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アメリカの高校生が東京都、北海道を訪問します!

2023-02-24 | アイヌ民族関連
一般財団法人 日本国際協力センター2023年2月23日 08時41分
東海大学の学生との交流を行うとともに、ウポポイでアイヌ民族について理解を深めます。
カケハシ・プロジェクトのカケハシ・イノウエ招へい第2陣では、米国の大学生等15名を招へいし、東京都、北海道を訪問します。日本を様々な側面から学び、理解を深めて頂くことで、日本のファンを増やします!
米国のNortheastern State Universityの学生は、北海道での学校交流やホームビジットを通して、日本人の生活や価値観への理解を深め、信頼関係を育みます。東京では、国会議事堂等を視察し、Kawasaki Robostageでは最先端技術を体験します。また原宿視察では日本のポップカルチャー等の文化理解を深めます。これらのプログラムを通じて、参加者には日本の魅力を積極的に吸収していただくとともに、広く対外発信していただきます。
なお、本プログラムは、 外務省が推進する国際交流事業「対日理解促進交流プログラム」カケハシ・プロジェクトの一環で行われる招へいプログラムです。また「カケハシ・イノウエ」プログラムは、ハワイ州出身で日系米国人初の連邦上院議員であるダニエル・K・イノウエ議員の名前を冠するプログラムです。イノウエ議員は、第二次世界大戦中に米陸軍に従事して功績をあげたほか、連邦議員として日米親善にも尽力し、名誉勲章を贈られています。
【開催概要】 
名称:対日理解促進交流プログラム カケハシ・プロジェクト「カケハシ・イノウエ招へい第2陣(Northeastern State University)」 
日時:2023年2月22日(水)~3月1日(火) 
対象:米国 Northeastern State University 15名(大学生13名、学校関係者2名) 
使用言語:英語
実施団体:一般財団法人 日本国際協力センター(JICE) 
【日程内容】 
2/22(水)来日
      【オリエンテーション】  
2/23(木)【視察】Kawasaki Robostage
      移動 東京→北海道 
2/24(金)【文化体験】峯光寺(坐禅・書道)
      【学校交流】 東海大学札幌キャンパス
2/25(土)【テーマ関連視察】ウポポイ
               【伝統文化体験】【関係者との交流会】ウポポイ
2/26(日)【ホームビジット】 
2/27(月)移動 北海道→東京
     【視察】増上寺
     【ワークショップ】 
2/28(火)【視察】明治神宮・原宿・国会議事堂視察
     【成果報告会+米日カウンシルとの交流】 
3/1(水)【視察】深川江戸資料館視察、皇居視察
     離日 
【対日理解促進交流プログラム「カケハシ・プロジェクト」事業概要】 
「カケハシ・プロジェクト」は、日本と北米地域との間で、対外発信力を有し将来を担う人材を互いに招へい・派遣する(オンライン交流を含む)、日本政府(外務省)が推進する事業であり、JICEがプログラム企画・運営を受託しています。人的交流を通じ、日本の政治・経済・社会・文化・歴史に加えて外交政策に関する日本についての理解を促進するとともに、未来の親日派・知日派を育成・発掘しています。また、参加者に日本の外交姿勢や魅力等について積極的に発信してもらうことで日本に関する対外発信を強化し、日本の外交基盤を拡充することを目的としています。 
【本件に関するお問い合わせ先】 
一般財団法人日本国際協力センター(JICE) 国際交流部 
お問い合わせフォーム:https://www.jice.org/contact/index.html 
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000265.000074396.html

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忍者の全て詳細に記述 青森大・清川教授ら、論文集を出版

2023-02-24 | アイヌ民族関連
東奥日報2/23(木) 11:00配信

出版記念報告会に臨んだ青森大忍者部3人と清川教授(右から2人目)=22日午後、青森市の青森大学
 日本忍者協議会が定める「忍者の日」の2月22日、青森大学忍者部顧問の清川繁人教授(社会学)らが執筆した論文集「忍者学大全」(東京大学出版会)が出版された。清川教授は「学際的に忍者を研究した初の書籍で、地域史も掘り起こした。手に取って歴史のロマンを感じてほしい」とPRした。
 清川教授は「弘前藩の忍者が担った北日本の治安維持」と題する13ページの論文を執筆。「早道之者(はやみちのもの)」と呼ばれた弘前藩の忍者がたどった盛衰の歴史を紹介した。忍者が南部藩との境界警備のほか、弘前藩が北方警備の任に就いた蝦夷地で諜報(ちょうほう)活動を行った様子を詳細に記述した。
 清川教授は、シャクシャインの戦いなどのアイヌ民族の蜂起は、幕藩体制にとっての危機だったと指摘。北方の安定のため、蝦夷地の気象、地形、民情などを広く調査した弘前藩の忍者が「徳川の平和」を裏から支えた点に言及した。
 同日、青森市の青森大学で報道陣向けの出版記念報告会が開催され、清川教授は、論文を「研究の集大成」と自負。忍者は本県の文化を考察する上でも重要-と強調した。
 同書は清川教授含め40人の専門家が忍者の魅力に迫った。全525ページで価格は税込み8250円。
https://news.yahoo.co.jp/articles/c7163a999d3caed611bce2d7c1cb1151b663b893

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旭川の軌跡描く市民ミュージカル今秋12年ぶりの本公演3月にオーディション劇団「BREATH」

2023-02-24 | アイヌ民族関連
ライナーウェブ2023年2月23日

2010年の特別公演「NEVER…未来へ繋げるものは」
市民ミュージカル劇団「BREATH」の12年ぶりとなる本公演が、11月に旭川と東京で上演されることが決まりました。
演目は「Asahikawa…繋がりゆく魂」。大正12年、生徒の就職の依頼のため樺太へ向かう途中、旭川駅に降り立った宮沢賢治と、「アイヌ神謡集」の著者・知里幸恵の魂が出会う物語で、3月には主要キャストのオーディションを実施します。
BREATHは1996年に発足し、2001年までほぼ毎年オリジナルの新作ミュージカルを発表。その後も、舞台人育成のワークショップや演劇公演などに取り組みながら、旭川の舞台芸術文化を支えてきました。2001年には旭川市の「ななかまど文化賞」を受賞しています。
12年ぶりの本公演に向けて劇団の森ただひろ代表は「自分がミュージカルを執筆するのはこれが最後かもしれないという思いで、『旭川の軌跡』をテーマに選びました。一緒に舞台を作り上げる情熱を持った仲間と出会いたい」と話しています。
オーディションは3月21日(火祝)午後1時30分から、会場は旭川市民文化会館リハーサル室。応募資格は18歳(大学生以上)~50歳。歌(課題曲あり)、ダンス、台詞のチェックを行います。参加無料。また製作スタッフも募集中。
申し込みは、BREATHのホームページから。オーディションに出演できない人は個別面接も実施します。問い合わせは同劇団(TEL.080-9505-8372)へ。
https://www.liner.jp/news/2023022334904/

