪を刈り上げた。生まれたときから顔にあざがあるが、メークのスタッフは「当時の人はあざを隠してなかったはず。嫌でなければこのままで」と塗り物はしなかった。ありのままの自分で出演できるのはうれしかった。
夏の撮影は8月上旬におおむね終了。今後は来年1~2月にかけて、石狩市でアイヌ民族がニシン漁に従事するシーンなど冬の場面を撮影し、来年秋の公開を目指す。映画の準備が始まってから1年3カ月、好きな酒を断っているという菅原監督は「スタッフのチームワークに加え、天候が良く天が味方をしてくれた」と順調ぶりを語っていた。(和泉優大)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/724361/