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北海道新聞2023年2月6日 23:20(2月7日 00:18更新)

国後島のロシア人住民に迎えられた横路氏(右手前)。戦後の道知事として初めて北方領土を訪ねるビザなし交流訪問団に団長として参加した=93年8月、国後島古釜布
3期12年にわたり知事として道政のかじ取りを担い、衆院議長も務めた横路孝弘氏(82)の死去が伝えられた6日、道内で親交のあった関係者が別れを惜しんだ。1980年代から90年代にかけ、北方領土ビザなし交流やアイヌ民族の権利回復に携わり、賛否の割れる問題では当事者の声に耳を傾ける姿勢を忘れなかった。突然の訃報に接した有権者からも哀悼の声が上がった。
「島が日本に返還されても、住みたい人は住み続けられる」。横路氏は93年のビザなし交流で戦後の道知事として初めて北方領土を訪れた際、国後島のロシア人住民にそう語った。
戦争で故郷を追われた北方領土の元島民には、ロシア人に同じ経験をさせたくないという思いが強い。このため横路氏は、島のロシア人と隣人としての信頼関係をつくり、領土問題の進展を促そうとしたという。
色丹島出身の得能宏さん(88)=根室市=は「知事として私たちの考えを後押ししてくれた。友好を深めて返還への道筋をつくろうとしていた」と振り返る。
横路氏は84年、北海道ウタリ協会(現北海道アイヌ協会)の要請で私的諮問機関「ウタリ問題懇話会」を設立。アイヌ民族差別の象徴だった北海道旧土人保護法に代わる新法の必要性を国に提言し、97年のアイヌ文化振興法の制定を後押しした。札幌アイヌ協会共同代表の阿部一司さん(76)は「アイヌ政策に大きな一歩を開いた」と感謝した。
80年代に宗谷管内幌延町に高レベル放射性廃棄物(核のごみ)の貯蔵・研究施設を誘致する計画が浮上すると、横路氏は道議会で反対を表明。反対運動もあり、計画は核のごみの最終処分技術の研究施設とする内容に転換された。市民団体代表だった久世薫嗣さん(79)=宗谷管内豊富町=は「国に忖度(そんたく)せず道民目線を大切にしていた」。作家の小檜山博さん(85)=札幌市=は「自然を守ることが北の大地の財産になると考えていた」としのんだ。
・・・・・・・・・
(川口大地、平岡伸志、角田悠馬)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/798153
北海道新聞2023年2月6日 23:20(2月7日 00:18更新)


国後島のロシア人住民に迎えられた横路氏(右手前)。戦後の道知事として初めて北方領土を訪ねるビザなし交流訪問団に団長として参加した=93年8月、国後島古釜布
3期12年にわたり知事として道政のかじ取りを担い、衆院議長も務めた横路孝弘氏(82)の死去が伝えられた6日、道内で親交のあった関係者が別れを惜しんだ。1980年代から90年代にかけ、北方領土ビザなし交流やアイヌ民族の権利回復に携わり、賛否の割れる問題では当事者の声に耳を傾ける姿勢を忘れなかった。突然の訃報に接した有権者からも哀悼の声が上がった。
「島が日本に返還されても、住みたい人は住み続けられる」。横路氏は93年のビザなし交流で戦後の道知事として初めて北方領土を訪れた際、国後島のロシア人住民にそう語った。
戦争で故郷を追われた北方領土の元島民には、ロシア人に同じ経験をさせたくないという思いが強い。このため横路氏は、島のロシア人と隣人としての信頼関係をつくり、領土問題の進展を促そうとしたという。
色丹島出身の得能宏さん(88)=根室市=は「知事として私たちの考えを後押ししてくれた。友好を深めて返還への道筋をつくろうとしていた」と振り返る。
横路氏は84年、北海道ウタリ協会(現北海道アイヌ協会)の要請で私的諮問機関「ウタリ問題懇話会」を設立。アイヌ民族差別の象徴だった北海道旧土人保護法に代わる新法の必要性を国に提言し、97年のアイヌ文化振興法の制定を後押しした。札幌アイヌ協会共同代表の阿部一司さん(76)は「アイヌ政策に大きな一歩を開いた」と感謝した。
80年代に宗谷管内幌延町に高レベル放射性廃棄物(核のごみ)の貯蔵・研究施設を誘致する計画が浮上すると、横路氏は道議会で反対を表明。反対運動もあり、計画は核のごみの最終処分技術の研究施設とする内容に転換された。市民団体代表だった久世薫嗣さん(79)=宗谷管内豊富町=は「国に忖度(そんたく)せず道民目線を大切にしていた」。作家の小檜山博さん(85)=札幌市=は「自然を守ることが北の大地の財産になると考えていた」としのんだ。
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(川口大地、平岡伸志、角田悠馬)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/798153