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ボルネオ島コタキナバルの旅、最終日。民族村や注目のつり橋、川下りでサンセット&ホタル観賞と盛りだくさんでマレーシアのよさを知る

2023-02-24 | 先住民族関連
インプレスウオッチ2/23(木) 8:00配信

写真:Impress Watch
 コタキナバルを視察するプレスツアーの最終日は、サバ州の先住民の文化を学べるマリマリ文化村、撮影スポットとして人気が出始めたタンパルリ村のつり橋、サンセットやホタル観賞を楽しめるテンバラ川のリバークルーズを体験してきたので、その模様をお伝えする。それぞれ市内からクルマで30分~1時間ほどで到着可能な観光スポットだ。
■ ジャングルでサバ州に住む代表的な先住民族の文化を知る
 サバ州には古来から住んでいる先住民がおり、その民族数は30を超える。そのなかでも代表的な5つの先住民族の伝統的な生活様式を再現しているのがマリマリ文化村だ。コタキナバル市内からクルマで30分ほど山の方に向かった奥深いジャングルのなかにある。
 クルマから外に出ると、カメラのレンズが曇るほどの湿気はさすがに雨季といったところ。それでも曇り空で日差しも弱く、しかも木々に覆われていることから、暑さはそれほど気にならなかった。しかし、蚊は襲ってくるので虫よけスプレーは必携といったところだ。
 それと雨季は雨が時折降るので、濡れるのが気になる人はレインコートなどもあるとよいかもしれない。見学者は10~20人くらいのグループに分けられ、それぞれにガイドが付いて英語で案内してくれる。
 この日は展示住居に入るまで待ちが出るなど、かなりの盛況で賑わいを見せていた。最初に案内されたのは床上式の長屋を住居にしているルングス族で、サバ州の先住民族のなかでは4番目に多いそうだ。外ではハチミツの試食、住居のなかでは竹を使った火起こしを実演していた。
 先住民族のなかでもっとも多いのはドゥスン族で、稲作などの農業を生業としており、伝統的に飲まれていたライスワインの製造工程と試飲をさせてくれた。狩りや釣りで生計を立てていたルンダイ族は木の皮を加工し、衣装などに仕立てている様子を見せてくれた。バジャウ族は2番目に大きいグループで、海岸沿いに住み、漁業と農業を営んでいたそうで、住居のなかがとてもカラフルに彩られていたのが印象的だった。
 そして、興味を引かれるというか現代でよかったと思ったのがムルッ族で、最後まで首狩りをしていた民族だ。戦いが始まれば性別関係なくヘッドハンティングの対象とし(子供は除く)、戦果として敵の首級を持ち帰っていたそうだ。さらに結婚する際も勇敢さを認めてもらうために首が必要だったそうで、聞くだけでも身震いする慣習があったと説明してくれた。
 そういった民族の特徴からか、同施設でも住居の周囲などでは奇声で驚かされ、なかでは村長の入村の許可(雨が降っていたからか、いつもは外らしい)が必要。許可をもらうとフレンドリーになり、室内にあるグァバの木で作られた木製トランポリンを使ったハイジャンプのデモンストレーションを見せてくれた。これは誰が優れているのか競うもので、村長選びにも活用されたそうだ。
 村のなかでは随所に当時の食生活を再現した試食コーナーがあり、養蜂で採取したハチミツ、お米を使ったライスワイン、タマネギやジャガイモを刻んで竹筒に入れて焼いた料理、米粉とココナッツで作ったお菓子など、昔ながらの素朴な味も楽しめた。
 村の見学が終わるとステージに移動し、民族舞踊を鑑賞した。それぞれの民族衣装をまとって音楽に合わせて踊り、最後はリズムに合わせて長い竹を打ち付けるなかで踊るバンブーダンスで妙技を披露。駆け足だったがいろいろと盛りだくさんの内容だった。
■ 最近人気上昇中のタンパルリ村のつり橋
 次に訪れたのはマリマリ文化村より北にあるタンパルリ村だ。キウル川沿いにあるコンパクトな村だが、こちらにあるつり橋が最近は人気を呼んでいる(Jalan Bontoi, Tamparuli, 89250 Tamparuli, Sabah)。
 というのも主塔部分に鮮やかな装飾が施されており、景色とともに写真映えするというのが理由としてある。そして、2つの物語もつり橋を有名にしている。
 昔、氾濫を繰り返して橋がすぐに壊れてしまうのは精霊が怒っているせいだとして、美しい少女が人身御供になってその後の橋の倒壊を防いだという話と、身重の女性を助けるために英国人兵士2名が犠牲になってしまったという話だ。それらはつり橋の下にアートウォールとしても描かれている。ちなみにこちらの通行料は無料で、しかも入口ではボランティアのお姉さんが民族衣装で伝統的な楽曲の演奏も披露してくれる。
■ ローカルフードのタンパルリ麺もオススメ
 昼時というのもあったので、ランチはタンパルリ村の中華料理店「Restoran Wun Chiap」(雲集酒家)でいただいた。地元でも人気があるようで、10卓ほどあるテーブルは満席だった。こちらの名物はタンパルリ麺と呼ばれる焼きそばだ。もう少し北にあるトゥアランという町が発祥のトゥアランミーと麺は同じで、具材に違いがあるようだ。
 お皿に盛られて出てきたタンパルリ麺は、卵が入っている縮れ麺に、卵焼きやチャーシューのスライスが混ぜてあった。ほどよい塩加減で味付けされており、モチモチの食感と合わせて自分好みであったことから、あっという間に平らげてしまった。ローカルフード侮りがたし。
■ テンバラ川のリバークルーズでテングザルを探す
 ランチ後に向かったのはテンバラ川のリバークルーズ(89150 Tuaran, Sabah)で、南シナ海に沈むサンセットを鑑賞し、その後は川沿いに生息しているホタルを観察できるアクティビティだ。
 船は河口に近い川幅の広い地点から出発し、マングローブ林を見ながら海に向かう。道中では、昔から漁業を生業としている人たちが住んでいる水上村を遠目に見たり、実際に漁をしている漁師さんに船上から話しかけたりと、熱帯雨林の大自然とそこに住む人々の様子を知ることができる。
 一帯には3種類のマングローブがあり、それぞれが種となる実の大きさが違ったり、咲く花がまったく異なるなど、興味深い話もいろいろと聞くことができた。そして、独特な顔立ちが特徴のテングザルも生息しているということで、船頭さん含めて全員が樹上を血眼になって探してはみたが、残念ながらこの日は会うことはできなかった。
 ゆっくりと河口に移動し、南シナ海に沈むサンセットを堪能したあとは日が暮れるのを待ってから、ホタルが生息しているスポットに移動。暗くなって間もないからか、まだホタルの動きは活発ではないが、スタッフが緑色っぽい光を放つライトを木々に照らすと、つられてポワポワと光り出すホタルたち。
 日本のホタルと違うのは、明滅の速度が早いことだ。1秒ほどの間隔で光る姿はにぎやかで、その様相はこちらでは“クリスマスツリー”とも呼ばれている。時期も特に関係なく一年中見ることができるが、気を付けたいのは蚊の襲撃。虫よけスプレーや羽織るものなどで対策をしていないと、あっという間に取り囲まれてうれしくない歓迎を受けることになる。
■ コタキナバル市内でスープバクテーとドライバクテーを味わう
 最後にこの日の夕食にいただいたバクテーを紹介しよう。バクテー(肉骨茶)はマレーシアの古都であるクラン発祥の肉料理。イギリスの植民地時代に中国から渡ってきた港湾労働者のために、安く手に入る骨付き豚肉や内臓肉を漢方で使われる生薬をスープに加えて煮込んだものを提供したのが始まりと言われている。
 今回訪れたのはコタキナバル市内に2020年8月にオープンした「Kee Hiong Kota Kinabalu」(奇香肉骨茶)で、他店ではあまりお目にかかれない、煮詰めたようなドライバクテーもあるお店だ。筆者はバクテーを初めて食べたのだが、スープの方は意外にもそれほどクセもなく、生薬とスパイスの配合が絶妙なのかお肉もスープもなかなかの美味。ご飯と一緒に出された揚げパンをスープに浸して食べるといい感じだった。店や地域によっては、もっとコショウが効いたパンチのあるテイストもあるそうだ。
 もう一方のドライバクテーは、ピリ辛仕立てのお醤油を感じられるテイスト。見た目よりは味もそれほど濃くなく、ご飯と一緒に食べると幸福感で満たされた。どちらかというとこちらが好みで、日本でも食べられないか、帰国してからいろいろと検索してしまった。マレーシアフード、クセになりそうでおそるべし。
■ 短時間だがコタキナバルを楽しめた3日間
 帰りはコタキナバルを0時50分に出発するマレーシア航空のMH80便で、成田に7時20分に到着するスケジュール。深夜便なので、帰国最終日も夜まで存分に観光を楽しめるのがメリットだ。機内では離陸して約1時間後に食事が提供されるので、5時間30分のフライトのうちその日の状況によるが4時間程度は眠ることが可能だ(筆者は2時間ほど眠ることができた)。体力に自信があれば、そのまま仕事に出向けるかもしれない。
 マレーシアは今回初めての訪問だったが、自然が多く、東南アジアのなかでも特に文化が上手に融合した国であると感じた。街中ではムスリムの人も多く見かけるし、モスクもある。その一方で、中華系のお店ではお酒が飲めるし、イギリス統治の名残で車線は左側通行であるなど、日本人にとっても過ごしやすい国であることは間違いない。
 そして何と言っても、お財布に優しいのは特筆できる点だ。ホテルを検索しても高級ホテルが驚くような料金だし、街中の食堂もとてもリーズナブル。ジャングルの街と勝手に想像していたコタキナバル市内は都会で便利で過ごしやすかったので、気軽にブラブラと市内観光も楽しめそうだ。機会があればキナバル山周辺も訪れてみたい。
トラベル Watch,野村シンヤ
https://news.yahoo.co.jp/articles/747d96587a9a09da84fd88a1db78bda8e8815987

