SBS 12 February 2025 1:28pm
オーストラリアでは1800年代半ばから1970年代まで、同化政策の一環として、先住民の子どもたちは、強制的に家族から引き離されていました。子どもたちには何が起きていたのでしょうか。そして、現在も続く影響とは何でしょうか。
注意: 痛ましい内容が含まれます。
今から17年前、2008年の2月13日、当時のケビン・ラッド首相が、盗まれた世代(ストールン・ジェネレーション)に対して、国として正式に謝罪しました。
アンティー・ロレイン(Aunty Lorraine)は4歳のとき、ニューサウスウェールズ州北西部にあるブリュワリナ・ミッション(Brewarrina Mission)から、「盗まれ」ました。
姉妹とともに悪名高き収容施設 Cootamundra Domestic Training Home for Aboriginal Girls に入れられ、10年を過ごしました。
「到着すると、その時来ていた服が何であれ、燃やすために脱がされました。そして私たちに薬品を使って害虫を駆除しました。髪の毛は剃られ、労働と宗教、そしてベッドが与えられました」(アンティー・ロレイン)。
「白人のようにふるまうことを忘れると、自動的に罰を受けました。白人になることがマントラでした。白人のように話し、白人のような格好をし、白人のように行動する」
「自分たちが先住民であることについて話すことすらできませんでした。4歳のときにそのように洗脳されれば、先住民であることを忘れ、白人のやり方を覚えるようになります」。
Aunty Lorraine Peeters at the Cootamundra Girls Home. Source: Supplied / The Peeters Family
2008年、アンティー・ロレインはキャンベラの国会議事堂で、当時のケビン・ラッド首相が国として盗まれた世代に謝罪するのを聞きました。
アンティー・ロレインはこの日、ケビン・ラッド首相と自由党の代表に、新しい関係に向けた希望のシンボルとして、先住民のグラス・クーラモン(glass Coolamon)を渡しました。盗まれた世代の生存者の団体からその役に選ばれました。
「この日のことは忘れません」と、アンティー・ロレインは語ります。
「私が得たものは、私への謝罪ではありません、私の両親への謝罪です」。
ヤウルの女性で、盗まれた世代の生存者のための全国組織 Healing Foundation のCEOを務めるシャナン・ドッドソン氏は、ラッド首相による国としての謝罪は、極めて重要な瞬間だったと語ります。
「Bringing Them Home Report(報告書)を除き、生存者の苦しみや彼らの経験を認める、最初の公かつ全国的な動きでした」。
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SBS Examines の今回のエピソードでは、「盗まれた世代」に対する国からの謝罪(National Apology)を振り返り、オーストラアの歴史にある影の部分を取り上げました。
このエピソードを聞いて、あなたやあなたの知っている人が苦痛を感じたときは、ライフライン13 11 14 または、先住民とトレス海峡諸島民のクライシスサポート、13 92 76 (13YARN)に電話してください。日本語の通訳が必要な方は、無料の電話通訳サービスTIS 13 14 50 に電話し、「ジャパニーズ・プリーズ」と伝えて電話をかけてもらいましょう。