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バイデン大統領とルーラ大統領、気候変動と民主主義強化の対策協力で合意

2023-02-24 | 先住民族関連
ESGジャーナル2023/2/23
2月10日、米国のジョセフ・R・バイデン Jr.大統領とブラジル連邦共和国のルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルバ大統領がワシントン D.C.で会談した。会談において両首脳は、米国とブラジルの関係が極めて重要かつ持続的であることを再確認するとともに、民主主義の強化、人権尊重の推進、気候危機への対応が引き続き共通の課題の中心であることを強調した。
バイデン大統領とルーラ大統領は,米州における2大民主主義国の指導者として,民主主義制度の強化のために協力することを誓い,2023年3月に開催される第2回民主主義サミットを歓迎した。 両首脳は、政治における過激主義及び暴力を引き続き拒絶することに留意し、ヘイトスピーチを非難し、偽情報に対する社会の回復力を構築する意図を再確認し、これらの問題に関して協力することに合意した。 社会的包摂と労働権、ジェンダーの平等、人種の公平と正義、LGBTQI+の権利の保護といった問題についての協力と調整を通じて、人権アジェンダを推進するという共通の目的について議論した。 両首脳はまた、アフリカ系の人々を含む、両国の周縁化された人種・民族・先住民族のコミュニティに相互に利益をもたらすために、人種・民族差別の撤廃と平等の促進のための米国・ブラジル共同行動計画を再活性化させることを約束した。
両首脳は,気候変動,持続可能な開発及びエネルギー転換に緊急の優先順位を置くことを決意している。両首脳は、ブラジルと米国が、気候変動枠組条約やパリ協定を含め、二国間および多国間で協力し、主導的な役割を果たすことができることを認識した。 バイデン大統領とルーラ大統領は、2015年に設立された気候変動に関する共同イニシアティブで、ハイレベルな米国・ブラジル気候変動作業部会(CCWG)が創設されたことを想起した。 森林減少・劣化との戦い、バイオエコノミーの強化、クリーンエネルギーの展開強化、適応行動の強化、低炭素農業の推進などの協力分野を議論するために、できるだけ早くCCWGを再招集するよう指示することを決定した。 これらの努力の一環として、米国は、アマゾン基金への初期支援を含む、ブラジルのアマゾンを保護・保全するプログラムに資金を提供し、この重要な地域への投資を促進するために議会と協力する意向を表明した。両首脳はまた、飢餓と貧困との戦い、世界の食料安全保障の強化、貿易の促進及び障壁の除去、経済協力の促進、並びに国際平和及び安全の強化に向けた決意を表明した。
両首脳は、貿易・投資、エネルギー、保健、科学技術・イノベーション、防衛、教育・文化、領事業務などの分野において、両社社会に利益をもたらす成果志向のアプローチにより、二国間協力を強化することへの関心についても議論した。 両首脳は、特に現在の世界的な岐路において、サプライチェーンの回復力の重要性を認識し、官民対話に焦点を当てたこの分野での協力を継続することにコミットした。
両首脳はまた,相互に関心のある世界及び地域の広範な問題について議論した。両首脳は、ロシアによるウクライナの領土の一体性の侵害及びその領域の一部の併合は、国際法の明白な違反であると非難し、公正かつ持続可能な平和を求める。両大統領は、この紛争が食糧およびエネルギー安全保障、特に地球上の最貧地域に与える世界的な影響について懸念を表明し、黒海穀物イニシアティブの完全な機能に対する支持を表明した。バイデン大統領とルーラ大統領は,特にブラジルがG20の議長国を務めることに関連し,多国間機関における協力を強化する意図を確認した。 両首脳は、より広範な国連加盟国を代表し、世界の平和と安全に関する喫緊の課題に一層効果的に対処する能力を強化するため、アフリカ及び中南米・カリブ海諸国の常任理事国を含む国連安保理の拡大など、意義ある改革に向けて協力する意向を表明した。
ルーラ大統領はバイデン大統領にブラジル訪問を要請し、バイデン大統領はこれを受諾した。 両首脳は、2024年の米国・ブラジル外交関係樹立200周年に向け、対話を拡大し、より深い協力を追求することを約束した。
【参照ページ】
(原文)Joint Statement Following the Meeting Between President Biden and President Lula
(日本語参考訳)バイデン大統領とルーラ大統領、気候変動と民主主義強化の対策協力で合意
https://esgjournaljapan.com/world-news/25930

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アグリビジネス企業がトウモロコシ生産参入

2023-02-24 | 先住民族関連
マニラ新聞2023.2.24
 アグリビジネス企業アグリナーチャーは、ミンダナオ島で大規模なトウモロコシ生産事業に参入する。南ダバオ州バンサラン町で農地2万ヘクタールを確保し、年間20万トンを生産する。事業費26億ペソのうち20億ペソは比開発銀行からの融資や自社株の売却などで確保するという。事業地は先住民族居住地域だが、すでに国家先住民族委員会や現地住民らからの合意は得ているという。アグリナーチャーを経営するアントニオ・ティウ氏は、マカティ市地下鉄事業の事業主体である比インフラデブの社長兼最高経営責任者を辞職したばかり。(22日・インクワイアラ―)
https://www.manila-shimbun.com/series/econo_trend/series269437.html

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映画「アバター」の惑星パンドラにインスピレーションをもたらした神秘の絶景「ロライマ山」

2023-02-24 | 先住民族関連
カラパイア2023年2月23日(木)20時0分

 現世から隔絶された精霊の領域。太古より語り継がれる伝説の地や、RPGでたどり着く隠しエリアのごとき眺めに息をのむ。
 南アメリカ北部、ギアナ高地に位置するロライマ山は、映画「アバター」の惑星パンドラにもインスピレーションをもたらした古代の山だ。
 荒涼とした台地をいただく1,000 メートルもの断崖は何者も寄せつけない孤高の意志の表れか。
 時代が進んだ今もなお、人を惹きつけてやまない神秘の絶景ロライマ山を堪能しよう。
MOUNT RORAIMA - Heaven On Earth・地球上で最も古い。1,000 メートルの崖をもつロライマ山
 南米北部のギアナ高地、ベネズエラ、ガイアナ、ブラジルの国境にまたがるロライマ山は、古くから人々のロマンをかきたて魅了してきた特別な山だ。
https://www.youtube.com/watch?v=aGv_MitUe7A
 およそ1,000 メートルの切り立った崖に守られている山頂までの標高は2,810 メートル。そこは荒涼かつ広大な台地だが、その厳しい環境に適応した珍しい動植物が生息している。
 また壁のようにそびえる崖は20億年以上前に形成されたと推定され、地球上で最も古い岩盤のひとつと考えられている。
・まるで天空の島。偉大な青緑の精霊の家
 ここはほとんど年中雨で、崖から流れ落ちる巨大な滝が見えることもある。また曇りの時は雲海に浮かぶ天空の島のようにも見える。
 先住民の伝承にもこの山の神秘性がうかがえる。例えばギアナ高地の少数民族ペモン族は、このロライマ山を「偉大な青緑の精霊の家」として崇拝している。
 その伝承によると、かつてロライマ山は世界のすべての果物とジャガイモなどの塊根野菜を収めた聖なる巨木だった。
 それがマクナイマという神によって倒されて切り株となり大洪水が起きた。その切り株が現在のロライマ山であり、降り続く雨は洪水の名残りだという。
・「ロスト・ワールド」や「アバター」の世界のモデルにも
 人を惹きつけるロライマ山の逸話はほかにもある。1596年イギリスの探検家のウォルター・ローリー卿も伝説の黄金都市エルドラドを探す旅でこの山に登った。
 コナン・ドイルの小説「ロスト・ワールド」では、南米アマゾン川流域の台地に先史時代の動物が生息していたという設定がうかがえる。
 実際に生息するのは、食虫植物のウツボカズラや、ロライマ山で発見されたオリオフリネラ属の希少なヒキガエル Roraima Bush Toad(Oreophrynella quelchii)などの動植物だが人が容易に立ち入れない山の姿がSFの舞台になるのもうなずける。
 なお映画「アバター」シリーズの惑星パンドラのモデルになったスポットは複数あり、ロライマ山以外では以下のような風景が採用された
中国の張家界国立森林公園(写真)
ジャマイカのバイオルミネセントラグーン(写真)
ニュージーランドのワイトモ・グローム・ケイブス(写真)
人間のイメージから生まれる架空の世界。失われた生物の楽園や異種族の故郷など、私たちをワクワクさせるファンタジーな光景も実在の場所が何かとヒントになってるもの。
 心揺さぶるシーンの源、ハッとするほど美しい風景はきっとまだまだいろんなところにあるんだろうな。
References:upworthy/ wikipedia/ youtubeなど /written by D/ edited by parumo
https://news.biglobe.ne.jp/trend/0223/kpa_230223_9500694628.html

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先住民の地位、改憲で明記を 年内の国民投票目指す 豪首相

2023-02-24 | 先住民族関連
時事通信2/23(木) 15:28配信

アボリジニに対する「侵略の日」と位置付け、豪州の建国記念日に相当する「オーストラリア・デー」に抗議する人々=1月26日、南東部メルボルン(EPA時事)
 【シドニー時事】オーストラリアのアルバニージー首相は23日、先住民の権利保障のため憲法改正の手続きを進める方針を表明した。
 先住民の地位を憲法に明記することと、政策に先住民の声が反映されるようにすることが柱。改憲の是非を問う国民投票の年内実施を目指す。
 豪州には先住民としてアボリジニとトレス海峡諸島民がいるが、18世紀の英国人入植後に迫害を受け、1970年代まで同化政策で白人文化を強要された。改憲では、先住民が「最初のオーストラリア人」であると明記するとともに、先住民に直接影響が及ぶ政策について当事者と協議することを定めたい考えだ。 
https://news.yahoo.co.jp/articles/6d207fd9972375a11f9dc984d8cb82ba00628774

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女流詩人と山との濃密な交流が生んだ反アルピニズム文学『いきている山』【書評】登る前にも後にも読みたい「山の本」

2023-02-24 | 先住民族関連
ヤマケイオンライン2023年02月24日
評者=布川欣一

いきている山
著:ナン・シェパード
訳:芦部美和子・佐藤泰人
発行:みすず書房
価格:3520円(税込)
「詩人の山」はスコットランド北部のハイランド、その東部ケアンゴーム山群である。本書巻頭の略地図によると、標高1244mのケアン・ゴーム山を中心とする南北約50㎞、東西約40㎞の山域でスコットランド国立公園の一郭。最高峰は1309mのベン・マクドゥーイ、域内の山、湖、峠道、圏谷などの名は、英語ではなくゲール語(ヨーロッパ北西部の先住民ケルト人系の言語)だという。
詩人はその東に添う村で生まれ育ち、幼時から風景として見慣れ、長じて教員養成学校で教鞭を執りつつ、この山域に親しみ愛した。
さて、本書は12章から成るが、詩人は最初の章“Plateau”で山域の地形・気象など主に「蜂蜜」と「鞭」の自然とその受動をつづる。が、そこは植生まばらで荒涼とした寒冷地の山々である。訳者は、章題を邦訳して浮かぶ穏やかな「高原」とは全く異なるとして、「プラトー」と表わしたと注する。
詩人の記述は「奥地」「山群」の章へ進む。山域に入り始めた頃の詩人は、〈高さの刺激〉を味わいたく〈山頂を目指してばかりいた〉。が、多様な山の景観や天候・季節による変容に感動を重ね、〈どこに辿り着くというわけでもなく、ただ山と一緒に過ごすためだけに出かける〉ようになる。
詩人は、更に山の内部へ深入りしてゆく。記述は「水」「氷と雪」「空気と光」「いのち(植物、鳥・獣・虫、人間)」と章題を立てて続く。山で出会うさまざまな自然現象、生きとし生けるものの在りのままの姿。これらが相互に影響しあう複雑な関係! 「プラトー」の章では、〈人間は山のことを完全には知りえない〉と言い切っていた。このように、詩人の記述は章を跨いだ横つながりも多い。
自然科学的あるいは物理的な精細な観察から、哲学的あるいは宗教的な深遠な感懐へ、詩人の論述は広く重く拡がる。「眠り」「感覚」「存在」の章を連ね、独自の見解を展開して本書を結ぶ。
山で眠り、鹿の動きで目覚め、湖で泳ぎ、谷を徒渉し、厳寒に筋肉をこわばらせるなどの体験を重ねる。山の自然と肉体、感覚との緊張関係から〈私と山とのあいだで何かが動く〉のを実感し、自らの存在を確かめる。まさに山は「いきている」。記述する詩人の文は歯切れよく、迫力に富む。
詩人が本書を執筆したのは1944~45年、第2次世界大戦終戦前後の、50歳代前半。初版は77年刊、本書は2008年版を用い、R・マクファーレンが11年版に寄せた解説的な序を付す。
あまりなじみのない山域に拠る80年も前の著作だが、アルピニズムの対極に立つ詩人の登山観は、我が静観派と重なるところも多く、普遍性は極めて高い。訳者による丁寧な訳注には大いに助けられた。久しぶりに重く強く心に響く山岳文学書に出逢った。
評者=布川欣一
ぬのかわ・きんいち/1932年生まれ。登山史研究家。本誌をはじめ山岳雑誌に登山史関連の記事を多数寄稿。著書に『明解日本登山史』『山道具が語る日本登山史』(いずれも山と溪谷社)などがある。
(山と溪谷2023年2月号より転載)
https://www.yamakei-online.com/yama-ya/detail.php?id=2285

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「ガチ中華」を代表する味坊・梁さんが愛されキャラとなった秘密

2023-02-24 | 先住民族関連
フォーブス2/23(木) 10:00配信

 1月下旬、秋葉原の「香福味坊」で梁宝璋さんの「外食アワード2022」受賞を祝う食事会があった
日本の外食シーンに貢献した人物を表彰する「外食アワード2022」 を受賞した「味坊集団」の梁宝璋さんは、日本の「ガチ中華」を代表する人物である。
都内に中国各地の地方料理の店を10店舗経営する梁さん、その仕事に向き合う姿勢や飽くなき挑戦の原動力は何なのだろうか。
梁さんは1980年代から90年代に来日した新華僑のひとりで、筆者が言う「ガチ中華」の第一世代でもある。彼の個人ヒストリーを紐解きながら、「ガチ中華」が日本に現れた歴史的背景について考えてみたい。
■梁さんの母親は残留孤児だった
筆者が梁さんと知り合ったのは2年半前のことだ。いまでは古くからの友人のような関係になっているが、急速に親しくなれたのは、彼と年齢が同じだったこともある。また、筆者が「地球の歩き方」の取材を通して中国東北地方の現地事情に精通しており、梁さんの出身地である黒龍江省のチチハルも以前から何度か訪ねていたからだとも思う。
チチハルは黒龍江省西部に位置する同省第2の都市で、清国時代には役人が駐在する同省の中心地だった。黒龍江省といえば、現在の省都のハルビンが有名だが、ここはロシアが東清鉄道を敷くために20世紀初頭に建設された新しい都市なのである。
チチハルはいまでは中国国内には数少なくなった耕作地化されていない草原が残るフルンボイル平原の広がる内モンゴル自治区東北部と接している。漢族とこの土地の先住民族であるモンゴル族や満州族のほか、ダフール族やエヴェンキ族といった大興安嶺という黒龍江(アムール川)を隔ててシベリアに連なる深い森にかつて暮らしていた少数民族も住む。市街地の北部に扎龍自然保護区という湿原があって、夏はタンチョウヅルなどの飛来地になっている。
幼少期の梁さんは絵を描くのが好きなおとなしい子供だったそうだ。幼なじみに同じチチハル出身の現代美術のアーティストとして知られる王舒野さんがいる。王さんは北京中央工芸美術学院(現・清華大学美術学院)を卒業後、1990年に来日。現在は鎌倉に在住し、哲学的な作風の抽象絵画を制作している。
2人は小中学生時代、同じ学校に通っていた。当時それほど深いつきあいはなく、来日してから交流が始まったそうだ。実は、梁さん自身もチチハルの美術専門学校を卒業しており、商業美術を学んでいる。2人が話の合うのは、同郷だからという理由だけでもなさそうだ。梁さんの経営する御徒町の北京風居酒屋「老酒舗」にも王さんはたまに現れるという。
梁さんが来日したのは1995年12月。その頃、留学以外の目的で来日した人たちには、日本となんらかの縁があったが、彼の場合、母親が残留孤児だった。残留孤児とは、第2次世界大戦の敗戦前後の混乱で親と離ればなれになり、中国に取り残された日本人の子どもだ。
1972年の国交正常化をきっかけに多くの残留孤児が帰国した。ちなみに東京・蒲田にある羽根付きギョーザで有名な中華料理店「你好(ニイハオ)」の八木功さんも残留孤児の1人だ。
残留孤児である梁さんの母親が帰国したのは1994年と少し遅かったのは、自分の育ての親を看取るまでは中国で一緒に暮らしたいと考えていたからだという。来日する前、梁さんは「日本に行けばいい生活ができるだろう」と考えていたそうで、妻子とともに母親を追って日本へ。彼自身は32歳で、娘さんは6歳のときだった。
来日当初は働きづめの日々
梁さんが「日本に行けばいい生活が」と考えたのは無理もないことで、1963年生まれの彼は、幼少期に文化大革命の時代(1966年~76年)を過ごしている。中国東北地方の同世代の人たちが当時を振り返って共通して語るのは「子供の頃はトウモロコシのお粥か餅くらいしか食べられなかった」という話である。
しかも、1980年代の改革開放以降、東北地方の経済は地盤沈下を始める。もともと日本が建国した満洲国時代の近代工業インフラが整備され、それまで社会主義の優等生とみなされていた東北地方で、今日とは真逆の国有企業の改革が始まったからだ。
中国の著名な映像作家、王兵の「鉄西区」(2003年)というドキュメンタリー作品は、満鉄によって1930年代に開発された遼寧省瀋陽(当時は奉天)の重工業地帯である鉄西区が衰退し、地区内の90%近い工場が操業を停止、町に失業者があふれた1990年代後半の中国の社会主義の最末期の裏寂しい光景を記録している。
この頃から多くの東北人は故郷を離れることになったのである。実は、これが日本の「ガチ中華」のオーナーやスタッフに中国東北地方出身者が多い理由でもある。
来日当初の梁さんは、一家で足立区の公団住宅に住み、昼間は夫婦で車両部品工場や清掃の仕事をし、夜勤でパン工場に通うなど、働きづめだったそうだ。当時まだ日本語はうまく話せなかったこともあり、家族を養っていけるのか不安だったという。このままではいけないと思い、こういうときに中国の人は飲食の仕事を始めることが多いという。それならなんとか食べていけるはず……と考えて。
1997年、梁さんは足立区でラーメン屋「味坊」を開業している。店名を名付けてくれたのは、前述のアーティストの王舒野さんだった。梁さんはその店名が大いに気に入ったという。
夫人と交替で24時間近い営業を続けた。当時から中国東北料理を少しずつ出していたが、あまり注文されることはなかった。むしろ日本人の口に合わせた豚バラ先軟骨でダシをとった醤油ラーメンが人気で、売り上げも伸びたという。
こうした努力が実って、2000年1月9日、都心のJR神田駅ガード下に「神田味坊」をオープンさせた。「いまでも忘れないのは、初日が大雪だったこと」と梁さんは感慨深げに話す。
■羊肉料理と自然派ワインの出会い
梁さんの話を聞いていくうちに、神田味坊から始まって今年で23年目になる味坊集団の歩みには、大きく3つのフェイズがあったことがわかってくる。
第1期は2010年くらいまでの頃で、中国駐在帰りの人や中国好きの常連に愛された時期である。バブル経済崩壊後の日本で、かつての高度成長期の日本人のように懸命に働く中国の人たちに温かいまなざしを向けた人たちに支えられたと言っていいだろう。
この時期、ひとりのユニークな日本人も店を訪れている。四川フェスや羊フェスタといった「ガチ中華」関係の食イベントを数々企画し、今年1月上野公園で開催した「ウエノデ.パンダ春節祭2023」では15万人を超える集客を達成させた菊池一弘さんだ。
彼は北京留学の経験から日本で羊食を促進させたいという志を掲げ、羊齧協会(ひつじかじりきょうかい)なる団体を立ち上げて、2012年頃から正式な活動を始めている。いわば「ガチ中華」の広報活動の先駆けともいえる人物で、羊料理をメインとした食事会を主催するなど、神田味坊を盛り上げてきた。
味坊の料理を食べると、ワインが飲みたくなる
味坊集団はその後、次なる第2期のステージに移っていく。
それは2011年の東日本大震災直後に店に現れた自然派ワインの第一人者の故勝山晋作さんとの出会いから始まった。
当時、常連となった勝山さんは神田味坊の店先で梁さんと一緒に羊肉串を炭火で焼きながら過ごすのが常だったという。「味坊の料理を食べると、ワインが飲みたくなる」とよく話していたそうだ。しかし梁さんは最初、その意味がわからなかったという。なぜなら、彼はそれまでワインとは縁がなく、東北人らしく羊肉を食べるなら白酒を飲むものだと思っていたからだ。
勝山さんの下で働いていたワインショップ「グレープガンボ」の山崎尚之さんは「味坊は勝山さんに見つけられた店。ワインを置くようになって、美味しいラム肉がワインと一緒に味わえる店だとグルメの間で評判となり、若い人や女性も来店するようになった」と話す。
面白いのは、味坊集団の店では客は自分の好きなワインを冷蔵庫から取り出して飲むシステムであることだ。なぜなら「ぼくもそうだし、店の中国人スタッフもワインのことはわからないから」と梁さんは話す。
こういう鷹揚なところが、彼の魅力である。これまで何度か中国の南方出身の友人を連れて店を訪ねたが、彼らの目にも梁さんは朴訥でおおらかな典型的な東北人に映るようだ。
それは日本人に愛される中国人キャラクターというイメージにもつながると思う。だが、彼が愛されキャラとなったもうひとつの理由は、本人も言うように「日本人っぽいところがある」ことかもしれない。それは繊細さや研究熱心なところだ。
そういう資質がいかんなく発揮されるのは、梁さんが羊肉をメインに新しい料理を次々開発していくこともそうだが、店の看板やメニューを自ら手づくりするところである。商業美術を学んだキャリアから、自分でつくりたくなるのだという。その出来栄えは一見素朴だが、現地の風情や温もりがあふれていて、梁さんらしさが伝わってくる。
また自ら食材を確保するため、梁さんは農園経営も始める。その理由についても「コストはかかるし、少々見た目は悪くても、自分がつくった無農薬の野菜を店で使いたい」と話す。
新しいコンセプトの業態の店を続々とオープンする彼だが、食材を大切にするところは、母親の影響だという。幼少時、どんなに貧しくても、彼の母は手の込んだ美味しい料理をつくってくれたという。そんなわけで、彼は化学調味料を多用した昨今の若手オーナーたちが提供する新興「ガチ中華」には少々否定的である。
「やりたいことがたくさんある」
筆者が梁さんに特別の親しみの感情を持つに至ったのは、彼が残留孤児2世だったからでもある。実は、筆者の祖父母も戦前は満洲にいて、敗戦後、母は祖母に手を引かれて朝鮮半島経由でなんとか引き揚げてきた。いわば筆者は「引き揚げ者2世」である。
筆者と梁さんの母親は、敗戦時に運命が分かれたが、こうして2世である2人が東京で邂逅している。そう思うと、特別な感慨を胸に抱いてしまうのである。
彼にこの話をしたこともあるが、あまりピンとこないようだった。だが、彼は友人に筆者を紹介するとき、こんな風に言う。「ぼくより中国や自分の故郷である東北地方を訪ね、よく知っている」と。それはきっと彼にとっても、嬉しいことなのだと思う。
2016年に「味坊鉄鍋荘」をオープンしてからの6年間が、味坊集団の第3期といえるだろう。
「なぜそんなに頑張るの?」と彼に訊ねたことがある。すると、「やりたいことがたくさんあるから」という。「(自分はせっかくチャンスに恵まれたのだから)やらなければならないと思っている」とも。
梁さんの数あるやりたいことのうち、2つだけ挙げると、次のようなものだという。まず、一般家庭で簡単な羊料理がつくれるレシピを日本人に伝えたいこと。
そして、中国東北地方の餃子がそうであるように、日本各地の餃子の具材に、その土地ごとの旬の食材を採り入れたメニューを開発すること。「(豚肉とキャベツだけではつまらない)餃子の具はもっと自由でいいはずだ!」と、梁さんは最近会うたびにそう話している。
中村 正人
https://news.yahoo.co.jp/articles/1ffa5ffb7c9eba6719320537d52d6d5a9fad2c53

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こつぜんと消えた5つの古代都市、残された謎と新たな手がかり

2023-02-24 | 先住民族関連
ナショナルジオグラフィック2/23(木) 16:30配信
古代エジプトの都市タニスから幻の黄金郷伝説まで

かつてエジプト第21、22王朝の首都であったタニスは、ナイル川の流れが変わったために衰退した。神殿や墓の遺跡からは、多くの貴重な遺物が出土している。(PHOTOGRAPH BY MYLOUPE, UIG/GETTY IMAGES)
 アテネやローマといった偉大な古代都市には、今も多くの遺跡や遺物が残っており、当時の文化や政治支配をうかがい知ることができる。その一方で、かつて同じように繁栄したものの、古代エジプトの首都タニスや、古代ギリシャの重要都市ヘリケのように、こつぜんと姿を消してしまった都市もある。
 それらの都市は、影も形もなくなったなか、その存在だけが時を超えて伝説として語り継がれてきた。しかし、近年の発見のおかげで謎が少しずつ解明されようとしている。
インダス川流域の肥沃なメトロポリス
 メソポタミア文明やエジプト文明とともに古代文明の一つに数えられているインダス文明は、紀元前2500年~前1700年頃に、主に現在のパキスタンがあるあたりで発達した。メソポタミア文明とエジプト文明が、長い時を経て征服したり征服されたりを繰り返し、他の文化と融合し、進化を遂げてきた一方、この3つの文明の中で最大だったインダス文明だけは、あるとき突然崩壊し、消滅してしまった。その理由を知る者はいない。
 インダスの人々は、インダス川の氾濫によってもたらされた肥沃な土地と、近隣のメソポタミアとの交易によって栄えた。その2大都市であったハラッパーとモヘンジョ・ダロには4万~5万人が住み、農業、交易、手工芸に従事していた。そして高度に発達した中央集権社会を築き、標準化された計量単位や印章を使用していた。複雑な文字も持っていたが、その大部分は今も解読されていない。
 ところが紀元前1900年頃、モヘンジョ・ダロは侵入者に襲われて崩壊した。また、最近になってアラビア海に流れ込んだインダス川の堆積物を分析した結果、激しいモンスーンが起こったために人々は山へ逃れていったのではないかとも考えられる。考古学者たちは今も発掘を続け、この謎多き文明に関する断片的な物語をつなぎ合わせようとしている。
古代エジプトの首都
 現在のエジプト、カイロの北東にあるナイル川デルタに、かつてタニスと呼ばれる古代都市が存在していた。その王家の墓からは、ツタンカーメン王の財宝に勝るとも劣らない宝石類、黄金の仮面、銀の棺、その他の財宝の山が発見されている。ところが、この驚くべき考古学的遺跡について知る者は少ない。旧約聖書で、預言者モーセが奇跡を行ったツォアンという町の名が記されているが、これがタニスであるとされている。現在ここには、サーンイルハガルと呼ばれる小さく閑静な町がある。
 タニスは、アレキサンドリアが台頭するよりはるか前、エジプト第21王朝の首都が置かれ、豊かな商業の中心地として繁栄した。ところが、川の流れが変化したことにより、町は砂に埋もれて消滅した。
 町の発掘は19世紀から始まっていたが、最大の発見があったのは1939年のこと。フランス人考古学者のピエール・モンテが、王家の墓を発見したのだ。3つの玄室はいずれも手つかずで、当時の状態をそのまま留めていた。
 残念なことに、第二次世界大戦が始まったことで、モンテの発見はほとんど注目を集めることなく終わってしまった。現在、財宝の一部はカイロのエジプト博物館に所蔵されている。2009年には女神ムトに捧げられた聖なる湖が特定され、学者たちはさらなる発見を期待している。衛星からの赤外画像も、まだ発見されていない建造物があることを示している。
強い影響力を持ったギリシャの都市国家
 古代ギリシャの都市国家ヘリケは、重要な経済的、文化的、宗教的中心地であった。ホメロスの叙事詩「イーリアス」でアガメムノンの同盟都市として描かれ、紀元前4世紀には都市国家の相互防衛のためにアカイア連盟を率いるまでになっていた。
 古代史家によると、ヘリケを悲劇が襲ったのは、紀元前373年のこと。5日間にわたって、ヘビやネズミ、その他の動物たちが町を捨てて高台へ逃げていった。続いて大地震が発生し、町は住民もろとも海の底に沈んだという。
 ヘリケは伝説のなかに消え、その正確な場所もわからなくなった。フランスの海洋探検家ジャック・イブ・クストーをはじめ19~20世紀の多くの探検家たちが、コリントス湾の海底を捜索してきたが、発見には至らなかった。しかし2001年、ある考古学チームが河口の三角州に目を付け、ついにそれを発見した。数千年間堆積し続けた泥の下から、紀元前4世紀の壁、硬貨、陶器などが姿を現した。長く失われていた古代都市は、アトランティス伝説の元になったとも言われている。発掘作業は、現在も続いている。
幻の黄金郷は実在したのか?
 1500年代、南米にやってきたスペインの冒険家たちは、現地に伝わるエルドラド伝説のことを耳にする。アンデスのどこかで、先住民族のムイスカ人は、新たに誕生した指導者の全身に金粉をまぶし、聖なる湖に黄金やエメラルドを投げ入れたという。この指導者は、エルドラド、または黄金の人と呼ばれた。
 欲に目がくらんだスペイン、ドイツ、ポルトガル、イングランドの冒険家たちは、黄金のうわさを聞きつければコロンビアからブラジルまでどこへでも出かけていった。そして恐ろしげな密林に分け入っては、ヘビにかまれ、病気にかかり、餓死するという運命をたどった。
 やがてエルドラドは、指導者の呼び名から町の名へと変わり、さらには黄金が敷き詰められた谷であり、ただ発見されるのを待っていると言われるようになった。今に至るまで、黄金郷は発見されていない。
 しかし、伝説には一部の真実が含まれている可能性もある。ムイスカ人が黄金を投げ入れたという湖は、コロンビアの首都ボゴダに近いアンデス高地にあるグアタビタ湖ではないかと言われている。ここと、その近くにある別の湖からは、少量の黄金や宝石類が引き揚げられているためだ。しかし、湖の水を抜いて捜索しようという計画は失敗に終わった。湖の底に何らかの財宝が眠っていたとしても、それは今もまだ手付かずのままだ。
消えた入植者たち
 1587年、新大陸の植民地総督ジョン・ホワイト率いる115人の英国人が、現在の米国ノースカロライナ州沖にあるロアノーク島に上陸した。入植者のなかには、ホワイトの娘夫婦も含まれていた。入植後、夫婦の間には、ホワイトの孫娘に当たるバージニア・デアが誕生する。新大陸で生まれた初めての英国人だった。
 数カ月後、ホワイトは物資を補給するためイングランドへ戻っていった。それから3年後、ホワイトが戻ってみると、ロアノーク島には誰もいなかった。争いがあった形跡もなく、ただ「クロアトアン」「クロ」という文字が刻まれた柱と木だけが残されていた。消えた入植者たちは、今も見つかっていない。
 2012年、ジョン・ホワイトの作成した地図から、ロアノーク島の西約80キロに位置するアルベマール湾の先端に秘密の砦を建設する計画があったことが明らかになった。しかも、この場所からはヨーロッパの遺物が発見されており、1587年に消えた入植者たちのものではないかと考えられた。
 そのわずか数カ月前には、ロアノーク島から南へ約80キロ離れた現代のハッテラス島でも、消えた入植者たちに関係すると思われる遺物が発見された。ハッテラス島は、当時はクロアトアン島と呼ばれ、クロアトアン族が住んでいた。入植者たちは、何らかの理由でこのクロアトアン島に避難したのだろうか。発見された遺物のなかには、剣の柄、割れたイングランドの器、いまだに文字が書かれたままの石板の一部などがある。考古学者たちは今も手掛かりを探している。
※この記事はナショナル ジオグラフィック別冊『今の科学でここまでわかった 世界の謎99』の一部を加筆、再構成したものです。
文=PAT DANIELS/訳=ルーバー荒井ハンナ
https://news.yahoo.co.jp/articles/059bcb35c1b9f450537335537ef7cb25b0f92260?page=1

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歓迎の踊りは30万円、北朝鮮内部の映像は2000万円…テレビ局に27年在籍した“中の人”が「海外ロケ番組の内容はあまり真に受けないでください」と語るワケ

2023-02-24 | 先住民族関連
集英社オンライン2/23(木) 11:03配信
『腐ったテレビに誰がした?』#3
新型コロナウイルス禍以降、禁止されていたことが続々通常運転に戻りつつあるなか、テレビ番組の海外ロケも復活し始めている。
「歓迎の踊り30万円!」 海外ロケには「不思議なお約束」が……「あの探検隊」から現在まで続く「ビックリルール」の数々
海外ロケ番組の内容はあまり真に受けないでください。ヤラセとまでは言わなくても、そこにはまあまあたくさん「テレビマンしか知らない不思議なお約束」があるのです。
かつての大人気番組『水曜スペシャル 川口浩探検シリーズ』の頃はとてもわかりやすくお約束だらけでしたね。嘉門達夫さんの「ゆけ!ゆけ!川口浩!!」という歌でも歌われているように、洞窟の中にはピカピカに磨かれた白骨が転がり、底なし沼にハマる先住民の顔が笑っている……そんな世界でした。
かつて大先輩が、「金色の蛇にしたくてスプレーで蛇に色を塗ったら酸欠でグッタリして動かなくなった」という話をしているのを小耳に挟んだことがあります。さすがにいまはそんなことをしたらヤラセや動物虐待になってしまうので絶対にありえませんが、海外ロケでは「日本の視聴者にはわからないだろう」というなし崩し的なメンタルが働くのか、〝ちょっと演出が多め〟になりがちな面はいまでもあります。
たとえば「先住民たちの歓迎の踊り」みたいなシーンを番組でよく見ることがあると思います。私の知る限り、「遠く離れた日本からよく来たな」という純粋な気持ちで歓迎の踊りを踊ってくれる先住民の人はまずいません。そもそも、民族衣装のようなものを着て生活している先住民さんはまず存在せず、だいたいみなさん、我々と似たような洋服を着てスマホを器用に使いこなしている文明的な人がほとんどです。
ではなぜ彼らが「民族衣装で歓迎の踊り」を踊ってくれるかというと、コーディネーターからお願いされた現地有力者が、テレビの取材のために現地の人たちを〝調達〟してくれているからです。サービスで「歓迎の踊り」を踊ってくれるはずはないですから、当然謝礼は伴います。自分の経験と海外ロケ経験の多い仲間の話を総合すると、歓迎の踊り1回の相場はだいたい10万~30万円です。
「取材の謝礼」ということで言えば、「ジャングル奥地の未接触部族の撮影に初めて成功した」みたいなロケでは、現地の政府機関への「取材協力金」の支払いが必要なケースも多いです。少数民族が多いある国では、「ある民族を初めて撮影する」謝礼金の相場がかつては数十万~百万円くらいだったということですが、それを日本のとある放送局が金にモノを言わせて10倍くらいに吊り上げてしまい、世界じゅうの顰蹙を買ったことがあるのは業界では有名な話です。
「高額な謝礼」という例では、かつて北朝鮮の脱北者たちへの取材がブームになったときには、取材謝礼の相場が驚くほど急上昇しました。各局で「面白い証言ができる脱北者」の取り合い状態になり、インタビュー1回で謝礼10万円くらいは当たり前になってしまいました。ある局が、「北朝鮮内部の衝撃的な映像」の素材を2000万円以上の高値で落札したという話も耳にしました。
ある脱北者から「このあいだNHKの取材に応じたら、謝礼金を払わずに記念品のタオルしかくれなかった」と文句を言われた(テレビ朝日の私がなぜか)こともありますし、「喜び組の女性」のインタビューが終わった直後に、「もっと謝礼をたくさん払え」と言われて撮影済みのテープを奪われ、走って逃げられたこともありました。「脱北者バブル」のような状況下、かなりおかしなことになっていたのはたしかですね。
あと、有名な〝お約束〟で言えば、海外ロケには「タイアップ」というものが存在します。特定の企業や、ある国の政府観光局などが「宣伝してくれることとひきかえに」ロケに必要な費用の一部を支払ってくれるのです。ニュース番組などではあまりタイアップをしないようにしていますが、それ以外の番組では、多かれ少なかれタイアップなしでの海外ロケは成り立ちません。
いちばん典型的な例は「無料航空券の提供や料金の割引」と「ホテル宿泊代の免除あるいは割引」です。番組で「飛行機の離着陸や飛んでいる飛行機の映像」が流れたら、その航空会社のタイアップだと思ってください。ホテルの外観が出てきたらそれもだいたいそのホテルのタイアップです。
そうして、出演者やスタッフの旅費を節約するのは当たり前です。さらに一歩進んで、外国の観光局などから「どこどこの観光スポットを取材してくれたら◯十万円」と申し出があるケースもよくあります。国によっては「ウチの国を取材してくれて、指定するスポットを撮影してくれたら◯百万円」などというタイアップもしばしば。
いま日本で人気の海外の観光地の中には、こうしたタイアップを頻繁に行うことによって、日本で放送される回数を増やし、巧みな宣伝をしている国も多いです。
知らないあいだに、世論まで操作されている可能性までありますから、要注意です。
https://news.yahoo.co.jp/articles/989f6758d8a37752520294058cbdced751577dd2

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